高田清太郎ブログ

茶室の畳は京間寸法で!



イベント

元旦茶事と初釜に参加して!

60の手習いならぬが、60-3の手習いであった。裏千家の茶稽古に参加して名ばかりの3年目である。私の伯父さん(87歳)が裏千家の先生をされていた関係で再入門であった。
最初は、窮屈に感じていた茶稽古も楽しくなって来た心境の変化にはびっくりである。正座が不得意であり、書道にも華道にも才のない私にはとても難しい挑戦でもあった。茶道は日本文化を代表する一つであり、しかも最も誇れる文化の一つである。茶道には、建築文化あり・華道・書道・絵画・服飾・料理と総合的な芸術であるからである。
建築設計を生業としている私が、図面上だけで無く茶道の所作をすることで、茶室建築依頼に答えることが出来るようになるために!設計の更なるバージョンアップの為に出来る大切な習い事!と一応はその様に目標を大上段に構えてみたものの、その実行度・成果は遙かに及ばずと言ったところである。
35歳の時に一度お招き頂き習おうと思って通い始めたが、数ヶ月で断念。しかし、今回は出席簿に空白が目に付くが、それでも続いているのは皆様の寛容精神に支えられているからに違いない。元々、女房と娘が真面目な生徒さんであり、一つ一つ確りと覚えている姿を見ると、忙しさを理由に出席率30%程度の私が習い事を卒業するのは、大変遅れることは間違いないことである。勿論、最初から許状や卒業は目的でなかった。茶室建築をするのにちょっとでいいから・話せる程度でいいから、と。そんな気軽なきっかけでの入門でもあった。概論・お茶のさわりだけでも知りたい!であった。再挑戦の時には、社員にも参加を募集したところ私を含めて9名の出発であった。そして今でも元社員も含めて7名が参加して続いている。正に七人の侍と言ったところ?
今年の元旦:1月1日に我が家でお茶をたてた。亭主役が私であるのだから、お客様にはお茶をお飲みいただくというご案内を前もってしないことにした。おいでになられた時に気軽に席についてもらうことにした。そうすることで何よりも私自身が重圧から解放されたのである。準備は、年末掃除の時に夏に洗って準備していた灰を炉に入れることから始まった。ほとんどの準備は女房に任せ、私の仕事は炭をおこし、炭入れ(決して炭手前ではなく)だけである。それでもお湯の沸く音が心地よく耳に届く時には、緊張も心地よさをかもし出してきた。水差し・お茶入れ・棗・建水と持ち出し席に着いたときには、何ともいえない喜びが沸いてきたのを覚えている。(エッこんな感情って私にも有ったのか?と再驚愕でもあり再発見でもあった!)
しかし、我家の和室は京間寸法には作ってなかったので炉の内隅狙いに座ると茶碗と棗を置くととても狭苦しいのである。茶室は京間で無ければ茶事は出来ません。と口癖のように言われる先生の言葉が脳裏をかすめる。畳寸法が江戸間(田舎間)の場合の限界を再認識した瞬間でもあった。京間畳は6尺3寸X3尺1寸5分の茶事ステージの寸法である。
一昨年、町内文化祭の日にリプチの森で茶会を開いた。その時でも、滝沢先生のご指導で、道安好みの三畳下座床の一夜城ならぬ一夜茶室の出現であった。畳の寸法がこんなにも茶事を制約していることを肌で分からせていただいていることでもあった。元旦茶事は、窮屈を我慢しながら自服も含めて五服点てさせていただき、美味しい!結構なお含み加減です。と言われて何ともほっとした一瞬でもあった。そして、滝沢社中の初釜が1月10日に開催された。
正客さんのNさんのお話では、利休さんの命日:旧暦2月28日(新暦では表千家3月27日・裏千家では3月28日)以前には初釜以外にこれと言って大きな茶会は行われないことになっているらしい。つくばいで手と口を清めた後、二畳間を通って四畳半の小間に導かれた。床飾りは昨年と同様に「蓬莱山飾り」であった。とても正月に似合う華やかさと目出度さを彩る材料の組合せであった。
掛け軸は、大徳寺無学書による「偃蓋重々拂瑞雲(えんがいじゅうじゅうずいうんをはらう)」は新年にピッタリで新しい年に迷いやマイナス要因を引きずらないで、払拭し心新たに向かいたいものであると言う先生からの注釈が有った。柳掛けも水墨画のように微妙なカスレを表現していたように感じた。床飾りを鑑賞した後、四畳半では天目茶碗で濃茶を頂くことになった。三種類の天目茶碗は、孔雀天目・油滴天目・禾天目と言われるものであった。どれも素晴らしく私にとっては滅多に使うことなどできない茶碗であった。天目茶碗とは、天目釉と呼ばれる鉄釉をかけて焼かれた陶器製の茶碗のこと。唐物と言われており、今回使用された三碗は南宗の時代の作だとも聞いた。孔雀天目茶碗は、正に孔雀が羽を広げた姿である。天目台「七宝」に載せられて出されたお茶には、初めてのスタイルであったからかなり緊張もした。いずれの茶碗にも幽玄な光沢が眩かった。そして、八畳間に移動して薄茶点前を楽しんだ。
昨年は未熟者で点てることが出来なかったが、今年は遠慮知らずに大変楽しませて頂き点てることが出来た。確かに呑むだけでも茶会は良いのだが自分で点てると一層楽しむことが出来る。あっという間の4時間が過ぎた。会場移動しての会席料理はお茶会の後だけにお酒ともども格別であった。
再々認識:元旦と初釜会(10日)の両方でお茶を点てさせて頂いたが、茶室は京間畳が重要なキーポイントであると言うことを再々認識した次第であった。
  
つくばいで手と口を清めて入室です 何とも雅な「蓬莱山かざり」 4畳半小間の床飾り
   滝沢先生とのツーショットは少々緊張 天目茶碗三碗と天目台 孔雀天目茶碗
  
孔雀天目の高台部分 油滴天目茶碗 禾天目茶碗
  
いよいよ私の番で少々緊張? 初釜記念写真 リプチの森一夜茶室の3畳下座床

リプチの森に出来た茶会舞台