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予言と預言:明日と明白:新しい目標

2011.12.14

*「よげん」“予言”と“預言”。
予言は「未来の物事を予測して言うこと。また、その言葉。」
預言は「キリスト教で、神託を聴いたと自覚する者が語る神の意志の解釈と予告。また、それを語ること。代表的な人としてモーゼが上げられる。モーゼの十戒は正に神から預かった戒めである。」
先に起こることが予見できたらどんなにか良いことだろう。事故を未然に防げたり、発病前の病にも確りと養生することが出来るではないか?・・・と!
特に自然災害に対する投資は年毎に多くなっている。それは何時?どこに?やってくるか分からないからである。全方位対応をしなければ成らないから、対応資源も莫大のものになってしまう。もし、やってくる大地震の時と場所を特定することが出来れば対処投資を激減させることが出来ることになる。特定できないだけに台風・大雪・竜巻・雪崩に対する準備もハードだけでなく心配事として精神的な面でも多大な荷重となっている。「アルマゲドン」や「ディープインパクト」なる映画のように何ヶ月後に隕石が地球に衝突してくるという予見が出来れば、なすすべがなければ単に恐怖時間を待つことになるが、SF娯楽映画となれば全地球規模で連携して対応、対処するべく全力発進である。
人為的災害も何時どこでが特定できれば被害を最小限にとどめることが出来るのである。何時に延坪島に砲撃が行われると予見できれば島民は避難したことだろう。墜落する飛行機が分かればきっと乗らないだろう。豪華客船タイタニックが座礁するということが予見できていたならば、たとえ豪華な旅であったとしても誰もが遠慮したであろう。
全世界で、まだ見ぬ敵のためにどれほど多くの資金を投入していることだろう。国と国のバランスある軍事力のお陰で戦争回避が行われているとは何とも皮肉である。バランスラインを下げて別の分野に投資を回せたら豊かな世界がやってくることだろうに!
一方、予見・予言は良い事ばかりでない様な気がする。その一つに人間の寿命がある。生まれるなり、あなたの命は何歳です。と言われたら、たとえ長命日数を知らされてもきっと嬉しくないのではないだろうか?分からないから生きていけるエネルギーとなっているのではないだろうか?
“人生とは!”などと言う程ヘビー級の話ではなくてもスポーツや競技の結果が最初から分かっていれば誰も楽しまなくなってしまうだろう。VTRを見る時も結果を聞いたのと聞かなかったのでは楽しみは半減することを誰もが経験している。
人は夢を食べて生きている動物だと言われている。見えない夢に大きな希望を抱くのである。明日のものがみな見えたならば、夢は夢でなくなってしまう。
見えないことがイマジネーションの豊かさへと誘ってくれることも忘れてはならないからである。

*「明日と明白」
疑心暗鬼という言葉がある。意味は「うたがう心が強くなると、なんでもないことが恐ろしく感じられたり、うたがわしく思えたりすること」とある。
確かに不安定の世の中であれば明日に対して期待も希望もそう寄せることも出来ない。
昼間には視覚で確認できるので対象物を正確に把握できるが、漆黒の暗闇の中では触れたものを様々に想像してしまう。どちらかというとその時の触覚は良きイメージよりも不気味なものに妄想されがちである。だから疑う心の暗闇の中は鬼(各自がイメージする鬼)が存在することになる?
私が中学生の頃はやった歌謡曲に坂本九チャンの“明日があるさ!”がある。そこには若者が恋心寄せた少女に中々近づくことが出来ない仕草が描かれている。
しかし、今日出来なかったことが明日にはきっと出来るだろうと言う期待を込めた歌詞である。“明日”そこには希望がある。新しく想像するエネルギーがある。
明日があるさ!の作詞は青島幸男氏、作曲は中村八大氏であった。
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「いつもの駅でいつも逢う セーラー服のお下げ髪 もうくる頃もうくる頃 今日も待ちぼうけ
明日がある 明日がある 明日があるさ」
「ぬれてるあの娘コウモリへ さそってあげよと待っている 声かけよう声かけよう だまって見てる僕
明日がある 明日がある 明日があるさ」
「今日こそはと待ちうけて うしろ姿をつけて行く あの角まであの角まで 今日はもうヤメタ
明日がある 明日がある 明日があるさ」
「思いきってダイヤルを ふるえる指で回したよ ベルがなるよベルがなるよ 出るまで待てぬ僕
明日がある 明日がある 明日があるさ」
「はじめて行った喫茶店 たった一言好きですと ここまで出てここまで出て とうとう言えぬ僕
明日がある 明日がある 明日があるさ」
「明日があるさ明日がある 若い僕には夢がある いつかきっといつかきっと わかってくれるだろ
明日がある 明日がある 明日があるさ」
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中学生の頃に全曲を歌ったこと等なかったのにこの年で楽しんでいる自分の明日があるさとは一体何なのだろうか?
確かに明日は明るい日と書く。きっと今日出来なかったことも明日には出来るという期待を持たせてくれたり、今日のつらさも明日になれば一歩前進して良き方向に向うという意味があるのだろう。
又、一方“明日の意味は現在の段階では明らかではないが、今日の次の日以降には明らかになる。”明らかになる日という意味なのだろう。試験の結果も次の日には明らかになる。それを明日という。
「隠されているものであらわにされないものはない!」と言う言葉もある。
明白(めいはく)という文字が明日(あす)の文字と重なるのは、きっとそんなことからである。真偽は明日に成れば、明白になる・・・と!
以前ブログでも書かせていただいたが、模索する時代はいつの世もそうである。ただ、未来が全然見えない場合の「暗中模索」と漠然とはしているがある方向だけは明らかに見えている「明中模索」がある。
明日は決して暗中模索では無く明中模索としての確信を持つ必要がある。
暗中模索と疑心暗鬼:両方とも共通しているのは見えないということである。現在に確信が無く或いは未来が確認できないという状態である。
デイ単位で近い未来は「明日」である。明日が見えないと不安である。
疑心暗鬼=疑う心の暗闇に鬼が宿っている状態。この疑心暗鬼を解消するには信じる力が重要なファクターとなる。
「明日」と「明白」の違いは日に点がつく白となる。この点が「信じる力」である??と考えている我!

*信じる力!
「信仰とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ぬ事実を確認することである」とはヘブル人の人たちに宛てたパウロさんの言葉である。
パウロさんが言いたいのは、見たら信じるよ!と言う人がいる。これは間違った言い方である。見えないから信じるのであって、見たら「信じる」とは言わないで「確認」というからである。
希望も夢も信じる力がもつ豊かさなのである。
明日を信じて向う事で心が明るくなるのである。信じる力の大きなパワーを覚える。
明日を明白にイメージ出来るところにこそ夢と希望が育つ土壌があるのであるから。

*新しい年には新しい歌を歌おう!年末は反省季節!新しい目標を立てる季節!
この時期は一年を振り返る季節でもある。今年立てた目標はどこまで達成出来たか?
「目標は達成するためにある!」という言葉を初めて聞いたのは田邊昇一先生からであった。「目標は決して飾りでは無い。飾りの目標は要らない!」
会社の目標数字は毎年この時期に更新される。「売上高は社会から必要とされ度」だとも先生から聞く。確かに、素晴らしい想いを持って計画を立てても、どんなに素晴らしい能書きを言ったとしても、受注できなかったらきっと社会から必要とされていないことになり犬の遠吠えで終わってしまうからである。
サー、スタッフの皆さん!新しい目標を立てよう。そしてその目標が必ず成った!すでに達成したと過去形にして、強い確信を持って進みたいものである。

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