高田清太郎ブログ

マグニチュ―ドM9(M7の1200倍以上のエネルギー放出):まさに驚天動地!



エッセイ

来るべきものが来た!と予知されていたことではあるが、驚愕しながらも私達はどこかで理不尽な出来事に(納得が出来ないままに)受け容れなければならない場面に直面する。そして時間と共に判明する影響関数を通して状況把握と折り合いバランスを捜し求めるのが人間の性のように思える。
大地震発生直後の地震エネルギーは(M)8.8であった。一日おいてオーストラリアの試算によれば(M)9であると判明マグニチュードは1段階上るとエネルギー換算で約36倍とのこと。8.8から9に上った。0,2の差であるがエネルギー量は2倍の大きさとも聞いた。
この日が来るとは予知されていたが予定の中には入れておかなかった。と言ったほうが良いかもしれない。スケールの大きさからは予知も予定も予想外の出来事である。世界的にも最大クラスであった。
そして何よりも10mの防波堤も軽々と越してきた津波の映像を見るたびにその大きさと恐ろしさの経験は前代未聞であった。
インドネシアのスマトラ島の大津波では津波の恐ろしさを知っていたはずであるが何時しか他人事。しようの無いことである。経験したことが無いのだから。
100年に一回、1000年に一回であっても、そこに遭遇した自分に運が無かったと納得できるであろうか?答えは限りなくノーである。
次から次に入ってくる現地情報!段々と真相が明らかになってくる。明らかになればなるほど大きくなる被害。ヘリコプターの上空から撮影した津波は白いしぶきを上げて波状攻撃をかけてくるのである。しかし、人達の地上視点レベルから映し出される大津波の映像には黒々とした海水が一気に家々をはじめとする築造物や車を破壊し押し流すのである。又、所々にとぐろを巻いている様相を呈していた。しかも瞬時にしての出来事であった。避難する時間が無いのである。
「てんでこ」と言う言葉があると聞いた。津波はてんでこ!てんでこは各自てんで自分を守るという言い伝えらしい。津波が来た時は、子供を捜しに戻ってはならない。親を探しに行ってもならない。そんな時間はない。各自がてんでに高いところに逃げなさいと言うことであるらしい。この度の津波のスピードを映像で垣間見た時には正に体験・経験が生んだ諺であったと言える。
裏を返せば、助けに行きたいが助けられないもどかしさ!てんでが助かった時に助けに行かなかった(正確には行けなかった)事による罪悪感を軽減しようと言うものから生まれた言葉であるとも聞いた。
地震発生後、私の従兄弟姪が行方不明だという。仙台市若林区に嫁いだと言う。最後の連絡は地震発生後、子供を幼稚園に迎えに行くが、車が渋滞していて動かない。津波が迫っているので車を置いて逃げる。と言う伝言を最後に連絡が取れないという。別の従兄弟から電話が入る。親は心配で仕方が無いがどうにも出来ないという。
発生から5日後(6日後?)に生きているという電話が入った。園児達は先生達と車で退避したという。
ヒヤッとした瞬間であった。ここでも「てんでこ」精神が発揮されるところであった。
又、取引業者さんからは建築資材の今後の納入期限については確約できないと言うファックスが続々と届く。工場が津波に飲まれて壊滅的な被害を受けたと言う。高台の工場であるが生産ラインはぐちゃぐちゃになったと、普段気にはしていなかったが東北地方にこんなにも多くのメーカー工場などがあったのかと有事に再確認した暢気さでもあった。
地震は地が震え動く振動である。振動で建物が倒壊して多くの方々が圧死するという。しかし、この度の東北関東大震災では死亡・行方不明者2万人を超えるといわれている。その死因の90%以上は津波被害によるらしい。場所によっては地震周期が長くって建物倒壊しなかったという報告も届いている。何れにせよ戦後の一番の記録的大惨事には間違いない。

7年前のメモリーが突然戻ってくる。
2004年10月23日17:56中越地震はやってきた。あの時は地震という一大事件の渦の真っ只中にいたことになる。
日常が非日常の連続の上に成り立っていると気がつき、当たり前のことが当たり前の事でない連続の上で成り立っていることを強く感じた瞬間でもあった。
答えの出る試験問題こそ特殊解で答えのでない質問の如何に多いことか。一般解が特殊解という海の波間に浮かぶに似ている。
中越地震のときの心境が思い出される。
凄い衝撃!関わった建築物が全部倒壊か損傷を受けたと思った位に!私の職業が終わったと本能的に思い知らされて、深海魚の風景に出会うのである。何故か?幼き日に土手に立っている私を夕焼けがシルエットとして描いている。寂しい風景である。その時間は数分!
「社長・社長!早く家からでください!」と自宅のドアを叩く、やおら叫ぶ声が遠くから聞こえてくる。社員のK君である。私はフット我に返る。(深海魚が消えた瞬間)
そして、震度が大きく振動が激しかった地域から弊社が手がけさせていただいた家を回ったのであるが、一軒として全壊ラベルが貼られる事は無かった。特に震源地でもあった川口(わなず・田麦山)震度7を計測した地域の建物も確りと建っていたのには感動であった。
耐震構造計算では安全だと分かっていても大きな揺れに身体が宙を舞う時には計算感覚で自分の脳も身体も納得させる事は出来ない経験であった。

私達に直ぐ出来る事は?(ボランティアも地震直後には復興の邪魔になるとラジオでは繰り返していた)
① 祈ること!健康に気をつけて下さいとお声掛け!②義捐金を集め届けること③電気を節約すること!まずは取り敢えず出来るところから。
② そして、日常の仕事を確りと実行して被災地の皆様に応援歌を送ることである。

建物破壊被害から津波被害・そして何よりも今回の天災が人災からやってくる原発事故である。福島第一原子力発電所では停電による給水不能で炉心温度がどんどん上っているというトラブルである。炉心溶融が始まれば人体に害毒な放射能が漏れ拡散することになる。
連日TVやラジオ・インターネットでは映し出している。
一基ではなく、一号機・二号機・三号機・四号機と立ち並んでいる原子炉が全ておかしくなった。
避難も20km以内は圏外へ!20km~30kmは自宅内で退避することがすすめられていた。
海外からも支援が続々と届く。原子力発電は世界的に拡がっていくクリーンエネルギーとして期待が大きい時だけに大きなダメージである。
特に断層・プレートの上には絶対に原発をつくってはならない。すると日本では不可能である事はすでに了承済みであった。見てみぬ振りをする。或いは頭かくして尻隠さず的な思考経路を否定することが出来ない。
対応が遅々として進まず、メディアによる連日非難ごうごうのなかで命がけで放水対応を初め復旧・安全確保の自衛隊・消防・警察はじめとする皆様には敬意を表すると同時に本当に感動する次第である。
どうか、この事故が一日も早く終息するように祈るのみである。