高田清太郎ブログ

団塊世代締め切り1日前!前夜?



エッセイ

私の誕生日    20141230

*    2025年問題?:団塊の世代が75歳を超える。超高齢化社会到来である。
・    私は1949年(昭和24年)12月30日:正に団塊世代のぶら下がりである。
・    団塊世代締め切り1日前!前夜?と言っていいだろう。
・    団塊の世代とは1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)の三年間に誕生した一塊を言うらしい。
・    (何故かここで:作家:堺屋太一氏のエクスペリエンツを思い出す。記憶は定かではないが、ドラマの内容は「退職後ここが終着駅ではなく、ここからがかつて現役時代に得た知恵知識を使って友人(マドンナ?)を助ける活躍・活用ドラマである。とてもぬくもりあるドラマであり、同時に団塊の世代にはとても良いサジェスチョンを与えてくれる。是非とも一読を!)

*    生命が時を刻み、年をとるのは世の常。人の世界:自分に65歳の誕生日がやってくるとは思ってもみなかった。
・    しかし、現実にやって来た。
・    この年代は現代の少子高齢化とは真逆の時代。道を歩けば同級生の家々。通りに投げた石が3個あれば団塊の世代の住む屋根に当たるといわれる。それ位に多かったのである。
・    65歳の誕生日にふと言葉が横切った!「年輪」である!

*    年を寄せるとしわが寄ってくる。
・    老人を表現するのに顔の表情や皮膚の表情はとても有効だ。
・    特に顔のしわはその人の人生を語るに十分でもある。言葉さえ要らないのである。
・    往年の映画俳優の風貌は長い間私の脳裏に焼きついていた。年が寄ってしわが寄った時ほどかめばかむほど味が出てくる俳優であった。
・    写真もさることながら似顔絵で彼を表現しようとするときは私にとっては決まって口髭に並んでしわがかかれなくてはならないからだ。
・    正に年輪になっている。

*    年輪は四季の移ろいを写像したものでもある。
・    一般的に年輪と言えば誰もが木の年輪を思い浮かべるに違いない。
・    木の年輪は夏目と冬目の違いが写像されたものだ。
・    木の成長は夏にはお日様を一杯頂いてグーンと伸びる。しかし、冬には成長が止まる。そこで強い目ができる。それが年輪になって年を刻むのだ。
・    年輪を見ると方位が分かるのである。北半球では太陽は南側から照る。立木も南側に面したほうが多くの日射を受けることになる。そのために北面より南面の方がグーンと成長するのである。
・    もし、山中で迷子になって方位がわからなくなった時は木を伐採して年輪を見ると方位が分かると言うのである。木目の中心から成長の大きい方向が南と言うことになる。
・    言い換えれば、年輪は過去から現在までの足取りを確りと刻印したものであり、同時に未来に向かって進むべき方向を示す羅針盤であるといっても過言でないのである。

*    そして、年輪を重ねれば重ねるほど、目がつめばつむほど強度が出るとも言われている。
・    同じ樹種でも直径の大きさが同じでも年輪の数が多いほど強度が出るからである。

・    材木の取引価格は単位が立方メートル(石数=立方メートルX3.6)で表現される。その次に比較対照されるのは年輪の積み具合である。
・ 建築は「強・用・美」の総合芸術だとかのヴィトルヴィウス氏は言った。私達は、それに+2Cを加える。ひとつは物語・コンセプトの重要性と、もうひとつはコストである。

*    65歳の誕生日に想った:団塊世代の次へのステップがスタンバイである。

・・・・・・それでは、2015年も皆様のよき年を祈ります!・・・・・・・・・