高田清太郎ブログ

声年齢



エッセイ

最後の団塊の世代と言われる若者達は、今年還暦を迎える。
久々に会った同級生は、もはや同級生とはいえない風貌年齢差を感じた。
温泉はどの部屋も満員であった。部屋のドアを開けて中を覗くと「アッすみません、部屋を間違いました。」と言いたくなるくらいのジョークにシーン!ドアを完全に閉め終わらない前に声が届く。「おーい、タローこの部屋で良いぞ。」再びドアを開ける。勿論同級生である。しかし、10歳もふけて見える。部屋を間違ったと思った。そのことを率直に言うと、お前も充分年取っているから安心せよであった。
しかし、奥のほうまで見渡すと反対に10歳若く見える同級生も居る。と言うことは20歳の差があると言うことである。それに反して先生が若いのである。同級会に入っても全然違和感を感じさせないのも時のつくるシーン!風貌年齢差は直ぐに了解できたが、思考年齢差(若者思考と老人思考の意)の大きさにも驚かせられる。年齢には時間年齢・身体年齢・健康年齢・精神年齢・風貌年齢・思考年齢と様々である。もう一つ大きな年齢差に声年齢がある。朝の散歩では様々な人たちと出会う。その時にお互いに声を掛け合うのであるが、腹からの声ではなくどちらかと言うと静かな声である。元気のない声のようにも聞こえる。
どちらかと言うと畑仕事をされている方は後ろ向きで声も応答程度である。ところが先日散歩の時に庭の草取りをしていられた75歳前後のおばあちゃんの声がとても透き通っていた。鼻から抜けるような、しかも品性のある声で、「おはようございます」と・・・・私は、“はっ”としてしまった。
声年齢は50歳ともそれ以下とも思えた。弊社では毎朝朝礼をする。ラジオ体操から始まって、人員報告・経営理念の唱和・職場の教養を読んで担当コメント・安全〔現場・交通〕日数の確認・本日の作業内容・ホウレンソウダの徹底の唱和・・・一番最初に隣同士で握手する・本日の健康状態のチェック・このときに各自が「異常なし」と報告していたが、“異常”と“なし”で2度の否定になってしまっているので、「元気です」と報告するようになった。このときに声の張りで声年齢差がはっきりと現れる。人と人の関係の原始的始まりは声掛けである。であれば余計にそのトーンが、伝える内容を伝達してくれていると言っても過言ではない。
声には元気の気が住まっている。
 いつまでも若く、時にピーチク、パーチク