高田清太郎ブログ

合言葉は「子供の前では溜息をつかない!」息子の結婚式にて思ったこと!



エッセイ

3月26日(土)いよいよ息子の結婚式だと思うと何時に無く気分がハイになっている。
未曾有の大震災・東北関東大震災発生二週間後が予定日である。被災地情報は次から次へと伝えられ被害は記録を更新し続けている。結婚式の開催には躊躇するものがあった。巷ではほとんどと言っていいくらいイベントの中止情報が届く。特に発生から1週間以内に伝わってくる開催中止情報は誰もが頷けるのである。しかし、私達が中止決定をしなかったのは新潟県中越地震のときの経験があったからであった。
中越地震の時も地震発生1週間は大変な混乱期であった。日一日と情報が更新されて行った。1週間後からは情報も復興方向も級数的に事態が進展していった事を覚えていたのでこの度の影響度も時間の二乗に反比例すると思っていたからでもあった。
それにしても規模が違いすぎるではないかと言われてしまいそうであるが、実際に私達が7年前に経験したものとエネルギーの大きさで比較すると1300倍もの違いである。勿論単純にエネルギー規模で比較することは不可能なことである。被災し心が痛いことにおいてはおなじであった。
特に、復興の前に沈みすぎる空気は如何ともし難いものを覚えた。全部がシュリンクしては真っ暗である。漆黒に一灯は人々に新たなる力を与える。元気のでる情報が欲しいのは皆同じ。
震災の最中に赤ちゃんが生まれたニュースはとても元気がでてきた。9日ぶりに発見されたおばあちゃんと孫のニュースはどれだけ元気をもらったことだろう。
しかし、この度の大震災は津波がもたらす被害の大きさを予知することさえ許さなかっただけに余計にダメージは大きい。そして何よりも遅々として進まない原発対応である。放射能漏れに一定の目処が立てばそれでも一段落であるのであるが益々漏れ濃度が高まっており、避難範囲枠が広げられたのでは一向落ち着かない。多くの人たちが正に懸命の努力をおしまないで現在進行形で続いているのが現況である。中止なら中止:開催なら開催と一日も早い宣言に迫られた。

結論として、結婚式のゴーサインは最後まで変更されなかった。結果としては原発の安全が未解決の中での開催であった。
その様な不安定な中に遠路からも又年度変りのご多忙の中、多くの皆様から心労を背負いながらお出掛けいただきましたこと新郎の親として衷心より感謝申し上げる次第である。
大津波で多く尊い命が落とされました。もう既に、死者確認数一万人を突破したとニュースで話していた。規模に於いても誠に痛ましいことであり比類を見ないものになってしまった。
ここにあらためて冥福をお祈りし、一日も速い復興を祈念する次第である。
元々、開催コンセプトは息子清之介君の友達を中心にして静かに食事をする会にしたいと言う事であった。しかし開催されれば、来賓・友人・知人・親戚・出席者の皆様からは力強い声援を頂いた次第である。
私自身が息子の事は一番良く知っていると思っていたがご来賓・先輩・同僚・友人・の皆様からご挨拶頂いた中で本当に知っている部分は少ないものだなーと思った。つまり、皆様から生かされ本日に至っておるのだなーと言う実感がずしんと覆いかぶさってきた事をあらためて確信した次第である。

事業をやっている者にとっては規模の大小にかかわらず、いくつかの大きな乗り越えなければ成らないハードルがある。そのひとつが事業継承である。(この度のような不測の事故・天災によって自分の意志とは違って断念せざるをえないこともあるかもしれないが?)
新郎は我が家の長男!姉弟が三人で、姉・姉・一番下の長男である。古めかしい限りと言われればそれまでであるが、我が家は親の代(私が生まれた年)から材木店を自営しておりましたので、代次ぎの男子誕生は暗黙の期待・必要条件であった。漸く3番目に男子が生まれると自営業の欲目からといってしまえばそれまでであるが、お付き合い頂いたお取引様(特に工務店・大工さん)の皆様の目が変ったように思ったのである。しかし、事業を継ぐかどうかは本人次第である事は勿論である。それでも小さい時から建築と言う仕事を一緒にやろうと言う暗黙の了解は出来ていたと思う。(思うのは親の勝手?)
関西人の藤原先生が我が家にやって来たのは25年も前のことである。“高田さんも事業継承を期待しているのであれば参考にして欲しいのが魚屋さんの家継ぎに成功したお話”であった。
何でもその地域の五軒の魚屋さんの内四軒が店を閉めてしまった。一軒だけが現在でも引き継がれていると言うのである。何でも、以前は五軒どこも繁盛していた魚屋さん達であったが、大型店進出で経営は今まで以上に厳しいものになってしまった。同じ売上のためには今までの倍以上のエネルギーを使わなければならない。疲れも溜まる。家に帰って夫婦の話しにも必然愚痴が出るのは人情でもある。『あ~こんな仕事なんかやっていられね~よな!』その横で赤ん坊が寝ている。スヤスヤ!と。・・・そうスヤスヤと眠っている?
確かに赤ちゃんはスヤスヤと寝ていたが無意識回線までは閉じられていなかった。ちゃんと情報が確りと脳に暗黙の内に蓄積されていたのである。
時期がやってきて事業継承の話を持ち出しても、その仕事自体を両親を苦しめた敵くらいにしか思わなくなくなっているわけだから継ぐわけがない。これは四軒の魚屋さんの話しであった。
次に、事業継承に成功した魚屋さんの話に耳を傾けると,これと全く逆であった。しかし、状況は前者と同じようにつらい。子供が寝入っているところでは、「かあさん、俺達の仕事はいいもんだな~。今日もお客さんから喜んでもらったよ!あの魚では褒められたよ。」と良いこと尽くめをするのである。寝入っている子供の耳を通してプラス思考の波は脳に蓄積される。ドーパミンが全開!確りと蓄積される?様な気がする。
そして、時期が来ると必然的に継ぐようになる。喜んでいる仕事や誇りを思っている仕事を回避する障害物が何も無いからである。
この話しはとても感動して聞かせていただき、我ら夫婦も出来るだけ実践することとした。
合言葉は「子供の前では溜息をつかない!」であった。

* 息子:清之介君ご紹介!建築に関わることだけのプロフィール
・ 保育園は宮内中央保育園!年少のときに建て替え計画が持ち上がる。弊社で設計監理を受注する。必然的に力が入る。保育園時代はその建築空間で過ごす。
・ 小学校4年の時に親と子の建築講座に初めて参加!私の恩師斎藤公男先生が全国周って教えておられ会に参加したのである。第一回目開催年の新潟県会場は新潟県立自然科学博物館(丁度弊社の新潟営業所のまん前)であった。初めは興味を持つだろうか?早く帰ろう等と言わないだろうかと親として一人案じていたが、息子の目がじっと話術巧みに模型を通して話される斎藤先生の姿を捉えて離さないのである。
・ この時(10歳)から確実に進む方向が建築に舵を取ったと確信したのである。
・ 高校では理数系:建築学科を目指す方向に迷いは無かったと聞いた。
・ 大学は誰が何を言おうが最初から早稲田と決めていたみたいである。理由は、何でも大隈講堂が大好きで、その大学へ!大学院生になってからはアパートを大隈講堂から歩いて1分以内の直裾元で下宿をするくらいであった。
・ 研究室は吉阪隆正先生の流れを汲む古谷誠章研究室と何時に無く決めていた。
・ 卒業後の就職は組織建築事務所は何のためらいも無く佐藤総合計画様:大隈講堂を建てた佐藤武雄先生の事務所である。(新潟では新潟県民会館も名作の一つ)
・ 結婚式に参列していただいた佐藤総合計画の上司:早川プロジェクトリーダー様・長井様はじめ多くの諸先輩・同僚からは四年間という短い(親の私にとってはとても長い)期間ではあったがご指導頂き感謝申し上げる次第である。
・ そして、昨年4月に現在の高田建築事務所に入社してくれた。今年4月からは企画室長として活躍することになっている。是非とも新しい家庭・世帯を持つ機会に心新たに建築という仕事に邁進していってほしい。

贈る言葉は:私の座右の銘:「いつも喜んでいなさい!絶えず祈りなさい!全てのものに感謝しなさい!」
この言葉はバイブルに書かれているパウロさんの言葉である。パウロさんは当時天災・人災含めて何度も死と直面しました。苦衷のなかでの言葉である。世の中、出来ないことだらけである。だからこそ、「喜び」・「祈り」・「感謝」せよ!と現在の私達にまで届く声なのである。
どんなにマイナスのことがあろうが前を向いていくことが大切!人生は順風満帆ではないことが沢山ある。当たり前!むしろ大波が次から次へと襲い掛かるものかもしれない。しかし、その波も必ず乗りこなせる波であることも確信するものでもある。本日からは二人では無く、一体として同士として、その一つ一つの大波に確りとカップルとして進んでいってもらいたいと、節に祈るものである。

* P.S
超ご多忙の中、司会を受けて下さった近藤麻智子様(元NSTニュースキャスター・清之介君の中学校・高校・大学と同期)大変有難うございました。
星野徹さんから新郎新婦の出会いをつくって頂き感謝!
本日、テーブルには新潟銘醸の吉澤社長から心を込めたお酒を飾っていただきました。ラベルは秋山先生+斎藤先生コラボ作品。(ラベルは秋山先生が高田建築事務所のラベルとしてつくって下さったものです。大変美味しいお酒であった。何でも乾杯酒の大吟醸酒は今年の県内一位受賞作品とか。かたじけない!)

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