高田清太郎ブログ

三代夫婦の渡り初め



エッセイ

摂田屋橋の竣工式・渡り初めが行われた。

* リプチの森は二つの川に挟まれている。もっとも摂田屋は元々豊かな水源を頂いている土地であり醸造業の発達を促した。
・ 川の一本は一級河川の太田川である。昨年には護岸工事と共に川幅が拡幅され、同時に川底を下げる工事が行われた。当初は川幅全体が対象であったが、東日本大震災の復興資金に予算が回されると言うことで急遽半分だけの工事になったがそれでも洪水対策には十分の様である。
・ もう一本は稲作用水のために造られた福島江である。取水口は信濃川である。季節ごとに要求される水量は人工調整が出来るから氾濫の危険のない川である。春から夏にかけて水稲に必要とされる水量は大量であるから川面は両岸こぼれんばかりに満々と流れていく。
・ リプチの森と並行して流れる福島江に架かる橋は2本である。北端と南端に接続する両方の橋幅は3.4mと言う狭小幅しかなかった。緊急車両が入らない。それでは安心して暮らす街ではない。町内会が20年前(リプチの森が誕生するずーっと前:長岡自動車学校の時代)から請願していた橋の完成であるから完成式典も一入であった。
・ そればかりか橋の工事が着工して2年もかかったのであるから工事期間の長さにもびっくりであった。
・ しかし、それには理由があった。用水として必要とされる農繁期は満水であるから工事はストップである。更に冬期間はJRの線路融雪用に使われるので工事が出来ない。ダブルパンチであった。一年の工事期間が3ヶ月である。二年かかったと言っても正味6か月であった。皆様許容の範囲?
・ 橋の名前はダイレクトに「摂田屋橋」である。当初、「リプチ橋」で如何かと長岡市に打診しておったのであるが一企業が開発した町の名前が前面に出るようなネーミングは感心しないと言うことで橋の名前の応募が行われた。結果:そのまんま「せったやばし」である。
・ 摂田屋も1~5丁目+摂田屋外川まで入れるとそれなりに大きな町である。その中に架かる橋も7本ある。代表する名前を頂いた様で何とも言えない感動を覚える。
・ その橋が完成である。
・ 3年ほど前:それは丁度、橋の着工に予算が付いた年であった。佐藤町内会長から「竣工した暁には高田家から渡り初めをしてもらいたい。宜しく!」どうして我が家かと聞くとこの町内で3代続いているのは高田さんだけであると言うのである。
・ 理由は分からずに簡単に「はいはい」と言ったのであるが、三代夫婦で渡るのである。完成近くになってその話を我が家に言うと、条件が難しいことが分かった。おふくろは足が悪く歩くに一苦労だと言う。息子の嫁さんは赤ちゃんが生まれて里帰り中で戻ってくるのは丁度、橋の竣工日の1週間後の予定であった。
・ そのことを話して、男だけの三代で如何かと言うと、それでもしょうがないと言うことであった。
・ 最初から三代夫婦の渡り初めなどと言う儀式に無関心な我が家人である。簡単に考えていたのであるが、いざ竣工式が近づくと近隣の人々・取引先の方々から「いよいよ渡り初めだね。三代夫婦はめったにいないからとても名誉なことだね」とか言われて、今まで消極的受け止め方が一転して真剣に考えさせられるシチュエーションに追い込まれる我が家人の何と感度の鈍さよ!
・ 200世帯ある町内の中で三代続いている家族はないのだと言うことを聞いて、責任感の重圧に再考することになった。おふくろもゆっくり歩くことで了承。息子の嫁さんも赤ちゃんをお母さんに見てもらって参加することになった。
・ 3月31日9:30~11:00の儀式は雨の降る中で行われることとなった。
・ 祝詞が上がり、テープカットが行われ、来賓あいさつ、そしていよいよ渡り初めである。宮司さん・巫女さんを先頭に親父夫婦・私達夫婦・息子夫婦の順で並んで渡ったのである。そして無事に式典も終了となった。
・ 三代夫婦渡り初め:いざ歩いてみて後感想はとてもさわやかな空気を吸うことが出来た。私だけでなく家族全員ではっきりとそう思ったようである。
・ 初めて聞いた儀式:そして初めて渡り初めした経験はとても大きな出来事でもあった。* 三代夫婦による橋の渡り初め儀式はいつのころから始まったかはわかっていないらしいが全国的に行われている事は事実である。
・ 一家三代の夫妻が顕在することは大変貴重でありおめでたいことであるらしい。これにあやかり橋も三代夫婦の様に長生きしてほしいと強く祈願する思いが込められていると聞いた。

* 昨年2011年10月30日に日本橋の架橋100年祭が執り行われた。主催は名橋「日本橋」保存会と日本橋京橋まつり実行委員会。
・ その記事がインターネット上に載っていたので転写させて頂く事にする。
・ 「三世代夫婦による橋の渡り初めの儀式は、現在全国的に行われているもの、いつ頃から行われていたかは定かではない。しかし、江戸時代の絵や書物などで確認することができるという。一家に三代の夫婦が顕在することは大変珍しく、おめでたいことから、これにあやかり「三代夫婦のように、橋も永続して欲しい」という願いが込められているのではないかという説がある。」
・ 昔から「大風には揺れ、津波には流され、その度に造りなおさなければならない村民の負担は莫大であった」ので、世代を超えて受けつぎたいと言う願いがこめられたものと思われます。

 書は町内の内山さん
完成した摂田屋橋を前に神事が始まった!
リプチの森を背景に完成橋全景!


来賓+町内関係者が着席!


宮司さんによる祝詞奏上!


関係者によるテープカット!


親夫婦+子夫婦+孫夫婦:三代夫婦の渡り初め


様々な条件をクリアーしての三代夫婦の渡り初め!大変貴重な体験をさせていただいた事感謝