高田清太郎ブログ

「近者悦・遠者来!」「遠者悦・近者来?」



エッセイ

遠者悦・近者来:(?)APM〔秋山孝ポスター美術館長岡〕では様々な感動物語がありますが、そのひとつが遠者が来!
論語に「近者悦・遠者来」と言う言葉がある。良き政治をしていると遠くからも民が集まってくると言うことわざである。
中国故事:葉公長官が偉大な思想家・為政者:孔子を招き教えを乞うた「役人が民と上手くやっていくのは中々厄介だ。
政治の要諦についてどの様に考えていられるか?」と。その時に孔子が発した言葉が「近き者悦び、遠き者来る。
即ち、近い者が喜び、その噂を聞いて遠くの者が自然にやって来る。そのような政治ができたら、それが一番いいのではないか」と答えた。この反対を一口で言えば“まず近くの人に喜びがないのに遠くの人が集まってくるわけがない”である。集まり方にも順番があり順序が大切であるといって良い。国家の繁栄バロメーターの一つに民が集まってくるか、反対に離散していくかがある。集まるところにはエネルギーが高まり結果として国家は栄えるのである。(過程は違えど、少子高齢化の日本・減少する人口の国は確りとこのことを肝に銘じなければならない。)バイブルに“汝自身を愛するように何時の隣人を愛せよ”とある。何気なく居ると通り過ぎる言葉であるが、ここでも順番・順序は大切であることを示唆している。まず“本当の意味で自分を愛せない人は他者を愛することができない”と言うことになる。しかし、反対のこともある。
「摂田屋地区に生まれ育った私もつい近年までは醸造の町摂田屋がそんなに凄い町であったとは思わなかった。
外部から来た方が発見してくれて初めて見直す。まさに灯台下暗しある。」芸術の世界で世界的に評価された人でも、遡れば、必ずしも生まれ故郷で最初に評価されていたとは限らない。むしろ、珍しいと言ったほうがいい。
日本国内では評価されなかったが外国で評価されて日本で再評価されるとか?芸術の世界では多々ある話でもある。
ドイツ人ブルーノタウトが日本の美を「桂離宮」に発見した時もそうである。渦中・日常に居ると特に評価するほどのことでもなく、むしろ、当たり前のことが外国人によって評価される例は幾万とある。論語の言葉を逆転してしまっている。「遠者悦・近者来」逆輸入現象もある。ドイツで買った刃物を得々と使っていたら「あ~それ、三条市(新潟県)で作っているんだよ」と指摘されてしまった。思わず“えっ”である。
APM〔秋山孝ポスター美術館長岡〕が7月12日にオープンして1ヶ月以上が経過した。APM来館者が市外や県外からむしろ多くお出でのような気がする。これには我々サポーターズ達にもびっくりである。
情報化社会!情報獲得手段が高速インターネットになったからでもる。一瞬のうちに目的物を探してくれる検索機能付きであるから話は早い。知る人ぞ知る。秋山孝ファンは全国津々浦々までおり、美術館オープンを知って遠方からも沢山の人々が来館された。秋山先生は7月には上海で個展と講演を開催。8月にはタイバンコックで個展と講演を開催。世界中からファンがやってくるのも楽しみである。火曜休館は告知しているのですが、先々週に東京からおいでの方が名詞に「残念,本日が休館でした。」と書き残して立ち去ろうとするところをサポーターズのスタッフ田上さんが見つけて、入場していただいた。(昔の田舎のバスは手を上げると、停留所でなくても止まって乗せてくれる風景は、決して珍しくもありませんでした。そんな懐かしきも麗しき美術館と言ったら良いかも知れない?)この様に、遠方から多くの方がAPMにおいで下さる。その情報を得た地元民が秋山先生を再評価しているのが現実である。建築屋の私達もお手伝いさせていただいた築縁様〔建築主様〕がまずお喜びになる姿を見て次の建築主様がおいでになられる。更に言えば、C.S〔顧客満足〕の前にS.S〔スタッフ満足〕が大切であるという事でもある。又、今を大切に出来ない人に将来を大切に出来るはずがない。小さな事を大切に出来ない人に大きな事を任せられない。と言うバイブルの言葉がフッと頭をかすめた。

   見城美枝子さんも麗〔娘さん〕と来館  見城先生へサインする秋山先生   APMから徒歩5分,サフラン酒の鏝絵の蔵