高田清太郎ブログ

「ストレスは大切なもの」・「出会いとご縁」・「縁は異なもの乙なもの!」



エッセイ

すまいは巣舞
巣は形・舞は想い
想いを形に
巣舞るフォー・ユー
高田建築事務所

社員Tさんの結婚式に参加して
*    弊社でも年に何組かのカップルが誕生する。とても嬉しい慶事である。
・    結婚して新たな門出をスタートする。新しい家庭生活を始めるのだ。
・    今年も4組の結婚式典と祝宴に出席させていただいた。
・    縁あって社長役の私が必然的に祝辞を述べることになる。
・    いつも緊張する。新しい人生の門出を祝福する言葉が確りと届けられるかどうか心配だからである。
・    先週末の連休中日に弊社スタッフのTさんが結婚することになった。
・    新婦Tさんの建築との出会い・当社との出会い・新郎との出会い・その一つ一つがとても絶妙な出会いの重なりで成り立っているのであるから、つい報告せずにはいられない。

*    新婦Tさんは:
・    4人姉弟:女・女・男・男:の二女である。
・    弊社に勤務して今度の3月で丁度10年になる。
・    最初の出会いはお母さんとであった。というのは、
・    その時Tさんは新潟工業高校建築科3年に在籍中であった。
・    新婦Tさんの母さんが新潟日報の朝刊のくらし欄で私が68回(2000年9月~2002年3月)にわたって担当させて頂いたエッセイ欄「新潟・まち・住まい考」をお読みいただいていたことから始まったのであるという。
・    当時はまだお会いしたことのない私とT家とのお付き合いの始まりであった。
・    その後、新婦Tさんの大学進学は私と同じ日大の理工学部建築学科だという。その時もTさん自体は分からずに入学したそうである。
・    大学3年生になるとご多分にもれず研究室・ゼミ選択を強いられる。
・    どこにしようかと思い悩んだ時にお母さんが言っていた話・私のエッセイを思い出してくれたと言うのである。
・    その後、エッセイ集が新潟日報事業社から「巣舞」と題して出版されたのであるが、その巻頭言に斉藤公男先生から身に余るご挨拶を頂いていた。
・    迷わず、斉藤研究室を選んだと言うのである。(反対にタカダが出たところはやめろと言われなくてよかったと今更ながらにホッとしている?)
・    こうしてTさんは私の研究室の後輩になった次第である。
・    ここで斉藤研究室を少々紹介させて頂くことで新婦のTさん(の特技)が見えてくると思い少々書かせていただくことにする。
・    当時の建築学科と言うともともとジャンルは3部門から成り立っていた。①意匠系(デザイン系)②構造系③設備系である。
・    以上3つから選択すれば迷うことなく斉藤公男研究室は②の構造系に属するのである。しかし、私がゼミに入ったのは構造とデザインが融合することを目指した建築家:斉藤公男先生であった。「ストラクチュラルデザイナー:構造デザイナー」であった。
・    空間デザインをするのが建築家だとすれば、それを支える構造を知らなくては片手落ちと確信していた私は当初予定していた意匠系デザイン研究室からの大変身であった。
・    後に、元々親父が自営していた材木店を継ぐことになっていた私は材木の特長を生かした木構造を現して力の流れをデザインした空間を数多く設計させていただいた。
・    勝手に「モクード」と言ってPRもしていた。モク(木)+ウッド(WOOD)=Mokwoodと重ねた言葉である。

*    さて新婦Tさんは卒業が近づき新潟県内で職を探していた。
・    とても優秀の子だよ!と岡田教授(斉藤研究室のスタッフ)から電話が入ったのは就職の前年であった。
・    Tさんの直属の岡田先生は私の2年後輩でもある。東京ドームの設計を担当された方でもありその後研究室に戻られた前途有望の先生である。
・    そんな出会いとご縁でTさんが弊社に入社していただいた次第である。
・    研究室は大空間ストラクチャーデザインを得意としているが当社は住宅系の会社。そこが少々心配でもあったが入社後は確りと取り組んでもらって今日に至っている。
・    特に最近は個性をどんどん発揮して建築主様の想いとご希望を真正面から取り組み形化してくれている。
・    そして研究室時代のストラクチャーデザインを意識しながら正に戦力である。

*    10年は一昔:
・    中越地震発生の年に入社!
・    2004年は7月13日に大水害・10月23日に中越地震と遭遇。
・    一大結束!スタッフ一同には大変な心労をかけることになったが、社員一丸となって自然災害と闘うべく力を合わせる年になった。
・    恩師の斎藤先生も現地視察に早速飛んでこられた。震源地は道が破断されたままであり近づくことさえ出来ない中おいでくださった。
・    非常時に直ぐに設置できる仮設建築の構想を何度となく口ずさんでおられた。
・    そして会うまで何度もTチャンは元気にやっているか?
・    先生はテニスがスキーと並んでとても得意である。その得意のテニスの先生はTさんだというのである!と。
・    出会いを描くと長くなるのでこの辺で次のステップへ!

*    結婚式のご案内いただいたので、Tさんと新郎との出会いのステージを一応インタビューさせていただくこととした。
・    新郎との出会いは?柏崎花火鑑賞会場であった。
・    柏崎花火は新潟県3大花火の一つ:海の花火である。さぞかし燃え上がったであろう花火は祝福の花火でもあった。

*    新しい家庭づくりのコンセプトは?と言う質問は建築屋の習性でもある。
・    設計コンペでもあれば直ぐにコンセプト探しとテーマづくり?
・    家族がテーマ:仲良い家族:皆さんのテーマは自然派!
・    新郎は4名(3人姉御+末息子)姉弟:中学時代は山村留学:泰阜村(やすおかむら)で3年間をすごされる。

*    新婦Tさんが毎年送ってくれる年賀状はとても元気なご家族が何時も写っていた。
・    一例を挙げれば、家族全員で顔に様々なお化粧を施した上に逆立ちしているのであるから手にした瞬間にそれはそれは、びっくりでもある。昨年他界された新婦Tさんのおばあちゃんも逆立ちで参加されていたのである。
・    とにもかくにも正月に大笑いが生まれる年賀状であり元気を頂く年賀状であった。
・    それだけにおばあちゃんが亡くなり大変ショックだったことは、私の想像をはるかに超えていたに違いない。それにも増して大丈夫の仕事をしてくれていた。

*    繰り返すが構造は空間を支えるとても大切なものである。
・    意匠デザインがN01で構造はいつも補助的に考えられていた時代が長かったように記憶している。反動で、近年は構造族デザイン系の建築が沢山生まれている。
・    私にとっての構造デザインの原点は今でも変わらない:代々木国立室内体育館(当時オリンピック競技場)は丹下健三先生と坪井善勝先生の名コンビが生んだとても美しい名作品である。恩師斉藤公男日本大学名誉教授も当時坪研究室でこのプロジェクトに参加していた。ここでも出会いははるか空間を跳躍してやってくる。
・    この作品の前で当時の私が「流れ」力の流れ・空間の流れ・心の流れなる言葉に捉えられた一人であった。

*    結婚式で贈る言葉はやはり構造に因むことにした。
・    構造の基本の一つに圧縮と引張りのバランスが構築物を構築物たらしめているといって良いかもしれない。
・    テンション(引っ張り)とコンプレッション(圧縮)!良き緊張状態が美しい構造美をつくる。
・    これらは総合してストレスと言える。
・    近年社会はストレス社会環境だと一言集約してしまうきらいがある。
・    そして、問題点が起こるとストレスのせいにしてしまっている。
・    しかし、ストレスがないと弛緩しっぱなしで人間は人間でなくなってしまうとも言われている。骨格と筋肉の関係は如実である。
・    コンプレッションだけでは潰れてしまい、反対にテンションだけでは伸びきって切れてしまう。しかし、これは両バランスの上にのみ成立するものである。
・    そこですべてには役割がある。特に男と女には夫々の役割があることは神様が人類を作られた原点でもある。
・    しかし、熱いお二人がこのことを理解するのには少々時間が掛かるものと推察する。
・    そこで、・・・・・

*    明るい家庭をつくって欲しい!
・    「明るい」は字の通り「日と月」:夫々が役割を持ち、
・    反対に「暗い」は日ともう一つの日。そしてその片方の日の上に立っている。と書く。役割と言うよりも張り合っている姿である。
・    ストレスをもちながら明るいご家庭を!

*正に縁は異なもの乙なものである!これからもご縁とストレスを大切に!


人前結婚は友人の承認が必要だ!新郎から感謝の言葉が沢山!    ストレスもまた大切なもの也!
  

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