高田清太郎ブログ

イチロー、日米4000安打おめでとうございます!



エッセイ

すまいは巣舞
巣は形・舞は想い
想いを形に
巣舞るフォー・ユー
高田建築事務所
*  イチローグッズが“こども野球館” に展示!(長岡市内に建築のお手伝いさせて頂いた!)

*    「回り道」が生んだ偉業!職人技新天地で磨き!と新聞(日経新聞20130823)に大見出し
がついた。
・    そして、小見出しには「特別な瞬間 満足している」「8000回以上 悔しさと向き合った」と飾られていた。
・    200安打を10年間連続したことはアメリカ大リーグでは新記録である。
・    多くのマスメディアでは未達成の段階から秒読みを開始していた「200安打10年連続!」であった。(2010年)
・    しかし、今回の4000本安打については自分の中ではあまり大きなニュースとして準備されていなかった。突然、大記録!とメディアに躍り出たような雰囲気でもあった。
・    大リーガーの歴史でも4000本超はビート・ローズ(4256本)とタイ・カッブ(4191本)に次ぐ第三位の記録である。
・    そしてローズ元大リーガー選手のコメントが載っていた。「(イチローは)あと何年プレーするか分からないが、今後も数百本打つだろう。恐らく自分の記録に届くだろう。彼に敬意を表したい!」であった。さすが一流人だけある。一流人は一流人には敬意を表するのだ。
・    イチローの記録暦には凄いものがある!
・    シーズン最多安打の大リーグ記録を更新数は262安打(2004年)
・    日本ではオリックス時代に210本安打が初めての200本越えと記録された。(1994年)*    イチロー語録:(安打記録それにもまして、そんなイチロー氏自身の素晴らしい語録が残されている。)
・    4000本安打達成した後:「様々な回り道をして遠回りに見える道が、実は最も近道で味わい深いという価値観が僕の中で存在している」
・    200本安打10年連続達成した後:「誰もがやっていなかった10年連続で200本安打を達成出来たことで気持ちに区切りがついた」
・    マリナーズを飛び出しヤンキーズに電撃移籍ときには「勝つことが使命であり大前提」
・    日本でプレーしており最優秀選手に選ばれた1996年に「スランプだったのに結果が出ていた」だった。
・    「自分の持っている手応えと結果が比例していなかった。今思うと未熟だった」
・    4000本安打を達成した試合後のインタビューで答えた言葉では:
・    今の気持ちは?「実際にヒットを打ってみて、あんなふうにチームメートが喜んでくれるとは全く想像していなかった。記録が特別な瞬間を作るのではなく、自分以外の誰かがつくってくれるのだと思った」
・    記録について?「こういった区切りのいい数字は千回に一回しか来ない。四回重ねられたことにとても満足している。僕の場合は8千回以上(凡退して)悔しい思いをしている。その悔しさと常に向き合ってきた事実は誇ることが出来る」
・    そのことについては臨床スポーツ心理学のエキスパートとして知られる:児玉光雄氏のコメントが添えられていた。「イチローの卓越したところは前進するだけでなく、後退することも一つの進化ととらえられることだ。凡退した時、次の打席へのヒントがないか考える。スランプは逆に飛躍のチャンス。『失敗の中には可能性が含まれている』とイチロー」「逆境にいるとき、そこから何かを探し出そうとする姿勢がイチローを成功に導いた一つの要因」
・    4000本目は綺麗なヒットだった?「一打席目に撃つのが一番きれいだなと。どんな安打にせよ、左翼への本塁打以外は僕らしくなくなる。内野安打だと文句を言う人もいそうなのでよかった」
・    平和台でのプロ初安打と今日の安打の違いは?「当時3年は2軍で頑張るつもりで、1軍昇格の呼び出しが掛かった時『まだ早い』と断った。上からの命令と言われて嫌々福岡に行って、10歳以上年上の選手の印象がまた強烈で、怖くて怖くて・・・・。アスリートとは思えなかった。嫌々打ったのが初安打なら、今日の安打は試合に出たくて出たくてしょうがなく打ったヒット。面白いですね」
・    一答一答は正に一投一投である。正に思考野球人と呼ばれる所以である。イチローの野球哲学が語られた。
・    通算5000本安打も見えているのか?「(約20年で4千本という)このペースも僕の中では遅い。もうちょっと早くできたな。35歳を超えたあたりからストレスとの戦い。年齢に対する僕以外の人の考え方が煩わしいことはいっぱいある。そういう偏見は日米関係なくあって、それを変えていくのが僕達の使命だと思っている。
・    素晴らしいコメントである。いつも考えていなければ出ない言葉の数々である。
・    心からお祝いと敬意を表したい。
・    またメジャー一年目のシーズンを終えた時のインタビューで「50歳のシーズンを終えた時にね、こう言いたいんですよ。『まだ発展途上ですから』って」と語っていたという。
・    またテレビインタビューでは「人としての成熟はもっと先にあって、その時に選手でいたい」と語っていた。

*    突然ですが、今から8年ほど前に建築のお手伝いをさせて頂いた「こども野球館」(長岡市関原一丁目)がある。
・    オーナーのO様は、子供に夢を与えるために自費で作られたのである。規模こそ小さいが内容はとても豊富である。何よりも子供の時からの野球に対する情熱を建築されたのである。
・    実際にイチロー選手が使っていた野球道具が展示されている。

*    こども野球館のホームページには館長のご挨拶が書かれていた。(ここでは抜粋を載させて頂く)
・    「社会に出てからは野茂選手が好きでいろいろ集めていました。そんな時93年6月12日に長岡悠久山球場でバファローズ(野茂選手)対オリックス戦(イチロー 選手)で野茂選手からイチロー選手がホーム ランを打ったことを知り、すごいなと思い、当時新人のイチロー選手が気になっていきました。そのホームランが プロ入り初だったことやその後に二軍落ちしたりしてしまったことも知りました。華々しい野球の世界でがんばってる人も苦労があるのだなーと思ったものでした。」
・    長岡市営の悠久山球場で行われた試合で野茂選手が使っていた野球グッズも展示されている。
・    野茂はメジャー草分けの選手でもあった。
・    子供に夢を!素晴らしいことだ。― こども野球館のテーマ ―
こども野球館では、元気だった昭和をテーマに展示しています。中でもイチロー選手の物は自信があります。
長岡の子供達にメジャーリーグやプロ野球の世界をもっと身近に感じてもらえるよう展示しています。
私も野球経験者。しかし途中挫折してしまい、それだけに今の子供達に「夢を最後まであきらめないで欲しい」という思いを強くもっています。
そんなメッセージを込めて展示に力を入れています。
もう一つのテーマ昭和ですが、子供がちょっと大人に大人がちょっと子供に戻れ家族の距離が少しでも近づけたらと思い、昭和のなつかしいおもちゃ大集合。
大人も子供も一緒にあの時代へタイムスリップしてみませんか?

*    是非とも子供野球館のホームページアクセスをしてみてください

http://www.kodomo-yakyukan.com/main/


こども野球館外観

斜め格子塀

昭和のレトロ感

イチローのユニホーム

イチローのチーム移籍の歴史ユニホーム

本物間違いない証明書

イチローの野球帽

イチローのシューズ

8年前のオープニング風景