高田清太郎ブログ

こらっ・無



エッセイ

いよいよホームページに私のブログを載せるという。
あまり人の前に出たがらない性質なもので足踏み状態が続いていた。
その証拠に私の朝の散歩道(農道)は踏みつけた足跡ででこぼこである。
私は生来の無精者である。その上に飽き性と来ている。
石の上にも三年と言うがとてもとても私には通じないことわざである。一年と続かないことも多々ある。
振り返れば書店でやろうと思って買った趣味の本が次の日からは本箱の奥のほうに引っ込む始末である。
誰かが言っていた。本を買う努力・エネルギーは使ったのだから、もう読むなどという努力は考えたくないということ。
そんな本の買い方から「ほんとかいな」という言葉が誕生?
しかしどうしたわけか私は建築だけは続いている。職業だから仕方ないと思われるかもしれませんが、
それがそうではないのである。一言で好きであるからである。楽しいからである。
案が出てこなくて苦しむことも多々あるが、その後、いつになく、しかも必ず出てくるアイディアににんまり!
その経験を何度も繰り返すと余計に楽しくなってしまうのである。
しかし、今日はスタッフに押し出されてブログを書くように命令(依頼ではなく命令であった)皆の殺し文句が「断然ホームページのアクセス数が多くなる。リピーターも多くなる」であったから、ついその気になってしまうのは直情径行の性格からかもしれない。
かくしてホームページアクセス数を多くするために私のアクセクする生活が始まったのです。
以前新潟日報でコラム欄を30回持つように言われた。すまいのエッセイである。
最初はそんなに続くわけが無いと思っておったが30回目が来ると学芸部の担当者からもう少し続けるように依頼が来て、50回続けてくれと言うので惰性で書いてしまった。
ところが50回目を迎えると時期的に切れが悪いから年度末まで書くように。結果68回書くこととなった。
そこまで来ると今度は不思議に調子が出てきた。よ~し100回までなどとモウゾウを掻いていると学芸部の担当者が「はい、それま~でよ!」で終了。しかし、今回のブログの書き込みは新聞期限のように拘束されていないから、ルールはみ出し症の私には少々心配である。セルフコントロールが何処まで出来るか?自己制御がきかなければ道草三昧になりそうである。そこで書くことをサボっていたらお叱り頂きたい
こらっと私にメールください。そこでコラムに書かれて無いぞ!で「こらっ・無」です。
新潟日報でのすまいエッセイは100回続けようと思った矢先に中断であった。
そこで千一夜物語ならぬ、千一朝物語り:千の朝物語とタイトルすることにした。
タイトルは出来たので明日から一週間はノルマが無くなった。一安心の出発である。


朝日