高田清太郎ブログ

ウサギ年:水門柱にバニーちゃん耳が!



エッセイ

屋根雪との格闘:再度、雪下ろしシーン!

今回のブログも雪の話になってしまって恐縮である。
1月末で積雪は南魚沼はじめ数地区で4mを超えた。
新潟県内の豪雪地帯ではついに自衛隊の出動依頼がなされた。と思いきや2月に入って急激に外気温が上がった。2月2日からは太陽が覗いている。5日連続の晴れ天気で雪がどんどん消えてきた。連日続いた屋根雪下ろしとの格闘も一服である。
雪国人の知恵で長岡の家屋は従来から雪には強くつくられている。柱や梁材は屋根雪荷重に耐えられるように太く、間隔も小さく配置されているからちょっとやそっとでは雪下ろしはしたくないところでもある。
しかし、かつては構造計算で確認されていなかった家屋がほとんどで、確かに上からはたらく垂直(鉛直)荷重には強く対応されていた家屋も地震が同時に来ることは考えられていなかった。横揺れ(水平荷重)には大変弱かったのである。
長岡地震がやってきたのは昭和36年2月2日の豪雪時であった。「サンロク豪雪」と後に言われた年である。このとき私は小学校6年生であった。今から思うと小さかっただけにとても豪雪であった。皆で何日も屋根に上って雪を下ろす。下ろす先から積もる。
何が豪雪かと言うと時間をかけないで短期間に連続して降り続け2mも3mも積もることである。同じ積雪でも時間をかけて積もる分には対処できるのであるが。
地震の起こった時には屋根から下ろされた雪で一階部分は埋もれていた。長岡地震で倒壊した家屋に特徴があった。一般的には地震で倒壊するのは一階部分であるのだが、一階部分は雪で固定された格好になり、倒壊したのは二階部分が多く被害を受けたと資料にはある。(実際に震源地を見るには当時の交通網から小学生には遠すぎた。)
だから雪下ろしのいらない住宅をつくろうと言う想いが積雪と同時に積もって行った。
建築設計事務所を設立して10年目に銀行マンのクライアントOさんに出会った。銀行マンが家をつくると県外に飛ばされるというジンクスがある。そんな時に屋根雪を下ろす事は出来ない。週末には帰ってきて雪下ろしは出来るから、木造でも一週間雪を下ろさないですむ住宅をつくって欲しいと依頼された。
2m・3mタイプの木造耐雪住宅に挑戦した。やじろべえ住宅と命名された。やじろべえは英語でバランスである。出来るだけ大きな荷重をかけるには偏荷重がかからないことが大切である。
その当時アンケートをとった。“貴方は何時雪下ろししますか?”に返ってきた答えは“隣の人がおろしたから。皆さんが下ろしているから!”であった。
それでは、余りにも原始的である。バランスよく力が配分されるようなプランの模型をつくり力の流れを研究することにした。圧縮力・引張り力・曲げ力・剪断力に加えてめり込み荷重の実験を重ねて一棟目が完成した。
それでも、やはり豪雪になると雪を下ろしたくなるのが人情と言わんばかりに皆さんが下ろすと心配電話がかかってくる。
もう一つの心配は雪の降り止む時期が分からないからである。いざ下ろさなければならない時にはリアルタイムで下ろす人が来てくれない。下ろす人足たちの奪い合いである。
又、降り止んで終わりではなく、雨が降ると雪の荷重がグーンと大きくなる。
であれば余計に正確な荷重を知らないと雪下ろしの信号を出すことが出来ないことになる。ジャストインタイムの積雪荷重計があるといいなと思うのは極々自然思考でもある。
しかし、場所によっては雪の荷重はまちまちである。それならば一層のこと一軒一軒の屋根の荷重を感知するようにすればいいではないか?
建物が倒壊する前にみしみしと音がしたと先週倒壊した家の主人の言葉!音センサーでもいいが、それでは遅すぎる。倒壊する前に必ず部材が撓む現象が起きる。そこで撓みセンサーをつくることにした。
その後雪が降るごとにセンサーチェックに入ったのであるが、安全側にかなり働いていることも確認できた。
“必要は発明の母”と言う。困ったことにこそ解決する知恵がでてくるものである。

 
やじろべえ住宅第一号・第二号(勿論今年ごときでは屋根雪は下ろさない)

   現場の屋根雪荷重を計る。積雪1.7m 比重は0.35(かなり重くなっている)

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雪との闘い:この辺で、忍耐的対応ハードだけでなく、雪国には美しくもあり、楽しくもある風景がたくさん誕生していることを毎日の散歩で楽しむのである。
雨が降ろうが雪が降ろうが(槍が降ろうが?これは困るが)春夏秋冬の朝の散歩は欠かさないことにしている。確かにここのところ寒さは緩んだとは言え、朝の空気はまだまだ寒い。出かけるのが億劫になる昨今でもあるが雪を頂いた木々を見、川を見、山や田圃を見ることがとても楽しい。(凍結道路の時は風景を愛でる余裕はなく、滑って転ばないことにエネルギーは注がれる。)
何れにせよ、私の一日の活力になっている事は否定できないようでもある。
しかし、億劫ではあるが張り詰めた空気や心身ともに毅然とさせてくれる寒気は嫌いではない。出来るだけ防寒具を重ねながら達磨さんの様にころころとしたスタイルで出かける。
そして、何よりも楽しいのは雪たちがつくる造形美である。温度と湿度と風と雪と様々な条件が織り成す自然協奏曲である。折りしも、蔵王からはホワイトモンスター(樹氷)の情報が届く。
何も造形美だけにこだわるのではないが、とてもファニーなかたちや意表をついた雪芸術にはただただ感激である。
シャッター音の連続である。(私のカメラ視線は上手く撮ろうと言う事は一つも無く、記録としてのフォットアルバムである)
去年は弊社工場に隣接したTさんの屋根の上のアンテナにスケートシューズの形をした雪塊が乗っていた。折りしも、その時は冬季オリンピックの最中であった。
先日の寒波の時にリプチの森の水門柱の笠・頭部に二本の角がついたのである。今年は卯年!まるでウサギちゃんの耳である。びっくり仰天!直ぐ隣の立木の枝には樹氷がついていた。この樹氷が落ちて刺さり、そこに雪が付着したのであった。
まるで人間が関与してつくったかのような素晴らしいできである。写真を様々な角度から何枚も何枚も感動しながら撮った。
一度出社してから気になるのでもう一度撮影に出かけたら今度は片耳だけになっていた。すると耳と言うよりも角に見えなくもない。まるで一角獣のよう?これではいけないと悲しんでいると現場スタッフがニコニコしている。
私の心境を告白すると、耳をつけた大工見習いの林君がつくったウサギの耳を加工したと言うではないか?
何と・な~~んと!人の手がくわえられてできたものだったのか?
小さな子供がサンタクロースがいると信じていたのに親御さんが夜中にプレゼントを置いていく現場を見てしまったような感覚であった。
目が覚めなければ良かったのに?の心境であった。再度、写真等撮りに行かなければよかったのに!
一瞬の興奮!夢劇場!
それでも自然に出来たものと思って押したシャッターと人の手がくわえられてつくられたと知らされて押したシャッターがつくる作品には差がでていることだろう。

    ご覧あれ!水門柱の頭にバニーちゃんの耳が見事に出来上がった。             片耳が取れた:一角獣?
              きっとこのツララが刺さったのだろう?? こちらは大変な神楽髪?              >>?????>>

普通にかまくらや雪だるまがつくられる。
冬にしか見れない風物詩は沢山あるだろうが、その代表として雪だるまがある。
誰でもが作る雪だるまであるが、作家によって作風が違う事は当然である。
かまくらで覆えばまるでメルヘンチックな風景を楽しむことが出来る。
家のなかで雪国を楽しむ家族を演出している。
この度、巣舞いづくりのお手伝いをさせて頂いたT様のお宅は床の間の後ろ壁が硝子である。後ろがJRの線路である。時々通る電車や貨物をたたみの間から楽しむことが出来るのである。
玄関ホールから和室の建具を開けると正面に床の間が飛び込んでくる。その向こうにかまくらで団欒している雪だるま君ご家族の向こうに電車が通っていく。
雪国では豪雪ともなれば外と内を断絶してもおかしくない環境である。そんな中で敢えて雪と戯れる内と外を繋ぐ仕掛けは雪国ならではの風情を余計に楽しませてくれる。
雪解けと同時に消える時限ステージである。
このステージは冬だけではなく何時でも電車を楽しむことが出来るが、隠し扉で遮断も出来る仕掛けである。

   T様邸の床の間の建具が開けられると  その向こうには雪だるまが!

                床の間の窓から電車が!    かまくらを楽しむ雪だるま家族            もう直ぐ春ですよ!来年又会おうね!