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“アオーレ長岡”は粘り仕上げ!隈研吾氏の会心の作である!

2012.03.6

建築とは結局は粘り:隈研吾氏
学びのふるさと(日経新聞:2010年5月7日号)
高々テントされどテント:テンとテン
*4月1日にシティーホールプラザ“アオーレながおか”がオープンする。
隈研吾氏設計によるシティーホールは“中土間”と言うコンセプトのもとに造られた。完成が楽しみだ!
全国的に市役所機能が郊外に移転するのに反して、アオーレは街の中心に戻そうと言うプロジェクトである。中心部の求心力低下という地盤沈下を止めたいからだと言う。
隈氏の建築家観について新聞記事から抜粋したいと思う。日経新聞2010年5月7日号に建築家:隈研吾氏が出ていた。そのまま引用すると、
「大学院二年のときに研究室の教官だった原広司先生と学生ら6人で、サハラ砂漠に一ヵ月半の建築調査旅行に行きました。アルジェリアの首都アルジェを出発し、コートボワールのアビジャンまでを車で走り、現地を見て回りました。」
「調査旅行といっても、観光ガイドに載っているような有名な建築物は一切見ていません。見て回ったのは砂漠の辺境に点在する集落で、要するにただの民家です。現地の通訳も満足に付けられない中、何とか調査をさせてくれないかと説明し、家屋の寸法を測って図面化して回る、と言うことを100ヶ所以上で行いました。」
「はたから見ればただの所得の低い人の為の住居にしか見えないわけですが、原先生はそこに、部族の大きな世界観や哲学、宇宙観みたいなものと考える方でした。この発想には心打たれました。建築をやっていると最初は小さな住宅や倉庫の設計しか出来ない日々が続くこともあります。でもその中に自分の思想を投影できる。その仕事が世界とつながっていると考えるだけで、楽しくなれることを学びました。」
「旅行中はほとんど毎日テントで野宿という生活でした。冬のサハラの夜は氷点下まで気温が下がるほど寒く、あたりにはサソリも毒蛇もいる。生命の危機があると言う状況がそうさせたのか、先生は普段話さない話をしてくれるわけです。その中で自分の心に響いたのが“建築と言うのは結局粘りなんだよ”と言う言葉でした。」
「“粘り”とは、良いものを仕上げる努力を怠らないこと。聞けば、それは原先生が丹下健三先生から聞いた言葉だという。ショックでした。あの天才、丹下健三ですら才能に一切甘えず、努力をしていたんだと。」
「私もそうでしたが、社会に出る前のデザイナーは自分のセンスが本当に通用するのか悩みます。でもデザインと言うのは才能ではなく、どこまで執念を持って努力できるかなのだと気づけた、自分にとってはその言葉が救いになりました。」
「デザインの仕事をする人は、自分のセンスに対するうぬぼれがあるし、上手く行かなかった時は運が悪かったと、自分のせいにしないことが多々ある。でもあの丹下さんですら“粘り”と言うことで、デザインを自分の問題に置き換えていった。そういう姿勢を若い人に伝えたいと思っています。」・・・・・・・・・・・・・・・
*建築に携わっている人であれば誰でもがうなずける話である。
建築を学ぶ学生時代に「建築を一生の仕事としてやっていくに一番大切なものは何か?」が話題の一つであった。センス・能力・体力など等は当然?果たしてそうだろうか?学び始めたスタート地点では「能力」差はそれ程ないはず。「時間」などは全く同じ条件。だとすると、何よりも「体力」=持続力が大きな差を作ってくるのではないだろうか?持続力は粘り力でもある。
途中で断念する方法もある。その際たるものが時間である。期限という時間が粘りの限度であるとする立場は誰でも経験する。
毎日考える。毎日考えているから毎日変更が出る。当然だと言えば当然でもある。
建築は現場が完成するまで設計期間だとは若い時に教えられた。それは最後の最後まで粘ることによるところに素晴らしいアイディアがあるからである。
閾値という言葉がある。もう少しで大気圏を抜けることが出来るのにいつもその寸前で帰ってきてしまうことがある。つまりそのラインを超えることが出来ないのである。抜ければスーっと加勢するのであるが。
一流と言われている人ほど粘り強いのである。いやいや、粘り強いから一流なのだと言ったほうが良いのだろう。
センスがあるない?は別次元。あるとすれば粘りのセンスである。
建築をデザインするだけの問題ではなく、営業にも言える。この粘りが実は対する建築主さまには一生懸命と映るのである。
交友関係でもそうである。しつこさだと閉口されるが粘り強さは感動モノである。
この粘りを確りと自分のものとして考えたいものである。
丹下先生も原先生も隈氏もその通奏低音に流れているものは人間誰でもが持っている粘りという感性の実行である。
* 高々テントされど、テント
野宿はテント生活の代名詞:大学3年次の夏休みに北海道自転車一人旅に出かけた。丁度30日の旅であった。一日目は長岡から瀬波まで120kmである。38年前の8月4日は快晴:炎天下に一生懸命に自転車をこぐ!ぐったりした身体は海岸に張られたテントの中でぐっすり。
夜8時にでもなっても寝場所が決まらない時は大変不安である。しかし、テントを張ったとたんに平安がやってくる。こんな薄いシートがかけられただけなのに入って横になれば、たちどころにぐっすりである。
小動物がやってきてテントにでも覆いかぶされば、一瞬に崩壊である。そんな華奢な薄いシートであるにもかかわらず、包み込まれた人間に平安を与えるのである。不思議である。魔法のシート??
きっときっとお母さんの胎内にいた時の感覚なのかもしれない。お臍を通して供給される栄養素:子宮の外は体外との接点。その皮膚が守る力・信じる力はテント感覚?
とても薄いシートから作られる居場所空間と裏腹に隈氏のデザインの原風景は思考姿勢「粘り」から生まれている!と言うから面白い!
私も、粘りの建築家の手を通して造られたアオーレが実際に使用・運営する市民力を応援するものになることを確信する一人である。













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