高田清太郎ブログ

誕生:Birth  2番目の孫誕生!元旦礼拝!新聞記事紹介!



エッセイ

* 誕生1:私たち夫婦にとって2番目の孫誕生!
新年早々8日にわが長男夫婦に赤ちゃんが誕生した。私ども夫婦にとっては家族に二人目の孫である。新春に新しいメンバーが加わった。女の子である。直ぐにでも飛んで行きたかったのであるが夫々が予定を抱えており新潟市まで往復で2時間はかかる。詰まった予定の10:00までだと無理に近いので一旦電話で祝杯を挙げさせてもらうこととした。
1月8日(日)は午後一から初釜:釜開きが予定されていた。不肖私めが初釜では初めての正客役を仰せつかっていたので孫の顔を見に行くのは、こちらの用事を足して夕方にゆっくりと出かけることとした。
夕方17:00頃の長岡から新潟方面に向かう関越高速道路の気温表示は1度であった。空気は張りつめ空は冴えていた。きりりとした空には朧月夜ながらも満月である。
昔の人の言い伝えには満月に赤ちゃんが生まれ易いと同乗している大おばあちゃんと大おじいちゃんの言葉である。丁度その満月の日に生まれたのだ。潮の満ち引きに関係しているのだろうか?
逸る心を抑えながら安全運転でクリニックに到着する。
名前はまだ決まっていないので仮にSmile(すまいるちゃん)と名付けておくとする。
予定日が1月6日であったが、二日遅れの8日6:50に誕生した。新しくお母さんとなったお嫁さんのお母さんからの第一報は朝の7時過ぎである。そして、現場クリニックに到着すると、クリニックは満床で出産後半日近くも予備室に母子ともに置かれ私たちが到着する1時間前に漸く4人部屋に入ることが出来たとの報告があった。
少子高齢化の時代、赤ちゃんで満床とは何ともほほえましい風景でもあった。
私どもの後を追うようにお祝いに駆けつけてくれた次女夫婦から、今朝7:00丁度に夢を見たと言うのである。我が家の座敷続きの間に置かれたテーブルの上に青いきれいな鳥が停まり、雛を産んだと言うのである。そのことを娘が旦那に話したそうである。そのすぐ後で出産の吉報が届いたと言うのであるから私の頭の中は「夢知らせは現在、必死になって探しているブラックマター・ブラックエネルギーであるヒッグス粒子の存在裏付けるのではないか」といい加減に符合させてしまっている自分が可笑しい!
昔から出産は小さく産んで大きく育てるのが理想とされているがSmile(すまいるちゃん)の体重は3185gと平均的な数字であった。
母子ともに健康であったことは何よりも嬉しいことであった。Smile(すまいるちゃん)も生まれるなり検査される身長体重計測の時にはとても元気に手足を動かしているので計測自体に一苦労したと言う。クリニックの先生からは骨格が確りとしておるとのことであった。
頭は生まれた時の特徴であるロケットの様にとがっている。
大おばあちゃんのコメントは確りとした顔つきをしている。昔は手を握って生まれてきたが現在では手を広げて生まれてくる。赤ちゃんの顔はこれから百変化する。家族みんなの顔に変幻しながら自分の顔に到達するのである。
        
父親似の二番目の孫の変幻が楽しみだ!      一番目の孫は奈々ちゃん:4歳である。いつもジーと笑い比べをしている!

大人になったら自分の顔に責任を持てと言う。それまでは赤ちゃんであり、子供である。と!
そして、名前が命名されてこの社会で一人の人格を付与せられるのである。長き人生の出発を心から祝うものである。
Smile(すまいるちゃん)の誕生は平成24年!私の誕生は昭和24年!親を差置いてジーは何を言うものぞ!と思われそうであるが、まずはジーと孫の共通数字である。Smileコードである。ひとりにんまり!

* 誕生2:元旦礼拝!
「はじめに言葉ありき」すべては言葉を持ってはじまる。
今年の元旦は1日であった。一年の誕生・出発である。この日には雪ん子ペンギン教会でも元旦礼拝が行われる。まさに一年の最初の日である。
古きを脱ぎ捨て新しき年を迎えたのである。新しい葡萄酒は新しい皮袋に!感謝と喜びと祈りの年であることを祈るのである。

* 誕生3:要約することが大変難しいということを漸く気が付いた。
当社のことが紹介された。(20120108 毎日新聞朝刊の新潟版:にいがた人模様欄に掲載)
年末に毎日新聞社が我が社を取材に来た。今回は個人紹介なので建築家としての私の紹介だと言うのである。
出会いはクリスマスイブ礼拝に記者の宮地佳那子さんが顔を出したことからであった。何時も長岡市にある裁判所に仕事で来ると目の前にある“ゆきんこペンギン教会”が気になっていたという。それで礼拝が終了した後に顔を出したところから始まった。
一人の人、一つの企業を紹介するのにはどのくらいの紙面がいるだろうか?短くも的確に情報をキャッチし凝縮させて書くことがプロ中のプロの仕事でもある。
毎年12月中旬に、一年を通して時代の世相を一文字漢字で表現しようという行事がある。全国からたくさんの応募がある。日本を代表する寺「清水寺」の森清範貫主に大きく揮毫していただく行事が昨年も行われた。2011年は「絆」であった。大震災・大津波を通して日本中の国民が一丸となって復興に向かおういう固い絆である。一人で生きているのではない。支え支えられる私たちの存在はまさに絆的存在でもある。
一年を一文字で表すことのむずかしさをやってのけるのであるから素晴らしい。本来こうありたいものである。

この度の毎日新聞社取材で私の言葉足らずで伝わりにくい部分もあったので少々修正と付け加えさせていただけるとありがたい。

冒頭に「何かをするときにはバカがいないと駄目、会社でもバカが育ってきて嬉しい」なる文は
最初のバカは:さめた目で第三人称として物事を見るのではなく第一人称として物事にぶつかって行く姿である。そして続くバカは私たちの職分としての建築バカのことである。建築にロマンを持ち続ける。建築デザインを考えている時に計算して力の出し惜しみをするのではなく、あるエネルギーを精一杯使いこなすことを言っているのである。
次に「自らを新潟大学大学院の非常識講師と称す」と書かれていたところは、桂文鎮さんが関西大学の非常勤講師をすることになった時にテレビニュースが流れた。その中でニュースキャスターが、「本日より非常識講師に着任されました桂文鎮さんが・・・」と言うコメントを流したことを言われていましたと言う報告とあやかりたいと思ったことの重ねである。
「いい加減に考えている方がアイディアが湧く」は人間の思考は固く考えると拡がらない。むしろ必要に応じてはルーズにしておく必要がある。机に向かって考えている時だけが良き案が出るとは限らない。むしろ何気ない思考の時に出てくるのである。良き案は三上(鞍上・枕上・厠上)から生まれるともいう。我が社では建築する時に家族の想いを紙に書いてもらう。なんでも書いていいから放題紙の活用である。言いたい放題。思いたい放題。書きたい放題は良きアイディアの宝庫である。
過去において断熱材・50mmと100mmの時の温度差について某テレビ局から取材されたことがある。その時もちょっとニュアンスが違って放映されてしまった。
短時間に少ない紙面で対応することこそ無理かもしれないが、食い違いは直しておく必要がある。
*今年も様々な出会いと素敵な発想が生まれますように!

元旦礼拝に浜松から里帰りした真野さんが手製のフルートで演奏してくれた。
アメージンググレースの響きはとても素敵であった。夏休みも楽しみにしています。