高田清太郎ブログ

そのまんまが良い。



エッセイ

田園風景はいよいよ稲刈り風景に変わった。日照不足から例年のようには刈り入れできないのではと関係者は心配している。毎朝、稲の成長を見ていると凄い感動を覚える。一つは3ヶ月で1mも茎が伸びるのである。一日1cmの成長と言うことになる。そして、時期が来ると一気に稲穂が姿を現す。前日までは稲穂のイの字も感じさせなかった穂が出揃うのである。
早朝散歩の時に出会う農家の皆様の収穫に対する反応はいまひとつパッとしない。「今年はこの天候だからあまり収穫を期待できない」と口を揃えて言うのである。確かに日射量が平年よりもかなり少ない様である。
そこで水稲現場検証員(?)である私の登場である。毎年のことであるが、散歩途中で米粒を数えるのである。
更に米粒数・米粒の大きさを調べるためのサンプリングを頂くのである。一株からは約28~33位の茎が出ている。
そしてその一茎からは10~13の穂が出ている。その一茎には米粒がいくつなっているかを調べるのが私の楽しみである。
昨年は私のサンプリングでは平均128粒であった。今年のサンプリングからは119粒であった。7%ダウンであった。農家の方が言うのもそうなのだなーとうなずいてしまう。しかし、一昨年前のサンプリングでは同じ115粒であったから、きっと数年間のサンプリングからはそれ程卑下した数字でもなさそうである。問題は一粒々々の質と大きさと甘みである。
大学時代は東京で自炊しながらの生活。一番やっかいなのが食事〔お惣菜を何にするか?〕を作ることである。
ついつい3日分のカレーを作ってしまうリズムは今でも懐かしく思う。そんな時、コシヒカリの新米が田舎から届く。
一緒に届く梅干。炊き立てのご飯に梅干。どうして普段食べている東京で買うお米とこんなに甘味が違うのだろうか?もはやお惣菜は不要。梅干一つ・塩一振りでご飯を何杯でもお代わりできる。
ご飯のことを“まんま”と言う。まさに「そのまんまが良い」=何も味付けはいらない。惣菜もいらない。
実るほど頭を垂れる稲穂かな!と言われるが、まさにその諺どおりの風景を目の当たりにすることが出来る。
そして収穫時期は必ず台風シーズンと重なる。足腰の弱い稲穂は風がちょっと当たっただけで直ぐに倒れてしまう。
倒れると刈り入れに大変労力が必要でもある。台風よ、来るなら稲刈りが終わってから来てほしいと祈るのは人間の勝手であろうか?越後路は質・量共に全国一の水稲産地である。麦の産地ではないが、この時期になると思い出すバイブルの言葉に「一粒の麦、地に落ちて死なずば一粒のままなり、落ちて死ねば豊かに実を結ぶ」とある。季節は動くが、ミレーの落穂ひろいの絵を語るにもっとも似合っているし、大変強烈でもある。〔聞けば敢えて刈り入れ人は10%分を残して刈り入れるという。大地の恵みをシェアリングする習慣には脱帽である〕反対に日本人の観念の中には一粒のお米の中には3人の神様が宿っていられると小さい時から教え込まれる。刈り入れの落ちこぼしの無い様にといわれて育つ。ご飯粒一粒の中に三人の神!食べ残しの時にはお袋の声が子供達には耳にたことなって残響している。
時間と空間:歴史の中で育まれてきた越後生まれのお米たち。幾千年となく地に落ちては実をつける。幾十倍にも、幾千倍にも豊作の黄金色の風景を彩ってくれるのだから。品種改良に改良を重ねて生産地の北限記録を伸ばしてきた。人間の知恵と自然の恵みの協奏を地で行っている越後路の今日この頃である。

   稲刈りをする影武者 実るほど頭をたれる稲穂かな まだまだ青いぞ
   新品の機械で稲刈りもウキウキ 完璧な刈り様は、ミレーの落穂ひろいを思い起こす 2009年度の標本です