高田清太郎ブログ

ノー・モア・フクシマ



イベント

ノー・モア・カリワ(カシワザキ)にならない様に!
第14回APM大学校開講

* ノー・モア・ヒロシマに重ねる様につけられた今回のAPM(秋山孝ポスター美術館長岡)大学校のテーマはノー・モア・フクシマである。
・ 正に福島を中心に東日本は三重苦:地震・津波・原発事故!歴史的大事件になってしまった。
・ どれ一つをとっても凄惨な出来事であった。引き金は大地震!M9クラス地震のエネルギーは超大型であった。その結果発生した大津波は最大40mクラスに!人を!建造物を!一気に飲み込んでしまった。死者・行方不明者は2万人に迫った。そして、安全神話の崩れた現実としては原発事故の影響・被害は一年が過ぎても拡がれど終息する様子を一向に見せないのである。放射能汚染で人間が住めない町を作ってしまったのだからその影響力には目を見張った。
・ 2012年秋山孝ポスター美術館が4月21日に開館した。今年の企画展は「ノー モア フクシマ」であった。 ノー・モア・ヒロシマからフクシマそしてカシワザキ(カリワ)にならないように!長岡のポスター美術館での当企画の開催はとてもタイムリーであり意味深長なことであった。あらためて秋山先生の慧眼力とご尽力には敬意を表するものである。
・ 元々ワルシャワポスター展で金賞を頂いた作品:酸性雨で骸骨になって飛ぶ鳥「骨格鳥」は強烈なポスターであり、その後に発生したチェルノブイリの原発事故を予見させていたように思えた。
・ 又、中越地震以後も地震ポスターを企画されていたことから推察すれば当然と言えば当然であるが数年前から「津波」シリーズを作品化しておられたのであった。結果として東日本大津波を予見するかのようであった。秋山孝氏は予言者の様だと自他ともに言うのも頷けるところである。
・ 様々な現象事象を一言集約のように一枚のポスターに表すド迫力に私は何時も圧倒されるのである。
・ 第14回美術館大学校はイラストレーター3名「秋山孝氏・ユージサトウ氏・福田毅氏」の鼎談だと思っておったら建築業を生業にしている長岡住人の私が加えられたのは「柏崎・刈羽原発は大丈夫か?」と暗黙の裡に迫るものであったからである。
・ さわさりとて、単なる住人だからと言っても、この問題が余りにも大きな問題なので自分には参加する資格がないと開会直前まで思っておった次第である。
・ しかし、秋山先生からは中越地震を経験し、中越沖地震を経験し、しかも柏崎刈羽原発問題を抱えている地元からの参加はどうしても避けられないと言う。
・ 原発廃止か継続かの是非論は沢山あるが一般の市民感情としてでもいいから丁々発止の議論をしよう!と言うことで3人パネラーに加えられた。
・ 起承転結に話す余裕がなかった私!私にとって気になるキーワードを並べることからはじめさせて頂いた。「安全神話の崩壊」「未曾有」「情報!正確な情報開示・情報遮断の撤去・情報操作をナシに」「総論賛成・各論反対」「人間の尊厳はその人の居場所を持っていることである」「自分の子供や孫に引き渡せる環境を作っているだろうか?」「自分を愛するように他人を愛せよ!(自分を本当に愛せる人が他人を愛することが出来る!この順序を間違えないこと)」
・ 現実的には概して、「臭いものには蓋?」「頭隠して尻隠さず?」的な滑稽な関係づくり・取り組み方をしているのではないだろうか?
・ 一度事故が起こればその被害の大きさは数字や統計ではなく、「切ったら血がでる!」のである。だからこそ、決して忘れてならない強烈に迫ってくることばがある。
・ それは、かつてプロセインの鉄血宰相ビスマルクの言葉である。「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ!」である。十分に体験した私たちはその経験を歴史の中に生かさなければならないのに、「喉元過ぎれば熱さを忘れる!」を地で行ってしまう性癖は何とも悲しい性である!
・ ヒロシマからフクシマまで66年であった。長い歴史の中では本当に一瞬の間の出来事であることに変わりはないはずなのに。むしろ、この件に関しては「羹に懲りて膾を吹く!」ことこそ肝要であったはずなのに。
・ 断層列島・地震大国日本に原発は元々共存できない存在であったのではないだろうか?分かっていても小資源国日本のエネルギー問題の解決にパンドラの箱に手をかけてしまったのである。
・ 安全神話?そもそも神話は作られたもの!都合よく作られた神話に載って踊るおぞましさ!オーオなんと私達は能天気!一度、事故が発生すれば慣れ親しんだ土地・居場所に戻れない流浪の民になることを知らされているのに安全であると言う神話に酔い浸っている自分は道化師!可笑しくもあり悲しくもある。
・ どんなにマニュアル化したとしても、どんなに訓練しても激震が襲えば誰の頭の中も真っ白になってしまう。実際に中越地震・中越沖地震を経験した者にとっては言わずもがなである。煙が出れば原発現場から皆退避するのが人情!誰もそれを責めることは出来ない。
・ むしろ、大地震が起これば制御不可能と考えることこそが重要なことである。にも拘らず平時の心を持って対応することが大前提になっている安全神話である。
・ 日本の原発54基の全てが点検に入り5月に完全に停止する。原発で発電していた分を再生エネルギーで賄うには尚時間がかかる。水力は良いが再び火力に大きく依存するのでは地球温暖化防止の流れとも逆行する。CO2削減をアッピールしてきた原発推進派の反撃をくいそうである。一度事故が起きれば全廃そして化石エネルギーを復活派に再開のキーも渡してしまいそうである。
・ そこで私達国民は正確な情報が欲しいのである。一部の利権絡みで情報操作は決してしてはならないのである。新聞紙上では時々9電力会社全体の不足電力量が書かれているが毎回数字が違うのはどうしてなのだろうか?確かに気候変動で使用電力量の違いを予測することはかなり難しいのであろうが。
・  それでも正確な情報がほしいと思うのは人情
・  20120424日経新聞によれば:電力9社は23日に今年の夏の電力供給が東日本で3.7%余剰、西日本では3.6%の不足となる見通しをまとめた。
・  原発がすべて停止で2010年並みの猛暑となった時に!まだかろうじて間に合いそうに考えがちであるが安定供給のためには8%余剰がないといけないらしい???
・  素人にはとても分かりにくい報告でもある。分かりやすく、そして正確な情報がほしいのである。
・  ”不足・不足”の文字が踊り数字が独り歩きし始めたころに、計画停電も断行せざるを得ないという脅迫語が重なると生活者はうんざりである。生活者のうんざりは産業界では電力不足即経済活動の減速!と言う方程式になってしまう。何のための生活か?何のための産業か?をもう一度根本から見直さなければならない示唆は今も昔も変わらない。
・死の町をつくるくらいならむしろ減速は甘受せざるを得ないのではないか?も大勢である。
・ そしてここでも「総論賛成・各論反対」の議論が複相している。イラストの中に原発は良いけれど地元では誘致しないでほしい!それを皮肉にも東京都の海辺に原発施設を作ったシニカルなポスターは強烈である。又、原発は反対であるが、誘致利益を受ける地元の産業としては必要であると言う方もいる。
・ 過ぎたるは及ばざるがごとし!なる諺がある。太陽光発電に代表されるように再生エネルギーは無条件に全て良いのかと言えば?疑問符である!コンクリートジャングルと言われている東京は夏にはヒートアイランド現象を起こしている。突然気象変化が起こる確率が多くなってきている。もし、全建築物を太陽光発電資材で覆ったとしたら、果たして気候変動は起こらないのだろうか?生態系は変化しないのだろうか?
・ そもそも、生きていくこと自体がエンタルピーの増大を回避することのできない宿命にあるのであるから簡単ではない。
・ それでも、原発事故で自分の家に帰れない。古里を失って帰るところがないと言うことはとてもつらいことである。
・ 居場所をなくする悲劇は二度と繰り返したくないのである。
・ これを契機に秋山孝ポスター美術館にてノーモアフクシマ展を是非ともご覧いただければ幸いである。

*APM開催ニュース:ノーモアフクシマ展が新潟日報と長岡新聞に掲載された。
・反原発ポスター展である。ユージサトウ氏のお声掛けで始まったポスター展!原発問題は皆で真剣に考えなければならない。誰もが避けて通れない緊急であり重要課題である!

  美術館 西面内部 「美の壁」            美術館 北面内部 「火の壁」

  美術館 東面内部 「雪の壁」           美術館 南面内部 「地の壁」