高田清太郎ブログ

ながおかしとしけいかんしょう



エッセイ

APMが長岡都市景観賞を受賞
この度、秋山孝ポスター美術館長岡(APM)が第三回“長岡市都市景観賞”を受賞することが出来た。
先週の話なので早速、ブログに「ながおかしとしけいかんしょう」と書き始めたら何と変換すると“長岡市と死刑鑑賞”と出てしまった。アレッと思いきやサスペンスもどきのタイトルにハッとしてしまった。何とも危なっかしい変換である。私のブログもそろそろ終了させなければならないシグナルがでてきたような気がする。さっと消そうとしたが、エンジェルスマイルがやってきて何かの暗号ではないかと思い止まり見直すと、やはり何と隠されたコードがあったのである。
長岡市都市景観賞は3年に一回の長岡市が応募者の中から選りすぐれたものを選びトリエンナーレ表彰するのである。長岡市 都市整備部 都市計画課主催の「長岡市都市景観賞について!」の主旨に拠れば「長岡市では、市民のみなさんから良好な景観について考え、関心を高めてもらうことを目的として、長岡市都市景観賞を平成15年に創設しました。長岡市都市景観賞は、長岡市らしい優れた景観を守り、育て、つくることに貢献している建築物、工作物、庭園、樹木や活動している団体などを、市民の推薦をもとに選定し、表彰するものです。(ただし、国又は地方公共団体が所有管理するものは除きます。)」とある。
そして今回の第3回長岡市都市景観賞は、平成21年5月20日から8月31日まで応募し、84名の方から200件の応募があったという。その中から長岡市都市景観審議会より①守る部門:2点 ②つくる部門:2点 ③育てる部門:2点の合計6点が受賞することになった。200件の中からの表彰であるから関係者には余計に嬉しいニュースであった。立ち上げから今日まで、工事・オープン・運営には大変多くの方々のご支援・応援力を頂きましたことここに謹んで感謝申し上げます。又皆様の苦労が報われた思いです。有難うございました。
この受賞は摂田屋・宮内地区では“越のむらさき”と“機那サフラン酒本舗 鏝絵の蔵”に引き続き3番目の受賞である。町から文化の灯火を消さずに済んだことにまず“ホッ!”
APMは大正14年に現在の北越銀行の前身である69銀行の建物として市民から広く利用されていた。昭和56年には北越銀行宮内支店の新築移転に伴って町内で乾物やさんを営まれている田上商店さんに譲渡され、倉庫として平成20年5月まで使われていた。流通業の発達により、倉庫の必要性も無くなってきたところで、地元出身のグラフィックデザイナーであり多摩美術大学教授の秋山孝先生にご自分の美術館として購入していただくことになったのは平成20年5月17日の現場前口頭契約からであった。
当建物はRC壁にタイルを貼ったものであり、屋根は瓦葺・フレンチトラスの切り妻の小屋組である。大正浪漫を漂わせた風格のある建物である。地震等で痛んでいたので歴史的建造物に指定していただくことが前提の県復興資金(耐震補強)援助を頼りに復元リノベーションの出発であった。歴史的建造物調査は長岡造形大学の平山育男教授であった。
そしてオープニングセレモニーは平成21年7月11日であった。大変多くの方から全国からおいで頂き祝していただいたこと、宮内・摂田屋地区にまさに華が咲きました。・・・・・この件については長くなるので・・・・APMホームページもご覧の程を!
さて、表題タイトルの件についての暗号解読は中々難しいが:近代化の名の下に歴史的に意味合いのある建築物がどんどん壊されて姿を消していく。確かに現在バージョンの機能をなさなくなっている建築物は沢山あることは事実でもある。(住宅に至っては全国で700万戸が空き家である。一年間100万戸を切る時代であるから、7年間は何もしなくってもいい勘定になる。勿論こんな簡単な論理ではいかないことは知っているが。)
しかし、大切なのは機能だけでは無いはずである。そしてそのことも充分知っていながらも止めることが出来ないことも多々である。何も語らなくても「存在しているだけで意義のあるもの」も沢山ある。それはモノだけでなく人についても同じことが言える。「いるだけ・あるだけで存在意義のある人・ものがある」。
建築物の解体は人間にとっては死を意味したり・死刑執行と同じように思えるときもある。勿論、人間で言えば時限の中での生命である。次の子孫に継承することでお役目を果たすことになると言えばそれまでであるが。
全国でも歴史的に存在意義のある建築物を保存する運動は続いているが、それでも何時と無く取り壊されていることも見逃すことは出来ない。重要さに気がついたときには後の祭り!は沢山経験している。であるから余計に慎重に!
卑近の例では、直江津駅にあるレンガ倉庫が新幹線工事に伴って取り壊されると聞いた。保存で今まで頑張っていた人たちの汗は無に帰したのだろうか?何とかならないものか?何とかならないものなのだと言う?行政の力も発揮してもらいたいと切に願うものの一人である。
「ながおかとしけいかんしょう」を文字変換したときにでた死刑鑑賞はそれなりに意味を持って迫ってきていたのである。死刑の是非論が重くのしかかっている時代だけにわたし達一人々々はあらためて考える必要に迫られているシグナルでもあった。その前に“長岡市と”と変換されたのには市民力の力をもっともっと出すようにという暗号であったようである。大声を張り上げなくてもよし、目に見えなくてもよし。いるだけで、あるだけで、存在感を醸し出しているものが沢山あることを再認識したいものである。
鑑賞という言葉は美しいものに対する言葉であると言うからこの場合は鑑賞ではなく「感傷・干渉・緩衝」と変換されたら良かったのにと思ってしまった。
何れにせよ、APMが長岡市都市景観賞を受賞出来たことは、APMのサポーターズ倶楽部の一人ひとりの想いが高く評価されたものと思い、皆様とカンパーイ!
有難うございました。新年度の4月からの新計画も着々と進んでいます。皆様に愛される美術館・建っているだけで存在意義のある美術館を目指したいと思います。APM引き続きご支援のほどをお願い申し上げます。(APMサポーターズ倶楽部会長より)
審査・表彰について豊口協委員長(長岡造形大学理事長)より講評があった。「景観という言葉が出来たのは21世紀になってからである。元々景色があってそこに風景をつくり上げていく。近年になって人工的に風景をつくろうとしてきた。結果として自然を排除した風景に不都合が生じてきた。時に法制化され、“つくること・守ること・育てること”の重要性が問われてきた。・・・・・・・受賞を受けたことで新しい責任が市民として生まれたと思って、素晴らしいまちづくりに協力して欲しい。」と!何時もながらの力強い言葉であった。
同席で受賞された「高野(市左衛門)家住宅と積邨(せきそん)ギャラリー飛蟲舎(ぴちゅうしゃ)」の持ち主であり管理者の渡辺洋三さまご家族と同席できたことも大変嬉しかった。渡辺洋三さんのご自宅を10年位前に建築する時に画家であるご祖父の渡辺綱山さんのギャラリーを作るお手伝いをさせていただいたからである。
余談ではあるが、平成15年の第一回目都市景観賞と併設されていた第一回景観行為優良賞を当社設計の“ふくちゃん保育園”で頂いたことも思い出した。

  
森長岡市長から表彰 ヤッター!と満面の笑みの秋山先生 審査講評される豊口協委員長
  
受賞者全員の記念写真 秋山孝ポスター美術館長岡 長岡新聞にて紹介
  
高野家住宅と積邨ギャラリー飛蟲舎 第1回受賞:越のむらさき 第1回受賞:機那サフラン酒本舗 鏝絵の蔵

ふくちゃん保育園(第1回景観行為優良賞)