名は体をあらわす。ニックネームはその時代の状況・情況を一瞬に共感させる力を持っている。
イッヒ ウント ドゥー:(Ich und Du)
第一人称・二人称・三人称・個称VS総称
人を呼ぶ時に、夫婦であると、オイと呼んだり、アンタと呼んだりする家庭が多い。
当事者の固有名詞では無く、第三者的言語を使って呼び合うのである。
それに反して、個人名で呼びあう欧米人・夫婦で名前の呼び合うのは当たり前と文化の違いを見せ付けられても大した違和感は無いもの。
お客様のところにお伺いしていると子供が何々ちゃんと呼んでいるので誰かなーと思いきやお母さんであった。
それに対してお母さんが”なーにOOちゃん?“と自然に話しているのもうれしいことであるが、私にとっては少々違和感を覚えたのは正直否めない。
個性の時代!であれば、呼び名でも当たり前のことであるが、個を大切にした世界観が確実に進んでいる証明でもある。
呼ばれる方も、誰にでも使われる第三者代名詞よりも個人の名前を呼ばれたほうが,より直接的に響くのはわかっている。わかっているが、それでもお母さんを固有名前で呼ぶことには抵抗感を払拭できないのは私だけではないと思う。年代ものだと言われてしまえばそれまでの話でもあるが、きっと難しいことであろう。
私達の日常は様々な関係性から成り立っている。
重くのしかかってくる関係性から軽く見過ごされ、無関係の関係性までその尺度は千差万別でもある。
そして私達はその度合いが両極端に行き過ぎた地点に立った時には、受け止めることの出来ないほどの関係性から遠ざかり、又、距離感もよくガップリヨツに組める関係世界もある。
更に、表層で流されてしまう関係性まで、その結果はその人・モノとの関わり度で測られるものかもしれない。
関係性についてマルチン ブーバーがIch und Du(イッヒ・ウント・ドゥー「我と汝」)の中で言及している。ある出来事・事象との関係、又はある人との関わり方で、“我と汝”的に第一人称が第二人称的に関わっているのか?はた又、“我と彼”と言うように第三人称的に関わっているか?でその人との関係度の度合いが全く変わってくる。
むしろ大切な事象・人格との関係では、絶対に第一人称と第二人称の関係であるべきだと。
お祈りをする時にそうである。第二人称に捉えて祈るのと、第三人称的に捉えて祈るのでは、自分の意識が変わっているだけで無く、全く結果も変わってくることが多々である。
話を戻して、その場にいる関係が家族であれば、お父さん・お母さん・おじいちゃん・おばあちゃん・おにいちゃん・おねえちゃん・何々ちゃん。と呼べばその人を固有に指し示したことになる。
しかし、複数の家族がいたときに当事者で呼び合えば声で識別できるが、呼んだ人の声が似ていて、お父さんと呼ばれたとき多くのお父さんが自分かと思って振り返る。より不確定になる。
つまり、関係性はより個別的になるかどうかで測られる尺度と言うことになる。
何々のお父さん・どこそこのおじいちゃんと言えば固有呼称に近くなるが!
固有呼称で呼ぶとその事象・人の持つ環境・景観はより特定される。
現在は夫婦別姓法案が審議中でもある。固有名称はどこそこの何々と言うことでいち早くその人の情報を正確に得ることになる。情報キャッチにとても便利なことでもある。固有名称が時代の波であるとすればその波はどんな波なのだろうか?その波の後に残る残像形骸はいかようなものなのだろうか?
我が家・会社にそんな固有名称を持った懐かしいおじいちゃんがやってきた。
その名は“よいんどんの父ちゃん”である。姓は小熊さんと言うが家号が“よいんどん”又は“よいんさ”である。(以後、この紙面上は“ヨイドさん”ということにする。)
我が社のグループ会社であるタカモクの前身である高田材木店の時代に大変お世話になった人々である。
逆谷にすんでおられ、若い時から当社の材木の伐り出しに力添えいただいた方である。
原木の伐り出しには大変な労力が必要であり多くの人手が必要であった。それを取りまとめられていた親分である。今のように機械も発達せず、全てが人力に近かったから、大難儀な仕事であった。
逆谷:正式には 新潟県三島郡三島町逆谷であったが平成の大合併で 新潟県長岡市逆谷となり長岡市に組み入れられた。
私の親父が材木店を開いたのは60年前である。私が生まれた年である。
そして、後に製材工場を開設する。その製材工場を自前開業する前から山の木を伐りだしていた。
それは爺様の代から引き継いだものである。爺様は農家でありながら山の木を扱っていた。(余談であるが爺様と私の名前は同姓同名:何でも、その当時、分家である家の長男の名前は本家の爺様から貰う慣わしだったと聞いている。
ところが、私が生まれたのが年末の大繁忙期の12月30日であった。
手工業時代の年の暮れは現在では考えられないくらいに大忙しであったという。
孫の名前等考えている時間など無かった。そこで、“この忙しい時に生まれて!俺の名前をつけておけ。”で、私の名前は爺様と同じ“清太郎”と言う古めかしい名前になったと聞いた。
還暦を迎えた今では充分納得できるが、幼稚園・小学校の時は名は体を表さない貫禄モノであったのかもしれない。)
材木店・製材工場を起こしたが木材・丸太が無ければ仕事にならない。
丸太を製材して製品にするのが仕事であるのだから。
そこで、長岡の東山や西山の山毎、立木を買って伐り出すのである。その一つの山に逆谷があった。
脇の町から入った行き止まりの村である。
いたるところの山を相手に今で言う地杉を切り出した地産地消の時代であった。
繰り返すが、今のように機械化が進んでいない時代である。山から木を伐り出すことは大難儀であった。
冬になるのを待って雪のうえをそりで運び出す方法や夏であれば山から山へ鉄索と称したロープを張って、それに材木を取り付けて車の来る道まで運び出すのである。どちらも大仕事であった。
逆谷はじめ、東山での原木を伐り出した時代は私が小学生から大学生時代までのような気がする。(それ以降は日本の人件費は高くなり外材が多く入ってきて日本の植林は廃れてしまった。)車の免許証を取ってからは逆谷から東山の伐り出しにこられた人達の人夫運びの運転手もした。
帰りはいつも暗闇の山道を一人運転するのである。あまり、良い気分ではない。
月夜になると、同乗した“ヨイドさん”が“今日は出るかな?”私“何が?” “狐の嫁入りさ!山の中腹に綺麗に明かりがともったらそれが狐の嫁入りだ。今日は見られるぞ”・・・・・・皆して私をかまうのである。
私はそんな怖い話に付き合っていられない。
それでも怖さにまぎれて右山を見てしまう。その様に怖くって見たくない自分と見てみたい自分がいた。
そんな私を察するように、翌夜も余計にみんなが私をかまう。
そんなわけで帰路は一目散にスピードアップであった。
その地の人たちが本当に久しぶりに我が家の親父を訪ねてきた。
小熊さんと名乗るお二人に斎藤さんの3人である。
“ヨイドさん”こと小熊さんのお爺ちゃんは今年で82歳だという。
当時を偲ぶ筋骨隆々の面影いっぱいであった。頑丈で頼りがいのあるお父さんであった。丸太を楽々と一人で背負えるエネルギーを持っていたように思う。
その“ヨイドさん”の身体は大きい。対するうちの親父は小柄である。
並べば大きさの差は歴然としていた。この当時、私にとって最も印象に残っていたのが、大柄の“ヨイドさん”が小柄の親父に、かける言葉が「親方、今日の仕事の段取りはこれこれしかじか・・・・」「親方、明日も宜しく」「親方、・・・・」といつも、親父を呼ぶ時に「親方」と言って話を進める。何とも小気味良い関係であった。
当時、その小熊さんのお父さんを呼ぶ呼称が“よいんどんの父ちゃん」であった。
この響きも一言で私を当時にタイムトラベルしてくれる特殊キーワードであることは、今でも変わりないことであった。
屋号は“よいんどん”だからいつも“よいんどんの父ちゃん”と誰もが呼んでいた。:懐かしい響きである。
「よいんどんの父ちゃん」と耳に届くだけでその当時の風景と匂いが一瞬にして届いてくる。
ニックネームはその時代を特定〔立体的な状況把握〕するのにとても便利なキーワードであるばかりではなく、“名は体をあらわす”様にニックネームはその時代の風景・環境を一瞬に垣間見させる力を持っている。
オー!ノスタルジア。
それ以後、大病も経験されたと聞いた。ご高齢になられて一言一言に涙汲まれる親分を見ていると私も時の重みを感じて、心しみじみになってしまった。
何時までも何時までも元気であられる事祈念!又遊びに来てください。有難うございます。(新潟日報掲載コラム1)
*フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に拠ればマルティン ブーバーの思想は「対話の哲学」と位置づけられる。
対話の哲学とは「我」と「汝」が語り合うことによって世界が拓けていくという。
ブーバーによれば科学的、実証的な経験や知識は「それ」というよそよそしい存在にしか過ぎず、「我」は幾ら「それ」に関わったとしても、人間疎外的な関係から抜け出すことはできないという。
その「我-それ」関係に代わって真に大切なのは「我-汝」関係であり、世界の奥にある精神的存在と交わることだという。
そして、精神的存在と交わるためには相手を対象として一方的に捉えるのではなく、相手と自分を関係性として捉えること、すなわち対話によってその「永遠のいぶき」を感じとることが不可欠だとする。

”よいんどんの父ちゃん”良い響きだ 我が家の茶の間で記念写真 我が家の玄関前で記念ショット

昔の製材工場がプレカット工場に! モクード設計室にて
ポスター売りの紳士?りんご売り!花売り少女!マッチ売りの少女!
アーキニアリングデザイン展(AND展)の東京凱旋展示会がオープンした。
氷の世界!井上陽水の名曲である。
「窓の外ではリンゴ売り、声をからしてリンゴ売り~」 :この詩は難解だ!勝手にマッチ売りの少女をイメージしてしまっている自分がいる。そして、「~きっと誰かがふざけて、リンゴ売りのまねをしているだけなんだろう~」と投げやりな詩が続く。
秋山&斉藤のコラボレーションのAND展記念ポスター売りの実験をしてみた。決して、いい加減にふざけていた訳ではないが中々売れるものでもない。1時間に10組を売ろうと意気込んだが結果は惨敗:3組しか売れなかった。ポスター売りの紳士はそれでも売り続けた。アーキニアリングデザイン(AND)展が東京丸ビル内のマルキューブの大吹抜け空間でオープンした。期間は2月26日~3月7日の10日間である。1階の1/3くらいのスペースと3階のギャラリー空間を使っての展示はとても見やすく、各々の作品の一品々々が逸品になってくれているから一層嬉しい。AND展は一昨年2008年10月17日~28日:東京港区芝にある日本建築学会建築会館から始まって、全国10箇所を回り、今回が凱旋展示である。第一回の開催会場は、130点という膨大な模型達がところ狭しと配置されていたが、この度のマルキューブの展示空間はとても見やすく、模型たちを引き立ててくれている。
サブタイトルは「模型で楽しむ世界の建築」である。主催者代表の斉藤公男日大名誉教授に拠れば展示数も30%ほど少なくし、ドームを中心に置いたことでシンボル性が出来、今回の展示会の主旨が一目で分かるようにしたかったと言っておられた。裏話に、垂れ幕看板を作ろうとしたら120万円も掛かるといわれたのでドーム模型を置いたというのは何とも面白い。1階ホールもさることながら3階のギャラリーは、一品々々がジュエリーの展示配置のようにされていたから余計に魅入ってしまう。丸ビルの中を通る人の流れは半端ではない。夜になっても多くの方が来場してくれた。
ただ、午後直後はパタッと流れが止まった。人々の流れが止まり一点を見つめている。大吹き抜けに設置されているスクリーンに写しだされるフィギュアスケート競技である。そう、浅田真央ちゃんが銀メダルを取った演技と表彰である。秋山孝多摩美術大学教授と斉藤公男日大名誉教授のコラボによるポスターは会場を一段と華や貢献してくれていた。このポスターをいくらで売るか?又売れるだろうかと?ミーティングを重ねたが、いざ販売となるとそう簡単ではなかった。会場で模型に魅入っている来館者に一声二声掛けて勧めても中々難しいものである。来館された私よりの2歳年上だというサラリーマンらしき方が、設置されたドームを見て富士山の山頂から持ってきたのか?と話しかけられ、焦点を得た話だったので限られた時間の中にも長時間を取って話し込んでしまった。それならそれで、この方からポスターをご購入ただこうとターゲットを絞ったが、結論から言うと「ポスターそんなのいらないよ。もう定年だよ、今後どうしようかと思って、小遣いも少なくなるし。」と一蹴された。そこで話は終わると思いきや、更に話は続く「ところでタバコ吸うか?酒飲むか?60代の友達が4人仲間のうち3人が逝ってしまったよ。気をつけろよ。」私に向かって、「でも還暦の割には若そうだな?」と持ち上げてくれたのが唯一の収穫????この会場は一体何を伝えたいのだ?ピント外れながらもかなり楽しく絡まれたりしたが、結局ポスター購入はしてくださらなかった。時間を掛けただけに残念。りんご売りの少女から、マッチ売りの少女になったような心境でちょっと寂しいような悲しいようなイメージに映るかもしれないが、本人はいたって元気ゲンキンである。得た収穫は「酒飲み過ぎるな!お互いに元気でな」ご忠言有難う。さようなら。当初目標を10組販売と自分なりに目標を置いたのだが、中々難しい。それにしても丸ビルマルキューブのホールで売り子になる経験は、そうそう今後ともできる体験ではないだけに新鮮でもあった。
最初はダイレクトに学生達をターゲットに薦めたが全然乗ってこない。それでも大学の建築学科で構造を目指している若い2人からは、斎藤先生をご存知であったので購入していただくことが出来た。勿論、それなりの仕掛けを作った成果といっていいかもしれない。パズルに挑戦してもらって3分以内に完成したらポスターを差し上げます。と言うと乗ってくる方も漸く出てきた。そんな仕掛けをしたのである。長岡木族の会の今年の会長である渡辺工芸さんがリプチの森のカレンダーの絵柄を使ったパズルを作ってくれた。それをヒントにAND展のパズルを作ってもらうことにした。それを先生にプレゼントすることにしていたが、急遽ポスター販売支援ツールにしたのである。バラけた駒を男性は3分以内。女性は5分以内に完成させたらポスターを差し上げると言うきっかけ作りであった。出来なかったらご購入いただくという条件で!流石に完成することができた人はいなかった。
約束の時間が近づき私の販売時間は終了した。成績が前述のように100点満点中30点となれば不可であるが、3割打者と考えればマーマーであると一人合点した。AND展を契機に恒例の斎藤先生を囲む会が持たれた。世界の建築(構造デザイン性に富んでいる建築)を見る6会からなる45人の参加者であった。丸ビルは三菱地所の持ち物。三菱地所で建築構造を担当しているT.Yさんリードで丸の内界隈の地所物件をいくつか散策することになった。ジャパンポストはドイツポストを手がけたヘルムートヤーン事務所+ゾーベック事務所のコラボ!はこれからの楽しみな名所として誕生することだろう。三菱の創始者は今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で大活躍の岩崎弥太郎である。三菱が夢見た美術館でマネとモダンパリ展が開かれるという。三菱一号館美術館は英国建築家ジョサイアコンドルの設計である。(現在の建築は再生されたものである。)丸の内界隈をこのように歩いたことは無いだけに楽しいひと時であった。懇親会では東京スカイツリーを手がけている人やその両側で高層建築している連中や、全国世界でスペースストラクチャーに携わっている方が多数おいでであった。「森君は頑張っているか?」長岡出身と自己紹介したら長岡市長と大学同期の方S.Tさんが声を掛けてきた。森市長が北京勤務の時期、自分は上海勤務だった。と、中国の建築経験を楽しそうに話しておられた。大学のOB会と違って出身大学も様々設計事務所建設会社建築資材などなど多種多様の構成であった。飲み放題と言いながらも2時間の会は誰もが多弁で自己紹介で終わってしまった。しかし、内容は大変刺激になった。私にとっても大切にしたい会の一つである。この日に間に合うように、ムック本である「建築ノート」が発売された。斎藤先生の特集が行われている。眺めるだけでもとても楽しい本である。ポスターの時にセレクトした建築作品に対する思いを斎藤先生が語っておられた。セシルバルモンドとの対談の特集記事が載っている。
そして主題はポスターに掲載されている斎藤先生の10のスケッチからのご紹介である。是非とも手元に一冊!ポスターと両方でご購入を!

マルキューブ大画面に魅入る人達 真央ちゃん声援に通行人も釘付け 3階ギャラリーもスクリーンに魅入る

右スクリーンではなく左模型を!と? 受付スタッフはスタンバイ 真剣にパズルと取り組む来会者
漸く戻ってきた来会者達 夜も沢山の方が見えられた 斎藤先生もポスター前で大満足

ポスターの主役:サルギナトベール橋 国立屋内総合競技場(代々木体育館) 現在でもストラクチャーデザインNO1
せんだいメディアテーク模型 シドニーオペラハウス模型 20万戸分ソーラーチムニー計画

三菱1号館模型(ジョサイア・コンドル) 囲む会で自己紹介する秋山孝先生
内容豊富なムック本〔建築ノート) ところ狭しと斉藤研究室の模型達 紹介されている10のコード

パズルゲームでポスターゲット? 中々難解なパズルコード
シミワタリ(凍み渡り・染み渡り)は朝のワクワクする感動散歩である。
2月22日(月)は大変素晴らし天気になった。この季節にとても小さな喜びがやってくる。心ワクワクしながら朝の散歩に出かける。雪の上にそっと足を乗せてみる。・・・・オオオ:ヤッター!シミワタリ(凍み渡り)が出来る。このときの喜びは格別である。
“水は方円の器に従う!”とは良くぞ言ったものである。形は自由に変わるが、体積は一定である。水だけでなく一般的には方円の器に従うものを気体と液体といっているのかもしれないが。
人々の心も様々な器の中で順応していく能力を持っている。液体とまでいえないが、半液体・ゼリー状態と言っていいかも知れない。決して頑固な固体ではなさそうである。
水分子は一個の酸素原子と二個の水素分子が結合して形成されている。 水から温度を奪うと氷が出来る。私の専門外であるが酸素と水素の結合の仕方が違ってくるという。液体から固体へ!反対に水に温度を加えると蒸気になる。液体から気体になるのである。 液体をジャンプして直接気体になるドライアイスのように昇華するものもあるが、水の様に多くの物質は「固体―液体―気体」へと順序良く変化する。水であればアルキメデスの原理のように浮力がバランスするまで沈む。しかし、厚氷の上であれば人々は歩くことが出来る。スケートは現在バンクーバーオリンピックで華を咲かせている。氷の上では様々に楽しむことが出来る。氷は水と同じ分子を持つ:水の上を滑っていると言ってもいいものだろうか?散歩しながら考えていると、今朝は雪の上を歩いているではないか。そう、雪の降った冬の楽しみの一つにシミワタリ(凍み渡り)がある。シミワタリの感動は何と言っても自由散歩である。同じH2Oの分子を持ちながら、水は雪になり、雪が凍み固まり、人が乗ってもその体重に耐えてくれる。
普段は道・路と言う上を歩きながら散歩するわけだからかなりの制限が加えられていることになる。しかし、シミワタリが出来るようになると道路に制限されること無く雪の上を自由にジグザグにでも行くことが出来る。行動範囲がかなり広がり景色が変わってくる。田圃に積もった雪の上、土手の水際・鴨たちがびっくりして逃げるまで近づき自由に歩き回ることが出来るのである。この朝に出会った鴨たちは以後私を奇跡の人と呼ぶかもしれない?
シミワタリの醍醐味は自由移動である。宇宙飛行士が重力から開放されて空中遊泳するに匹敵するといっても過言ではない。それぐらいに雪国人の生活は雪によって制限を加えられていることになる。シミワタリ(凍み渡り)が出来るのは晴れた朝である。2月末から3月にはいると気候は段々暖かくなり日中は雪が融け始める。しかし夜になると温度が下がり、急激な冷え込みで再び固く凍りつく。これが、シミワタリ(凍み渡り)の出来る原理だ:しかし今冬、昨年の12月28日、12月にしては珍しくシミワタリが出来たのである。暖冬の証拠だとばかり思っておったが、その後それなりの量の雪を見ることになるが。
忍者が水上を歩くことが出来るのはカンジキみたいなものを着け足裏の表面積を多くしてその浮力を利用しているものである。
バイブルに水の上を歩かれたイエスが描かれている。それを見た弟子達は大変な驚愕を覚える。幽霊ではないかと勘違いするくらいであった。船の中にいた弟子のペテロは自分も水上を歩くことを乞うのである。そしてイエスのほうまで水上を歩いていくのであるが、途中で水の上であると意識した途端に水に沈んでしまう情景は私達に多くの示唆をしてくれている。
シミワタリ(凍み渡り)が出来る朝でも雪の上を歩くことは出来ないと既成概念で思い込んでいる人は道路の上を歩くことしか思考経路が無いのである。私が歩けるよと言って教えてやると漸くその喜びを共有することが出来るのである。 これからの朝の散歩は、まず、雪の上に足を乗せてみることから始まるのはシミワタリ(凍み渡り)が出来るかどうかを最初に確認する。散歩の途中や最後に分かった時には失った喜びの大きさに愕然とすることになるから。(ちょっとオーバーかな?)
同じ分子記号で出来ているのであるから、私も水の上を歩いたことになる???? 同じ分子を持ちながら音熱環境が変わると液体から固体になる。又反対に気体になる。同じ固体でも雪と氷では表情・様子が全然違う。シミワタリ(凍み渡り)は単なるシミワタリ(凍み渡り)では無く、私達の身の回りにはちょっとした仕組み、システムを変えるだけで大化けすることがあることも示唆してくれている。
持っていないものを嘆くな!持っているものを感謝してそれを組み立てていくことで新たな風景を見ることができるということでもある。 ナイナイ条件を嘆くのではなく、アルアル条件で新しい環境を生むことが出来る。今現在は大変厳しい年でもあるが、同じ環境下でも新しい発想で組み立て新しい生命を生むことが出来るのである。そのためにも可能性を信じて挑戦する思いを持って掛かる必要がある。思うことで行動が変わり、繰り返されて習慣になると言われている。習慣が繰り返されるとその人の品格が生まれてくると言われ、その品格がまさのその人の人生そのものであるから。同じ水滴でもある距離ある角度から見ることでより美しい虹が架かる事を私達は充分経験している。単なる水滴にしておくか大きな希望を持った虹にするかは、それを観る人の意識に影響される。同じ食材を使っても料理人によって出来具合は全く変わる。そんな料理の鉄人は人気番組であった。
・ 素材でも環境が変わると変化・変形するのである。我々は同じ環境条件下で見方・考え方が変わると完成形が変わるのである。この時代に、この時代だからこそ大いに知恵を働かせて様々なアイディアを生み出して行きたいものである。
シミワタリは雪の上を凍み渡り、染み渡りでもある。五臓六腑にシミワタルのは何もビールだけではない。凍み渡りを作る空気こそ五臓六腑に染み渡るのであるから。

体重を支えるシミワタル雪 私は水の上、いや雪の上を歩いている 若棟梁が走っても大丈夫

普段と違う田圃の上から東山を観る 高圧送電線の真下まで来てしまった 太田川の川面まで接近することが出来た

足跡の比較 雪の上を歩いていると気がついた時:ドボン
アーキニアリング・デザイン展(AND展)の東京凱旋展示会がオープンする。
いよいよ、アーキニアリング・デザイン展が東京に凱旋展示される。2月26日から丸ビル内のマルキューブで展示されるのである。
そのポスターの印刷が進められている。大変盛りだくさんな内容を持ちながら展示場が狭すぎるとそれ自体が持つエネルギーが伝わらなくなる。マルキューブは大吹き抜けの空間の1階ホールと3階ギャラリーを使っての大展示である。その展示会を告知するポスターが印刷される段階に来た。秋山孝先生のデザインと斉藤公男先生のスケッチによる鮮やかなコラボレーションポスターである。最終調整ミーティングである。とても期待しているポスターである。
話が一通り終わったころ齋藤先生からセシル・バルモンドと対談特集が建築ノートに掲載される。編集側も大変なセンセーショナルな記事で売り方を今までと少々様相を変えるというらしい。そちらの販売も同時に丸ビル会場で行われる。
おりしも3月22日まで東京オペラシティアートギャラリーで“「エレメント」構造デザイナー:セシル・バルモンドの世界展”がオープンしているから是非とも見るようにと齋藤先生からコメントがあったので出かけることにした。期待は見事に成就させられた。
会場は以前、建築家:藤森照信氏の展示会でも大変感動したギャラリーである。セシル・バルモンドは斎藤先生と非常に似た建築家・構造デザイナーである。とても異様なバナーの氾濫ゲートから展示は始まる。上手く表現できないので、案内コメントをここに転記することにする。そして、皆様是非とも機会があったら足を運んでいただきたいところである。
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セシル・バルモンドはエンジニアリングの枠を超えて建築家と創造的な協働を行う構造デザイナーです。
構造デザイナーと聞くと、建築家によってデザインされた建築を、力学や施工などの制約をふまえて物理的に成り立たせ、建物に丈夫な骨組みを与えるための技術的なサポートをする縁の下の力持ちとしての役割がイメージされるでしょう。しかしバルモンドの仕事はそこにはとどまりません。「丘の上に空飛ぶ絨毯のように家を飛ばしたい」「運動がみなぎる四角の箱をつくりたい」建築家から寄せられるこのようなリクエストに独自のアプローチで挑み、彼らの実験的な思考を実現に導くバルモンドには世界の建築家から期待と信頼が寄せられている。
スリランカ生まれ育ち、アフリカ、ヨーロッパで化学、数学、建築を学んだバルモンドは、イギリスの総合エンジニアリング会社アラップに加わり、以来、レム・コールハース、伊藤豊雄、アルヴァロ・シザを始めとする世界の名だたる建築家とともに様々なプロジェクトを手がけてきた。バルモンドが生み出す新しい幾何学は、建築を従来の四角、三角、円を基本とした静的で閉じたものから解き放ち、複雑さをはらんだ動的で有機的なものへと飛躍させて現代建築の可能性を大きくひらきました。最新のコンピューター技術と施工技術を駆使しながらも、バルモンドの思考の原点は私達にとって身近なものにあります。太陽を求めて回転しながら成長する植物、枝分かれする葉脈、燃え盛る炎のゆらめき、刻々と変化する陽の光。自然のしくみに注目し、その豊かで美しい秩序を構造に採り入れるバルモンドは、建築に脈動、鼓動を与えて命を吹き込みます。
バルモンドがデザインする構造は、その建築を訪れる人々の奥底に眠る本能を呼び覚まし、感覚と知性を刺激します。自然の形を模倣するのではなく、その根源にある美しさを抽出して広がりを持った幾何学へと展開するバルモンド。展示室をいっぱいに使ったインスタレーションによって、バルモンドがひらく建築の新しい世界を体験していただきます。
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セシル・バルモンドの所属はArup AGUである。AGUは、Arupの内部に設けられた、建築家、エンジニアからなるリサーチに主眼を置いたデザイングループである。
AGUとしてデザインする一方、他の建築家やエンジニア、アーティストとコラボレートしてデザインを行う。幾何学的な形やパターンから自然現象に至るまで、物事の構造的なダイナミックを研究することで、AGUは建築の形やつくり方のまったく新しい考え方を生み出そうとしている。
AGUはセシル・バルモンドによって創設され、彼の抱く形の発生や科学と芸術の重なり合いへの関心によって発展してきた。
音楽や数字、数学は彼の発想の生きた源である。バルモンドの仕事の特徴は、理論を解放的な方法によって視覚化することである。それは美学の新たな科学的探究といってよいだろう。建築とは一見無関係なデザインの源泉へ入り込み、まだ見ぬデザインの可能性を、煎じ詰めることである。厳格な概念としてのストラクチャーこそが建築であるというバルモンドのデザインへの姿勢は、彼を尊重し、共にプロジェクトを行う建築家の想像力を更に引き出す。
バルモンドは言う。「私は、ストラクチャーを空間の句読点だと思っている、まとまりを持たせたり、リズムを付けたり、これこそまさに建築的なのだ。」
バルモンドは、建築に於ける複合性や豊かさを良いと考えている。それはバロック的でもある。「四角いデカルト的な世界は、限定された空間である。私達はその中に住みその空間を使っている。しかし、一方で、私達は、幾何学を他の方法で捉えることを知っている。わたしは形の中に生き生きとした感覚を取り戻したいと思っている。ギリシャのように、哲学的な基礎に支えられた、生きた有機体のように!」
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「エレメント」構造デザイナー:セシル・バルモンドの世界展を見て
とても斬新な設計手法でありながらも、私達誰もが持っているノスタルジーな世界でもある。自然の世界はフラクタクルな繰り返しでもあるから。不思議な感覚でもある。そんな不思議に大変感動した次第である。
ヒントは屋根の構造に新風を吹き込んだ。
昨年末の24cm積雪に引き続き、新潟市内は81cmと言う積雪を記録した。26年ぶりとか言っていた。雪国には雪が降らなければ見ることができない風景が沢山ある。
その一つに「雪えくぼ」がある。えくぼの素敵な人はとてもチャーミングに感じる。真平な雪原よりも波打っている表情はとても楽しい。田圃に残った水が芸術的に雪を彫刻して行く。
今日は少々真面目な話しである。(私自身はいつもそうだと思っていたが違うと言う人もいたので念のために再確認)雪が融ける姿を見ていると木々の根っこ周りから融けたり、屋根雪もアングルのあるところから消え始める風景は何も目新しいことではない。この風景を”雪えくぼ“と呼んでいる。
目新しくも無いので特段気にも留めない。ところが気に留める人がいる。リンゴが落ちるのを観て重力を発見したニュートンみたいに、雪えくぼを見ていて屋根雪の消雪方法を考え出したのであるから尋常ではない。
“雪えくぼ”が屋根雪を融かすシステムを生み出した。生みの親は新潟工科大学建築学科の深沢大輔教授である。遡ること今から14・5年前の話しである。深沢先生は建築学科の先生であり、建築学会はもとより雪工学会・雪氷学会でも当時から大変ご活躍であった。雪国の建築・特に屋根雪処理の問題・地震に耐ええる建築になると情熱を持ったお話は、終わる時計をもたれない。流暢な話は内容も濃く一気に襲う情報流量は私の頭脳では直ぐに溢れてしまう。
建築家はご自邸の設計の時にこそ本領発揮である。普段出来ないことをやってしまうのである。必然的に実験的なものになることは避けられない。上手く行って当たり前。出来なければ被害者は家族と決まっている。家族だから我慢してもらえるから実験住宅となる。
そんな先生のご自宅を建てるお手伝いをさせていただいた時の話しである。建設地は雪深い長岡市栃尾地区である。それまでも何度も家の増改築を繰り返されていた。井戸水で融雪する屋根・自然落雪タイプの屋根・無落雪屋根が敷地内に並んでいる。今度は何と雪えくぼ屋根雪融雪工法だというのである。
そもそも、雪えくぼとは雪原にできるえくぼ(“ほくろ”でなく“えくぼ”)である。雪えくぼは、雪消え時に木々の根元から最初に消え始める現象である。グランドにある雪が、鉄棒のある部分から先に融けた風景は、余りにも一般的過ぎて気にも留めないことかもしれないが。どうしてそこから消え始めるのかは定かでないらしいが、地熱の伝達か特殊な赤外線のいたずらか?何れにせよ現象は事実である。その原理を利用しようと頑張られ見事に自宅を完成された先生である。
その件を私なりに新潟日報でエッセイとして紹介させたいただいたときのものを転載することにする。

庭先の雪えくぼ 典型的な雪えくぼ とてもチャーミングな雪えくぼ

雪止めアングルの位置から融け始める 雪ニキビえくぼと雪崩えくぼ 土手 流れ雪えくぼ
NO.21 「雪国の風景④」・・・・屋根に”雪えくぼ”再現(新潟日報2001年掲載)
今回は融雪式についてお話しさせていただきます。屋根の上に雪を載せたままで消そうという手法です。当然のことながら雪を消すために雪一グラム当たり八十カロリーの熱エネルギーが必要です。
初期に登場したのは約14度の地下水を利用しての消雪です。ポンプアップして屋根の棟の部分から放水するのです。井戸堀りのための初期コストはかかりますが、ランニングコストは比較的かかりません。環境に優しい方法ですが、地盤沈下との兼ね合いには慎重を期します。そのほかに温水パネルを屋根下地に設置し循環させる方法などさまざまですが、その熱源(電気・ガス・灯油)を何にするかで費用や効果に差が出てきますので、検討の時には十分注意も必要です。
さて、自然エネルギーを利用した融雪屋根『雪えくぼ』についてご紹介します。開発されたのは新潟工科大学の深沢大輔教授です。栃尾市の自宅を実験棟として建築されるときにお手伝いさせていただいた関係から、とても気になる工法の一つです。春先に木の根の周りから雪が消え、グランドでは鉄棒の周りから先に雪が消える”雪えくぼ”現象(雪原がえくぼのようにへこむことからそのように呼ばれる)をヒントに実験を重ねられ、それを再現しようとしたものです。
融雪式は一般的に雪の屋根底面から考えますが、屋根雪の表面からの融雪は厳冬期においても意外とあるものです。そこで屋根に一辺が150cmの四角錐のピラミッド60個を載せ、表面積を多くして融雪するシステムが自然融雪式載雪型屋根です。ポイントは溶けた水がピラミッドの四面をいかに素早く流れるかにかかってきます。また、ピラミッドの頂点を鉄管で連結し、雪が150cmを越えて鉄管が埋もれたときから「雪えくぼ」の原理が働きはじめます。
これは地下水や化石エネルギーにたよらない自然の原理、エネルギーを利用した穏やかな方法です。ファンタスチックな外観、SF小説に出てきそうな屋根。空から舞い降りてくる雪に語りかける姿はとてもロマンチックでもあります。
人間はお金や技術を持つと何でもできると勘違いし、自分の思い通りに相手を変えることを優先しますが、雪に親しもうとするならば相手を大切にして、自分を変える努力も必要です。雪を地域の欠点とし、克服しようという意識から、雪に親しむ「和雪」、雪を利用する「利雪」という意識を持つことが、今後の屋根雪処理にかかせない、重要なポイントとなるでしょう。
APMが長岡都市景観賞を受賞
この度、秋山孝ポスター美術館長岡(APM)が第三回“長岡市都市景観賞”を受賞することが出来た。
先週の話なので早速、ブログに「ながおかしとしけいかんしょう」と書き始めたら何と変換すると“長岡市と死刑鑑賞”と出てしまった。アレッと思いきやサスペンスもどきのタイトルにハッとしてしまった。何とも危なっかしい変換である。私のブログもそろそろ終了させなければならないシグナルがでてきたような気がする。さっと消そうとしたが、エンジェルスマイルがやってきて何かの暗号ではないかと思い止まり見直すと、やはり何と隠されたコードがあったのである。
長岡市都市景観賞は3年に一回の長岡市が応募者の中から選りすぐれたものを選びトリエンナーレ表彰するのである。長岡市 都市整備部 都市計画課主催の「長岡市都市景観賞について!」の主旨に拠れば「長岡市では、市民のみなさんから良好な景観について考え、関心を高めてもらうことを目的として、長岡市都市景観賞を平成15年に創設しました。長岡市都市景観賞は、長岡市らしい優れた景観を守り、育て、つくることに貢献している建築物、工作物、庭園、樹木や活動している団体などを、市民の推薦をもとに選定し、表彰するものです。(ただし、国又は地方公共団体が所有管理するものは除きます。)」とある。
そして今回の第3回長岡市都市景観賞は、平成21年5月20日から8月31日まで応募し、84名の方から200件の応募があったという。その中から長岡市都市景観審議会より①守る部門:2点 ②つくる部門:2点 ③育てる部門:2点の合計6点が受賞することになった。200件の中からの表彰であるから関係者には余計に嬉しいニュースであった。立ち上げから今日まで、工事・オープン・運営には大変多くの方々のご支援・応援力を頂きましたことここに謹んで感謝申し上げます。又皆様の苦労が報われた思いです。有難うございました。
この受賞は摂田屋・宮内地区では“越のむらさき”と“機那サフラン酒本舗 鏝絵の蔵”に引き続き3番目の受賞である。町から文化の灯火を消さずに済んだことにまず“ホッ!”
APMは大正14年に現在の北越銀行の前身である69銀行の建物として市民から広く利用されていた。昭和56年には北越銀行宮内支店の新築移転に伴って町内で乾物やさんを営まれている田上商店さんに譲渡され、倉庫として平成20年5月まで使われていた。流通業の発達により、倉庫の必要性も無くなってきたところで、地元出身のグラフィックデザイナーであり多摩美術大学教授の秋山孝先生にご自分の美術館として購入していただくことになったのは平成20年5月17日の現場前口頭契約からであった。
当建物はRC壁にタイルを貼ったものであり、屋根は瓦葺・フレンチトラスの切り妻の小屋組である。大正浪漫を漂わせた風格のある建物である。地震等で痛んでいたので歴史的建造物に指定していただくことが前提の県復興資金(耐震補強)援助を頼りに復元リノベーションの出発であった。歴史的建造物調査は長岡造形大学の平山育男教授であった。
そしてオープニングセレモニーは平成21年7月11日であった。大変多くの方から全国からおいで頂き祝していただいたこと、宮内・摂田屋地区にまさに華が咲きました。・・・・・この件については長くなるので・・・・APMホームページもご覧の程を!
さて、表題タイトルの件についての暗号解読は中々難しいが:近代化の名の下に歴史的に意味合いのある建築物がどんどん壊されて姿を消していく。確かに現在バージョンの機能をなさなくなっている建築物は沢山あることは事実でもある。(住宅に至っては全国で700万戸が空き家である。一年間100万戸を切る時代であるから、7年間は何もしなくってもいい勘定になる。勿論こんな簡単な論理ではいかないことは知っているが。)
しかし、大切なのは機能だけでは無いはずである。そしてそのことも充分知っていながらも止めることが出来ないことも多々である。何も語らなくても「存在しているだけで意義のあるもの」も沢山ある。それはモノだけでなく人についても同じことが言える。「いるだけ・あるだけで存在意義のある人・ものがある」。
建築物の解体は人間にとっては死を意味したり・死刑執行と同じように思えるときもある。勿論、人間で言えば時限の中での生命である。次の子孫に継承することでお役目を果たすことになると言えばそれまでであるが。
全国でも歴史的に存在意義のある建築物を保存する運動は続いているが、それでも何時と無く取り壊されていることも見逃すことは出来ない。重要さに気がついたときには後の祭り!は沢山経験している。であるから余計に慎重に!
卑近の例では、直江津駅にあるレンガ倉庫が新幹線工事に伴って取り壊されると聞いた。保存で今まで頑張っていた人たちの汗は無に帰したのだろうか?何とかならないものか?何とかならないものなのだと言う?行政の力も発揮してもらいたいと切に願うものの一人である。
「ながおかとしけいかんしょう」を文字変換したときにでた死刑鑑賞はそれなりに意味を持って迫ってきていたのである。死刑の是非論が重くのしかかっている時代だけにわたし達一人々々はあらためて考える必要に迫られているシグナルでもあった。その前に“長岡市と”と変換されたのには市民力の力をもっともっと出すようにという暗号であったようである。大声を張り上げなくてもよし、目に見えなくてもよし。いるだけで、あるだけで、存在感を醸し出しているものが沢山あることを再認識したいものである。
鑑賞という言葉は美しいものに対する言葉であると言うからこの場合は鑑賞ではなく「感傷・干渉・緩衝」と変換されたら良かったのにと思ってしまった。
何れにせよ、APMが長岡市都市景観賞を受賞出来たことは、APMのサポーターズ倶楽部の一人ひとりの想いが高く評価されたものと思い、皆様とカンパーイ!
有難うございました。新年度の4月からの新計画も着々と進んでいます。皆様に愛される美術館・建っているだけで存在意義のある美術館を目指したいと思います。APM引き続きご支援のほどをお願い申し上げます。(APMサポーターズ倶楽部会長より)
審査・表彰について豊口協委員長(長岡造形大学理事長)より講評があった。「景観という言葉が出来たのは21世紀になってからである。元々景色があってそこに風景をつくり上げていく。近年になって人工的に風景をつくろうとしてきた。結果として自然を排除した風景に不都合が生じてきた。時に法制化され、“つくること・守ること・育てること”の重要性が問われてきた。・・・・・・・受賞を受けたことで新しい責任が市民として生まれたと思って、素晴らしいまちづくりに協力して欲しい。」と!何時もながらの力強い言葉であった。
同席で受賞された「高野(市左衛門)家住宅と積邨(せきそん)ギャラリー飛蟲舎(ぴちゅうしゃ)」の持ち主であり管理者の渡辺洋三さまご家族と同席できたことも大変嬉しかった。渡辺洋三さんのご自宅を10年位前に建築する時に画家であるご祖父の渡辺綱山さんのギャラリーを作るお手伝いをさせていただいたからである。
余談ではあるが、平成15年の第一回目都市景観賞と併設されていた第一回景観行為優良賞を当社設計の“ふくちゃん保育園”で頂いたことも思い出した。

森長岡市長から表彰 ヤッター!と満面の笑みの秋山先生 審査講評される豊口協委員長

受賞者全員の記念写真 秋山孝ポスター美術館長岡 長岡新聞にて紹介

高野家住宅と積邨ギャラリー飛蟲舎 第1回受賞:越のむらさき 第1回受賞:機那サフラン酒本舗 鏝絵の蔵

ふくちゃん保育園(第1回景観行為優良賞)
事実は小説よりも奇なり?
現場は標識よりも奇なり?
年が明けて新年を迎えたと思ったら、もう1月も今週で終盤である。何とも早いスピードである。雪国の風景は、スノー・ベイビィに始まり様々な造形物をつくり出して賑わっている。厳寒期でもやはり朝の散歩をしないと一日が始まらない。沢山の表情が、私のカメラシャッターを催促する。何とも楽しい「時間・空間・建築(?造形)」である。
雪国は、季節によってルールが変わっても暗黙の合意はいたるところにある。特に、道交法は豪雪になるとあちこちに積み上げられた雪で機能しなくなる。反対に標識を後押しして、現場でダメ押しする風景に出会うことがある。
通行止め標識よりも、現場ではもっと強く通行止めを強要する標識風景に出会うことがある。ブルドーザー除雪で堆雪スペースになった道路と見え隠れする通行止め標識は、何とも楽しいハーモニーである。
正に「事実は小説より奇なり!」。と言うよりも「現場は標識よりも奇なり!」である。(どうです?このごろ合わせ!雪国人である私は雪が降ると頭が冴えるのです。そして益々、駄洒落が多くなるのです。)
絵本の国の“バーバパパ”は、様々な姿に変身出来るから子供たちの人気者である。雪国の雪たちも風や温度や水の条件で百変化するのであるから、私は“ジージママ”と呼ぶことにしている。と言うことは、先週書いたスノー・ベイビィはジージママの生んだ子供の一人であると言っても良いことになる。(再発見であった?な?に?が?)
人間の欲望に鳥のようになって空を飛びたいと思うと、飛行機が発明され飛ぶことが出来るようになった。タイムマシーンに乗って、時間をタイムスリップすることもそう遠くなさそうである。と思えばもうすでに昨日夢うつつに親鸞さんに出会ってきた。(五木寛之氏の小説)
絵に描いた餅!とはよく言ったものである。町内の収納コンテナーに描かれた雪だるまが、雪が降ると息を吹き返すのである。絵に描いた雪だるまは餅ではなかった。
事実は小説よりも奇なり!
現場は標識よりも奇なり!

醸造の町”せったや醤油”さんも雪化粧 通行止め標識も肩身狭し 現場は標識より奇なり

雪芋虫 名札に確りと吸着した雪芋虫の足 大河の原型のフラクタクル(工場内土間)

太古に生まれた大河の原型を見る ジージママ1 ジージママ2

ファルコンが着地 尻を車に轢かれた 雪髭爺さんゴミステーション 竹君達と雪帽子較べ

雪ギズモ 雪を待ちに待った雪だるま君(町内物置コンテナ) 雪坊主

ジージママ 陸の波になりたい お母さんに抱っこされた白ちゃん(赤ちゃん) 摂田屋の兵馬俑

桜は二度咲く!事務所前は雪桜 いよいよ冬のオリンピック スケートシューズがアンテナで受信
サプライズ:雪がつくる様々な造形
=水は方円に従う、雪はその水と風に従って、百変化する。また楽しからずや!=
しんしんと降る雪は、音も立てずに静けさの内に確りと積もってしまう。一晩で1m積もってもへっちゃらな勢いである。雪国人が最も嫌う、怖い雪の降り方である。小正月15日には、とうとう津南町で3mを超えた。大雪である。
朝の雪かきをしていると通り行く人達と「降りましたね。お疲れ様ですね。気をつけてくださいね」とか、雪空が続けば「そろそろお天とうさまの顔が見たいね」とか雪が降らなければ決して出てこないコミュニケーション風景でもある。雪のお陰で、初めて会う人にも何の抵抗も無く挨拶できるから、雪国のコミュニケーション・コミュニティーはとても豊かである。
30数年も前の大雪の時に町内のおじいちゃんが一句詠んでいた。「通り行く、大方の人ら、声掛けて、いたわりあえぬ、大雪の朝」正に雪がもたらす雪国ならではの豊かなコミュニティー短歌である。
雪国に適度の雪がないと落ち着かないとも言う。大穀倉地帯である越後、それは豊かな水が育てているからである。冬に山に積もった大雪が、春には融けて信濃川に集まり田畑を潤すからである。コシヒカリは、そんな豊かな水源で作られた大逸品でもある。新潟のお酒はどれも美味い!と県外の方は口を揃える。わが町、摂田屋も信濃川の豊かな伏流水で、醸造業の町を作り今日まで歴史を育んでいる。450年以上の歴史が今も続いている。地球温暖化とエルニーニョの発達で今冬も暖冬小雪と言われていたが、降るべき物が降ってくれて何となく落ち着くのは私だけではないような気がする。このように雪国には豊かなコミュニティーが有り、産業がある。そして何よりも嬉しいのは、全ての大地を覆いつくす白布は、何ともいえない風情をかもし出してくれる。
全地を白一色で覆い尽くす雪国風景を見ると、いつになく思い出す言葉がある。イザヤ(バイブルに記されている預言者一人)書の1章である。「たとえあなた方の罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。」と、とても都合よくこの言葉を思い出すのである。抒情詩に加えて叙事詩も大地をキャンバスに描かれる。雪がつくり出すとても魅力的な造形物が、道行く人たちに華を添えてくれるのである。
それらとの出会いは朝の散歩の楽しみの一つである。どんなに寒くって、どんなに暴風雪でも出かけたい。いや寒さと暴風雪の時でなければ出会えない造形物・風景に出会えるからである。スキーが好きな人なら、樹氷の間を滑りたいと蔵王を思い浮かべるだろう。樹氷は、樹木に雪が氷着して出来た不思議な形である。樹木のオーバーコートと言ったところである。似ているようで、夫々の形は違っているからまるでファッションショーである。
リプチの森に水門柱がある。水の流れで時を知らせてくれるカスケードである。(Reプチの森)
雪が降ると様々なヘアーファッションで、リプチ通りを楽しませてくれる。今年も大賑わいである。ショート・ミディアム・ロングカットからメンズまで大披露会である。ナチュラルなカットからワイルドなもの、セクシーなものと楽しませてくれる。
会期は、結構な雪が降り太陽が出るまでのショートタームである。
そして、雪が降らなければ見ることが出来ないスノーベイビィが、いたるところに誕生するパーキングスペースのキャンバスで、繰り広げられたスノーベイビィショーの作者は、井戸水による消雪水である。(降り積もった雪を消雪・除雪しないとパーキング機能を獲得できないから融雪水を使う)
しかし、一生懸命落ちてきた雪をそんなに早く消して良いものだろうかとひどく感傷的になる自分もいることに時々気がつく。不陸のあるアスファルトに流れる消雪用井戸水は、所々に雪をそのまま残してくれる。その形がとても面白くもある。思わず目と鼻と口を付けたくなってしまう。それから一瞬のうちに成長したり収縮し消滅することは多々である。
大々的な雪上ショーは全国各地で開催されている。雪国ならでの豊かな風景である。雪国人には雪国人の楽しみがある。さて、今朝もスノーベイビィに合えることを楽しみに散歩に出かけるとしよう。

雪原の散歩はなんとも幻想的

コサック帽子 オーソドックスに決まった。いかが? 横顔もいいでしょう

カスケードとコラムのコラボレーション 綿帽子コラム ミディアムヘアー

髪を整えて住まいを守ります。 ロングヘアー ちょっとだけロング

思い切りロング ストーブ用薪の前で融かされる前に!

川面に映るリプチの森のイルミネーション 夜の髪型はセクシーに! 横顔のほうが良いかも?

スノーベイビィ とても楽しい1日になりそう! 翌日のスノーベイビィ

もう少しでスノーマン 大人になったスノーベイビィ
60の手習いならぬが、60-3の手習いであった。裏千家の茶稽古に参加して名ばかりの3年目である。私の伯父さん(87歳)が裏千家の先生をされていた関係で再入門であった。
最初は、窮屈に感じていた茶稽古も楽しくなって来た心境の変化にはびっくりである。正座が不得意であり、書道にも華道にも才のない私にはとても難しい挑戦でもあった。茶道は日本文化を代表する一つであり、しかも最も誇れる文化の一つである。茶道には、建築文化あり・華道・書道・絵画・服飾・料理と総合的な芸術であるからである。
建築設計を生業としている私が、図面上だけで無く茶道の所作をすることで、茶室建築依頼に答えることが出来るようになるために!設計の更なるバージョンアップの為に出来る大切な習い事!と一応はその様に目標を大上段に構えてみたものの、その実行度・成果は遙かに及ばずと言ったところである。
35歳の時に一度お招き頂き習おうと思って通い始めたが、数ヶ月で断念。しかし、今回は出席簿に空白が目に付くが、それでも続いているのは皆様の寛容精神に支えられているからに違いない。元々、女房と娘が真面目な生徒さんであり、一つ一つ確りと覚えている姿を見ると、忙しさを理由に出席率30%程度の私が習い事を卒業するのは、大変遅れることは間違いないことである。勿論、最初から許状や卒業は目的でなかった。茶室建築をするのにちょっとでいいから・話せる程度でいいから、と。そんな気軽なきっかけでの入門でもあった。概論・お茶のさわりだけでも知りたい!であった。再挑戦の時には、社員にも参加を募集したところ私を含めて9名の出発であった。そして今でも元社員も含めて7名が参加して続いている。正に七人の侍と言ったところ?
今年の元旦:1月1日に我が家でお茶をたてた。亭主役が私であるのだから、お客様にはお茶をお飲みいただくというご案内を前もってしないことにした。おいでになられた時に気軽に席についてもらうことにした。そうすることで何よりも私自身が重圧から解放されたのである。準備は、年末掃除の時に夏に洗って準備していた灰を炉に入れることから始まった。ほとんどの準備は女房に任せ、私の仕事は炭をおこし、炭入れ(決して炭手前ではなく)だけである。それでもお湯の沸く音が心地よく耳に届く時には、緊張も心地よさをかもし出してきた。水差し・お茶入れ・棗・建水と持ち出し席に着いたときには、何ともいえない喜びが沸いてきたのを覚えている。(エッこんな感情って私にも有ったのか?と再驚愕でもあり再発見でもあった!)
しかし、我家の和室は京間寸法には作ってなかったので炉の内隅狙いに座ると茶碗と棗を置くととても狭苦しいのである。茶室は京間で無ければ茶事は出来ません。と口癖のように言われる先生の言葉が脳裏をかすめる。畳寸法が江戸間(田舎間)の場合の限界を再認識した瞬間でもあった。京間畳は6尺3寸X3尺1寸5分の茶事ステージの寸法である。
一昨年、町内文化祭の日にリプチの森で茶会を開いた。その時でも、滝沢先生のご指導で、道安好みの三畳下座床の一夜城ならぬ一夜茶室の出現であった。畳の寸法がこんなにも茶事を制約していることを肌で分からせていただいていることでもあった。元旦茶事は、窮屈を我慢しながら自服も含めて五服点てさせていただき、美味しい!結構なお含み加減です。と言われて何ともほっとした一瞬でもあった。そして、滝沢社中の初釜が1月10日に開催された。
正客さんのNさんのお話では、利休さんの命日:旧暦2月28日(新暦では表千家3月27日・裏千家では3月28日)以前には初釜以外にこれと言って大きな茶会は行われないことになっているらしい。つくばいで手と口を清めた後、二畳間を通って四畳半の小間に導かれた。床飾りは昨年と同様に「蓬莱山飾り」であった。とても正月に似合う華やかさと目出度さを彩る材料の組合せであった。
掛け軸は、大徳寺無学書による「偃蓋重々拂瑞雲(えんがいじゅうじゅうずいうんをはらう)」は新年にピッタリで新しい年に迷いやマイナス要因を引きずらないで、払拭し心新たに向かいたいものであると言う先生からの注釈が有った。柳掛けも水墨画のように微妙なカスレを表現していたように感じた。床飾りを鑑賞した後、四畳半では天目茶碗で濃茶を頂くことになった。三種類の天目茶碗は、孔雀天目・油滴天目・禾天目と言われるものであった。どれも素晴らしく私にとっては滅多に使うことなどできない茶碗であった。天目茶碗とは、天目釉と呼ばれる鉄釉をかけて焼かれた陶器製の茶碗のこと。唐物と言われており、今回使用された三碗は南宗の時代の作だとも聞いた。孔雀天目茶碗は、正に孔雀が羽を広げた姿である。天目台「七宝」に載せられて出されたお茶には、初めてのスタイルであったからかなり緊張もした。いずれの茶碗にも幽玄な光沢が眩かった。そして、八畳間に移動して薄茶点前を楽しんだ。
昨年は未熟者で点てることが出来なかったが、今年は遠慮知らずに大変楽しませて頂き点てることが出来た。確かに呑むだけでも茶会は良いのだが自分で点てると一層楽しむことが出来る。あっという間の4時間が過ぎた。会場移動しての会席料理はお茶会の後だけにお酒ともども格別であった。
再々認識:元旦と初釜会(10日)の両方でお茶を点てさせて頂いたが、茶室は京間畳が重要なキーポイントであると言うことを再々認識した次第であった。

つくばいで手と口を清めて入室です 何とも雅な「蓬莱山かざり」 4畳半小間の床飾り

滝沢先生とのツーショットは少々緊張 天目茶碗三碗と天目台 孔雀天目茶碗

孔雀天目の高台部分 油滴天目茶碗 禾天目茶碗

いよいよ私の番で少々緊張? 初釜記念写真 リプチの森一夜茶室の3畳下座床

リプチの森に出来た茶会舞台
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
大晦日から降った雪が、長岡では断続的に降り続いている。そして、元旦には新潟県の週間天気予報マークが雪だるま一色になった。しかし、断続的であるということは、とても助かる。休みなしに降る雪と違って、そんなに積もりはしないからである。
今冬はエルニーニョ現象の発達により、暖冬・小雪と気象庁は長期予報を出していたが、昨年末には24年ぶりの大雪になり、新潟市内の交通機関は大混乱をきたした。
毎年、積雪占いをされている旧酒井無線の酒井與喜夫元社長が、発表される積雪深は、カマキリが産み付ける卵の位置の高さから判断されるというものである。本格的な雪の前に予言される情報のほとんどが的中するという実績をお持ちだ。自然世界の生命とのバイブレーションの共振から、科学的に占うというのだからびっくりする。そして市民はもとより季節物を取り扱う商売をされている人々は、カマキリ博士からの情報をいち早く得て、今冬の冬対策をしていくというから凄い。
大雪注意報は、都市によって違っているそうで、発表基準は、東京・名古屋・大阪で5cm、高知・福岡・鹿児島で10cm、仙台で15cm、札幌・新潟市で20cmと言うらしい。 今冬の新潟市内の積雪量が30cm近くまで積もったから、基準からは大雪注意報発令である。そして注意報を証明するかの様に都市交通の実態も大混乱であった。
しかし、長岡の積雪深2m以上が、一般的であった時代から見ると、この注意報にフェイント掛けられたような、ずっこけ感をぬぐえない。近年は暖冬の影響で豪雪に見舞われることはほとんど無くなったが、反面その分、少々の予報変更でも冬仕事の予定を崩してしまう。果たして、漸く着工内示許可がでたリプチの森に計画されているプチリプチ(サテライト特養・小規模多機能居宅介護施設・地域交流施設の合築建築物)の現場も、雪との格闘をしながら基礎工事を着手中である。
雪雷と強風の時の降雪はそれ程心配ではないが、一番恐いのは深々と降る雪である。昭和36年の時(サンロク豪雪と呼ばれた時、小生は小学校6年生)は、年末から年始にかけて降り止むこと無く、一瞬にして1mずつ積もった記憶がある。当時は道路の消雪・融雪設備が無かったので、道路雪を除雪する手立ては、ブルドーザーしかなかった。屋根から下ろされた雪は、住宅側にブルドーザーで雪を押しのけるか、雪捨て場に持っていかなければならなかった。休むことを知らない降雪であれば「降ろしては排雪・降ろしては排雪」の繰り返しであった。そして豪雪にでもなれば、それもままならず、道路に下ろされたままになってしまう。やがて3mも積もると1階下屋根の雪は、雪降ろしではなく、雪上げになってしまっていた。道路(特に小路)は、完全に機能を失い、都市機能は遮断されてしまう。雪は、子供達にとっては普段は楽しいものだったが、この年の雪だけは、子供ながらに楽しいとは言っておられない緊迫した空気を今でも覚えている。大人達は、毎日々々屋根に上って雪との格闘だった。 この年は、屋根から道路に落ちて怪我をしたというよりも、積まれた雪が、下屋根をゆうに超えていたので、落ちて怪我をするのは、雪道の上から下屋根に落ちて怪我をしたと聞いた。全ての道路網は麻痺してしまった。正に陸の孤島である。そんな時に自衛隊が出動してきた。小さいながらにとても頼もしい限りであった。
大雪になれば、路が遮断されるから、仕事も学校もみんな一旦休みになり雪の降り止むのを待つ、そんな時間軸があった。 しかし現代は、インフォメーションハイウェー(もう古めかしすぎる言葉になったが)で、インターネット網は止まる事を知らず、豪雪等という言葉を持ち合わせていないかのようである。そしてかつての情報遮断・孤島は無くなったといっても過言ではない。
雪国の屋根雪対策も大変進化してきた。
1.人力による雪降ろし屋根方式:最も原始的な対応方式!
2.高床式自然落雪屋根方式:敷地内に堆雪スペースを確保しておく。堆雪でリビングが暗くならないように基礎を高くする高床式との組合わせ!
3.融雪屋根方式:灯油・ガス・電気等を熱源に温水をまわしたり、井戸水熱を利用して融雪する方式!
4.耐雪型屋根方式:雪荷重1.5m~2.5mを耐える屋根!弊社で開発した耐雪住宅のニックネームは「やじろべえ住宅」と命名された。開発された積雪センサーは積雪荷重でたわむ梁を感知し警報を鳴らす。
5.1~4までの方式をハイブリッドした工法まで百花繚乱である。
これらの工法は、建築学会の他に雪工学会・雪氷学会にも発表させていただいた。地球温暖化が今の様に叫ばれる前のことであった。必要は発明(開発)の母!とは正に。
それにしても、「全地を覆い隠す雪景色は全てを新たにしてくれる様で、何ともいえない風情を覚える」程度にしてもらいたいものである。
それでは、今年も良き年である事祈念いたします。

新年明けましておめでとうございます。(リプチの森の土手超えに青空が望む)

水門は確りと機能 太田川のカモ達は寒さが大好き 太田川から東山の雪景色