高田清太郎ブログ

氷の舞



エッセイ

巣は形・舞は想い
想いを形に
巣舞るフォー・ユー
高田建築事務所*    一生に一回しか遭遇することが出来ない景色だった。
・大げさな話だろうか?と自問すれば、“そう、大げさな話である。”と答えてしまう。
・    3月22日(金)の朝6:00の散歩道での出会いであった。何時ものように事務所の窓をオープンにして空気を入れ替えてからの出発である。
・    冬でも雪が降っていても窓を開けるのですか?と質問されることがある。答えは「はい」である。どんなに寒くっても朝は一度空気を入れ替えないと気が済まないのは御袋譲りの性癖であると言って良いだろう。そう、我が家のしきたりであり運び屋さんのDNAの継承でもある。
・    淀んだ空気が嫌いなのである。ウィルスが蔓延している空気だとすれば一日に一度は一掃しておきたいのである。風の原因を一掃しながら寒くって風邪を引いたと言うことにならないように願っての空気入れ替えである。
・    そして入れ替えの時間は朝いちばんの空気がいい。晴れた日などはとても気持ちも高まる。内心、晴れれば凍み渡りが出来ると言う期待感を大きく膨らませての散歩出発である。
・    そしてその日は見事な凍み渡り日和となった。そしてその日は普段の凍み渡りを見事に裏切ってくれた。
・    何気ない凍み渡りの途上で出会ったのであるにも拘らずである。
・    そもそも凍み渡り自体が日常的なことでは無く特別な日なのであるが。
・    前の晩に湿り気を帯びた雪が翌日の快晴天気に恵まれて放射冷却状態が作り出すのである。
・    正に水の上を歩くことであるから非日常と考えてもいいだろう。
・    その散歩道途上で遭遇したのである。
・    正にルビコン川:小さな小さな田圃用の用水に張り巡らされた氷の舞である。薄氷である。くどいが極薄氷である。
・    確かに一生に一回と言う書き出しは大げさなのだろう。どんなに景色が良くっても目隠ししていては見えない。丁度、氷が力強く成長していても普段は積雪で近づくことが出来ないだけの事なのかもしれないから?
・    いずれにせよそれだけに感動である。
・    息子に携帯電話で知らせる。これを見ないと一生の不覚と取られるから、すぐに来るように!
・    誰も同じ感動をするとは限らない。趣味も違えば視点も違えばなおさらである。
・    一眼レフカメラを持ってやって来た息子のひとことは。“うっわ~スゲー!”であった。写真を取りながら感動のため息をつきながらシャッターの音が停まり止まない。
・    朝の散歩を1.5時間も普段の日ではできない。
・    散歩から帰宅して間髪を入れずに会う人会う人にこの感動をデジカメ越しに見ていただいた。
・    又その日の夜には東京からおばあちゃんの様子を見に来ていた姪に同じ話をすると、食い入る様にため息をつきながらデジカメに魅入っていた。
・    高感度の姪にもし明日も天気なら今日ほどで無いにしてもきっと凍み渡りが出来るから同じところに行ってみるか?と言うと、直ぐにOKサインである。
*    果たして、翌朝は晴天であった。
・    起床!号令一下で散歩に出かけた。姪はすぐに起きた。私はと言えば、勿論事務所の空気を入れ替えて後である。順序がある。気は急いても順序は崩せない。それを習慣と言う。と一人可笑しく思った。
・    凍み渡りの精度が昨日よりも落ちていたといえでも雪の上を十分に楽しめた。初めて凍み渡りをした姪にとっては忘れることのないメモリーのワンシーンになってくれたことだろう。
・    そして、氷の舞は昨日ほどでもないにしても十分にその成長発達過程も楽しむことが出来た。
・    それではくどくどとコメントはこの辺で止めにして“氷の舞!”をご堪能いただければ幸いである。

3月22日の凍み渡は絶好調:出発


用水に張り詰めた氷


一反は10間×30間:その30間分そっくり氷がが張った姿は圧巻である。


畦道から張り出した氷はとても薄くちょっとの振動で壊れそう!


様々なデザインを施された氷の結晶は正に「氷の舞」である。


30間という長さの中では氷の張っていく成長過程も見ることができる。




氷の裏にしっかりと取りついたリブは薄氷を維持するための構造デザインである。



畦道の両側から張り出し成長する姿を見ることができる!





まるで宇宙からやってきた異生物?エイリアンの一部みたい?


雪が降ると近づけない高圧線鉄塔を真下から望む


ルオータッチの氷の舞


1.5時間も十分堪能した散歩雪!もうこんな時間だ!遅刻しないように帰らなければならない。