高田清太郎ブログ

週末に倉本聰氏(脚本家)の講演を聞くことが出来た!



エッセイ

週末に倉本聰氏(脚本家)の講演を聞くことが出来た!
演題は『北海道で考える』であった。

* 20121124(土)アオーレ長岡にて2500名が参加した。
・ 社会福祉法人長岡三古老人福祉会が主催で同福祉会の30周年記念講演会であった。
・ お話は狂い始めている現代の世相に一矢報いるものであった。それは北海道富良野から日常生活から見直そうとしたのである。感動あり、共感あり、笑いあり、将来に対する課題も聴衆に確りと投げかけておられた。

* 大した話はしないのでお疲れの方は眠ってくださって構いません。と言う語り口から始まった。みじめな身の上話しかできませんと前置きがあった。
・ 両親はクリスチャンで、父は自分が高校生の時に亡くなる。お母さんはお茶を教えながら生計を立てていた。お弟子さんもそれなりに採りながらお茶会の数もそれなりにこなしながら気丈に子供たちを育てたと言う。しかし、お茶の世界はなんだかんだと上納金も多く大変な世界である。自分が独り立ちでき食えるようになったからお茶の教室をもつことを止めるようにと言った。やめて6か月後に発病したと言う。
・ 人間の生甲斐は誰かの役に立っていることがエネルギーになっている。
・ アート オブ ガマン展が東京で開催されている。それは第二次世界大戦の戦時中にアメリカ本土に在住の日系人は砂漠の強制収容所に収監されていた。その時に収容所内で収容者たちが生み出した素晴らしいアート作品を展示したものである。物を作るにも道具がない。そこで空き缶などを集めて溶解させてはさみ等を作った。廃材や石ころ・ガラス破片・その他廃棄物を素材として置物やブローチや飾り掛物等を作る。そしてそれをプレゼントする。もらった人の喜ぶ姿感動する姿に生きがいを感じると言うコメントがあった。同じことである。* 昔話は必ず、昔々おじいさんとおばあさんが住んでいました!から始まる。
・ 決してお父さんとお母さんと言う言葉でははじまらない。
・ お父さんとお母さんは働いている。御爺さんや御婆さんは孫に会いたい。孫の子守をして子供の役に立ちたい。そんな視座からの頭言葉である。

* 桃太郎の話は川を流れてくる桃の音から語りは始まる。その音は場所によって違う。ドンブラコ(大河・ゆったりとした流れの川)・ドンブラコッコ(少々急流)・ドンブアコッコステッテ(かなりの激流)とその川の流れの速さや川の大きさによって違ってくる。

* S30年代以降の親はダメ!と一括。それ以前では全然違う。
・ 軍国主義は義務・義務・義務だった。
・ 民主主義は権利と義務が両輪として存在する。しかし、それが権利だけが要求され片輪になってしまった。

* 資本主義が入ってきて「消費が善で倹約が悪」と言う風潮が出来上がった。かつてはその反対で「倹約が善で消費は悪」であったはず。
・ 壊れるものを作れが合言葉であった。(確かに壊れやすく作られているものも多く作られている。)

* 日本のスーパーカーが忘れた二つ:ブレーキとバックギアである。
・ 丁度、マグロやカツオの様に回遊魚は口をパクパクと開けて呼吸はすることが出来ない魚である。口を開けながら泳ぎ続けることで酸素を取り入れることが出来る魚である。
・ まさに高速回遊魚の様な時代背景が出来上がってきた。(いつも動いていないと落ち着かない人間になっているある時の自分見る思いである)

* どんどん当たり前の基準が変わってきた。
・ 富士山は3776mである。海抜0からアプローチしようとすれば選択肢は沢山あるのに5合目までバスで行くと言うことはそれだけ選択肢が無くなっていることを意識しなければならない。(なるほど二度ほど富士山には上ったがそのようなことは考えていなかった。鋭い指摘である。)

* 北海道富良野へ移り住んで!東京の価値基準が覆される。
・ 消費期限を理由に捨てられる野菜の多さに驚く。
・ ある時地面から顔出している大石を動かしたいと話を持ちかけると村人がやってきて、石の周りの土を掘って、石底にバリをあてがいてこ原理で動かし始めた。一日に3センチは動かすことが出来る。一カ月で約一m動かすことが出来ると言うのである。クレーン力と言う都会人の発想はない。
・ ホモサピエンスならぬホモサスペンスだ!と笑い。
・ そんな時に「北の国から」が制作された。
・ 電気がない:夜は眠ればよい。太陽が出たら起きればよい。エネルギー問題は存在しなかった。(水上勉氏の言葉と重なった。)

* 様々な情報がある。
・ 第一次情報は自分の経験から学ぶが
・ 第N次(100次・1000次)情報は知識から学ぶ:「知識」を沢山取得して「就職」して「汚職」に染まる三段論法?(笑い)

* 創作:の「創」はもともと、お金がなくっても知恵でもって前例のないものを創る!意味。
・ 「作」はお金をかけて知識でものを作る。

* 富良野塾は26年間続いたと言う。
・ まず最初に自給自足と言う生活から始める。!
・  絶対使ってはいけない禁句は「前例がないから」と「そうはいっても」だそうである!(どこでも使われている言葉であるが?設計する私たちにとってはとても共感する言葉でもある!)
・ 自己責任に置いて全てをする。怪我もあなたの責任だよ!(実際に数名の方が指を落としたと)

* 借金はしない!もともと借金の概念はおかしい。
・ 宮沢賢次の2-1=1,2-2=0はありだが、2-3=-1の概念はない。
・ お金はサブプライム問題の様な事を起してしまう。
・ 金は最初麦と交換されていた。次には羊と交換。そして銀と交換。更に紙幣と交換になった。

* 富良野塾は1984年春に開設し26年後に閉鎖:、
シナリオライターと俳優を養成するための富良野塾の起草文は
・ あなたは文明に麻痺していませんか?
・ 石油と水はどっちが大事ですか?
・ 車と足はどっちが大事ですか?
・ 知識と智恵はどっちが大事ですか?
・ 批評と創造はどっちが大事ですか?
・ 理屈と行動はどっちが大事ですか?
・ あなたは感動を忘れていませんか?
・ あなたは結局何のかのと云いながらわが世の春を謳歌していませんか?
・            聰

* 富良野での生活必需品の順位は①水②ナイフ③火④食品+加えて「人」とある。
・ 人とあるのは一人では生きられない。人間は感動を共有できる唯一の動物である。
・ 都会の人の生活必需品の順位は①お金②携帯③TV④車となっているからその差額は大きい。

* 自然塾では必需品の第一は酸素である。
・ 酸素は樹木の光合成から出来る。
・ 生活必需品の最高位の水は樹木の葉に雨水を貯蔵することから継続的に供給される。
・ 地球46億年の営みの中で私達は自然を破壊しようとしている。46億年を46mの長さで表示したとしたら西暦0年は0,02mm産業革命から僅か0.002mmと言うことになる。(自然破壊はこの0.002mmの間に生まれた破壊ということになる)

* さぼりの行為は便利から生まれると勘違いしている。便利とはもともと消費しないこと。リッチに幸せの事。
・ 化石エネルギーの総量は2兆万バーレルその内の8000億バーレルは使ってしまった。
・ 残りは30年も持たないと言われている。現在アメリカで新しい発掘はあるが限度があることに変わりない。
・ そこで登場したのが原子力発電である。

* 3.11問題には両面があり
・ A面は「地震と津波」しかしこれは宇宙システムの中での変動である。この変動の中に世界遺産が生まれている。美しい日本の誕生(日本列島3万年)もこの変動の中にある。
・ B面は「原発」である。

* 原発の是非:2つの道:
・ 今の生活を維持したいから一刻も早く必要:
・ 昔に戻りたい。不便でも:
・ ・・・・・・
メモを取ってはいたが書き直してみて少々整合性が取れない部分がある。正式な書き起こしが届くまでのつなぎと言うことでご寛容なほどを!

*倉本氏による「優しい時間」は私にとってはとても温もりを覚えさせられた作品の一つである。
・  これからの時代には酸素・水と同じような存在である様に思える。
・  とても考えさせられる為になった講演会であった。感謝!