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社長ブログ

嬉しいニュースが入った:新潟県建築士事務所協会建築作品2009年コンペで優秀賞を頂くことができた。

サプライズ〔驚き〕=優秀賞(Super+Prize=Surprise!)
先週、嬉しいニュースが届いた。平成21年度第18回建築作品審査の結果が届いた。
新潟県建築士事務所協会建築作品審査にて都市部門で「リプチの森 間知づくり プロジェクト」が優秀賞を頂くことが出来た。
また、「フライング・ハウス(Flying House) 桜観荘」が住宅部門で昨年の「メビウスハウス」に引き続き奨励賞を頂ことが出来た。受賞作品は全四賞であった。四賞中の二賞を頂くことができたから嬉しい。しかし、額面どおりに受け取ると格好良いが参加作品は全七作品であったと聞いた。それでもやってきたプロジェクトが、第三者によって評価されることは嬉しいことである。コンペは元々、参加することに意義がある。スタッフと一年~数年間掛けてやってきた作品が、表彰されるのであるから大変嬉しいことである。但し単に嬉しいだけではなく、次の作品づくりの大変な大きなパワーになってくれるからである。
そして、引き続き平成22年度の日事連建築賞(全国審査)での候補作品として当「リプチの森 間知づくり プロジェクト」が推薦された。最優秀賞ではなかったのであるが、500事務所毎に一作品であるから新潟県で代表として推薦を受けたことになる。二重の喜びでもある。
自分達の携わった作品が評価されることは、とても大きな元気になる。特にまちづくりは一年二年の勝負では無く、数年かかっての結果評価でもある。どんどん成長していくまちづくりは、どの段階で審査を受けたらいいのかと迷うのも避けられない。
又、建築作品コンペは確りとしたコンセプトがあり、それを拠り効果的にプレゼンテーション出来ないと評価されないことになる。余りにも能書きが多くなると詭弁になりがちだと言う。ある意味で建築は詭弁学でもあるとご高名の建築科大学教授が言った。積極的に受け容れたくない言葉であるが、反面、真を突いているような気もする。
受賞するには新しい挑戦・繰り返される中での醸成・不意をつくアイディア等も評価基準になる。そして、それらのどれもが届く言葉でなければならない。異言者のように自分だけ分かればいいと言うものでもないからである。
新潟県建築士事務所協会の建築作品コンペも18回目を迎えた。今回で弊社も18年の中で、16回26作品に賞を頂くことができた。
対象部門は住宅部門・一般建築部門・公共建築部門・都市部門の4部門から成り立っている。又、賞の構成は最優秀賞・優秀賞・奨励賞から成り立っている。
この種の作品応募は一地方団体だけでやっていると先細りになりがちであるが、全国レベルでの審査があるから、上手く継続しているのでもある。つまり、一次審査が地方・各県競技であり、その次に全国大会の二次審査へと続く。
そして継続は力なり!継続(Success)は成功(Succeed)なりでもある。
弊社の今年のスローガンは「笑顧(エコ)創造」として旗を揚げている。すまいづくりにおける成功か失敗かは、すまいづくりの最中に建築主様から何度感動していただけるかがバロメーターでもある。顧客様の笑顔を沢山作ること(笑顧創造)である。作品の一つ一つに思いをこめてお手伝いをすることである。そして、その副産物として賞をいただけることは、とてもありがたいことである。大変大きな原動力・エネルギーになるのである。
私達の仕事は何か?「(その人・その企業の)塩味が無くなったら外に捨てられて踏みつけられるだけである。」とバイブルは語る。弊社の塩の味とは何か?クライアントの想いを形にすることである。夢を!希望を形にすることである。無形の想い「舞」を形「巣」化することのお手伝いである。であるから弊社では「すまいづくり」を「巣舞づくり」と呼んでいる。
建築主様の物語をつくることである。マイストーリーである。我が家の想いを、希望と言う虹を架けることである。必然的にすまいづくりのクライアントとは、協働作業でコンセプチュアルデザインを求め・形作っていくことになる。
受賞するのは形の上では出品した建築事務所であるが、作品をつくり、生み出してきたのは、むしろ、クラアントの個性である。だから、この受賞はクライアントと共々喜ぶことになる。
最優秀賞を勝手に「超=Super」+「賞=Prize」として、この二つを組合わせると「Surprise!」〔驚き〕である。最優秀賞はサプライズと言うことになる。驚き感激は、次を生み出すエネルギーパワーだ。
私も、一期二年の日本建築学会北陸支部の作品選集選考委員にさせていただいている。今年で断続的ではあるが三期目である。どんなに忙しくても出来る範囲なら、この審査委員は引き受けたいと想っている。レベルの高い作品から頂けるパワーには、大変なエネルギーが宿っているからである。
各支部から推薦を受けた作品の中から、年度毎に100作品が選ばれる。「日本建築学会0000年:作品選集100」として表彰を受けることになる。支部の仕事は、この全国コンペへの推薦を決める仕事である。作品をしっかりと観、現場に足を運びチェック・再確認してのから選出である。地方選は全国選への所謂、前哨戦である。
これはとてもハードな審査でもある。短時間に多くの作品に目を通して評価するのである。その分、私にとっては刺激の多い仕事ではあるが、時々錯覚に陥ることもある。選考している自分が、実は作品に選考されている錯覚に陥るのでる。〔月観るわれ月になり!である〕マイナーに考えれば、作品から選考者が選考する能力があるかが問われてくるのである。
そしてそのことは、どんな仕事においても同じことが言えないだろうか?
すまいづくりは人生の一大事業である。一緒になってすまいづくりの目標を立て、解決を求め、大きなエネルギーを使うのである。であるからこそ、お引渡しの時に振り返ったときに双方から感動の潮がおそってくるのである。
結果としてサプライズ:沢山の驚きと感動は、沢山の賞を頂いたことと同義語である。
それでは今年度も第一歩から!
作品の受賞経歴

Flying house (桜観荘)外観     桜観の間から福島江の桜並木を観る

リプチの森:間知づくりプロジェクト   アークド・リプチ(リプチの森のゲート)

投稿者:高田 |

啓蟄(けいつち)と畦道の芸術祭

3月6日は啓蟄(けいつち):二十四節季のひとつで立春3月21日までだと言う。ウィキペディアに拠れば大地が暖まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ。暦便覧には「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と記されている。柳の若芽が芽吹き、ふきのとうの花が咲くころ。まさしく生命が冬眠から覚めて活動する季節である。復活の季節である。雪国の人々にとっては待ち遠しい春である。「早く来い来いお正月」から、「春よこい 早くこい 歩き始めたみいちゃんが 赤いはなおのじょじょはいて おんもへ出たいと待っている! (相馬御風・作詞、弘田龍太郎・作曲) 」へ!
田圃にも雪がまばらに残る季節である。今年の春先は三寒四温と言ってよい日が続いた。しかしここのところ確実に日一日と春の風が運ばれてくる。まだまだ、田の打ちの季節ではないのに農道や畦道では、一足早い田の打ち〔耕し〕が始まっている。モグラ塚があちらこちらに散在している。
モグラの巣は地下2mくらいにあるらしい。そこから連絡網を張り巡らせて餌場の現場へ直行である。丁度、全ての道はローマに続く!の比喩の様に、大ローマ帝国が帝国維持するために非常時には、軍隊がスピーディーに移動出来る道・街道を延々とつくり、維持し続けてきたのに似ている。幹線街道から地表10~20cmの餌場までの通り道は200m前後あると言う。何でも一匹のモグラの守備範囲は200㎡とも500㎡言われている。大好物のミミズが落ちてくるのを待ち構えて食にしている。そんなモグラ君の天敵の一つが蛇だと聞いた。現場検証したわけではないが親父の話では、もう直ぐ冬眠から目覚める蛇が、モグラのトンネルを目掛けて侵入してモグラをぱくりとするという。本格的なモグラ生息調査に関しては他に任せるとして、私はモグラがつくる感動アートについて朝の散歩で撮ってきた写真を載せたいと思う。
まずモグラの描くキャンバスは大地である。農道であり、畦道であり、田圃の中であり、畑である。時に人家の庭先である。モグラの目は退化しておりほとんど視覚を持たないらしい。だから描く絵は、目で見ながらデッサンは出来ないのである。しかし、ダイナミックに描く絵はかなりのエネルギーを使った大作には間違いない。音楽家で言えば、耳が聞こえなくなって第九を作曲したベートーベンにも匹敵する???ことになる。ここまで言ってしまうと何とも大げさで、先の着地点を見失いそうである。話を戻して、あんなに小さなモグラ君が一匹で数百メートルものトンネルを維持していると言うのはまさに驚天動地〔モグラ君はまさに地を動かしている?〕である。又、一匹で大層大きな面積を網羅しているのであるから寂しくは無いのだろうか?家族はどのように生活しているのだろうか?などなど勝手に心配してしまっている。それにしても大変な働きもの〔働きモグラ〕である。仕事量とエネルギー消費量の法則から言えばかなりの大食漢でもあることになる。一体ミミズのほかに何を食べているのだろうか?
雪国では土の中のトンネルだけで無く雪トンネルまで掘ってしまうこともままある。又地表から余りにも浅いトンネルは崩れてトンネルが露出してしまっている。
その表情がとてもユニークでモダーン書画に見えたり、スペースシャトルから見た都市計画道路網の様にも見えるからとても感動ものでもある。
全国各地で繰り広げられている芸術祭も多くの人々に感動を与えてくれている。掛けたエネルギーに比例してその感動量も違って伝わってくる。昨年には新潟市で水と土の芸術祭が行われた。大変な反響でもあった。強風で吹っ飛ばされた作品もあった。その直ぐ後で再生!
県内の芸術祭で先輩格は何と言っても越後妻有の大地の芸術祭である。トリエンナーレであるが定着してきた。最初に立ち上げた人々のエネルギーは大層なものであったと聞いた。心より敬意を表したい。
最初の仕掛け人は現在、新潟県新発田振興局地域整備部参事 建築課長 渡辺 斉さんである。渡辺さんは中越地震のときに長岡市に復興官としておいでになられたが、元々は本庁で県内の住まい、まちづくりに情熱を持って貢献されておられた。渡辺斉さんの奮戦記がなければ始まらなかったことであると伝え聞いた。
私どもが8年ほど前に亀田町早通で住宅分譲地の造成に関わることになった時にも力強い声援を送って頂いたことを覚えている。役所仕事の中では前例が無いことで新しい提案が一蹴されてしまうことがままあるが、早通のまちは柿ノ木通りと命名された個性あるまちづくりではあったが、そんなまちづくりにも大いに共感していただいたのである。
分譲土地と言うととかく道路はグリッドで、金太郎飴のような一律なまちづくりになりがちであるが、当プロジェクトでは、今まで立っていた樹木を残しながら道路をつくり分譲したのである。土地の持ち主であられた建築家玉井一匡氏の提案による共同事業であった。結果としてかなりのクランク曲がりのある道になり、通行人達には風景を何倍にも楽しむことを提供してくれることになった。道路は真っ直ぐにという町側と大いに議論したのである。町の名前は「柿木通り」である。お陰さまで19画の豊かな間知づくり無事完売したのである。完売は実は町づくりの始まりでもある。時間と共に間違い無く豊かな町に育ってくれるだろうことを確信している。柿木通りのまちづくり〔リンク先にジャンプ〕
又、昨年オープンした秋山孝ポスター美術館長岡も渡辺さんからのご助言が無ければ出来なかったことである。秋山孝先生が前身は大正14年築の北越銀行宮内支店の建物を購入してご自分の美術館をつくられると言う。NPO法人:醸造の町摂田屋まちづくりでの会でその報告をさせていただいた時には参加者は皆で盛り上がった。しかし、実現するにはどうするか?そこが重要である。渡辺さんからは復興資金を使用出来るサジェスチョンを頂き、又、関係皆様からは大変多くのご協力を頂いての完成であった。見事に美術館としてリノベーションされ町の宝となってくれた。年初には長岡市都市景観賞も頂くことができた。(秋山孝ポスター美術館長岡サイトへジャンプ

まちづくり・すまいづくりに、とても情熱をもたれている渡辺さんからは今後とも新潟県のまちづくりに益々のご活躍を期待・祈念したい次第である。

農作業のはじめに田の打ちがある。それに先駆けて、地味ではあるがモグラ君は一生懸命に農道・畦道を耕している。モグラ君は自分に負けじと今日も大作に励んでいる。一朝にして完成しない大作に。今朝の散歩でもヒシヒシと伝わってきた。私達も益々、新しいすごしやすいまちづくりに励みたいと思っている。自分とモグラ君が重なる錯覚にとらわれながら
今朝も散歩を楽しんでいる。


モグラ君達が学んだ書家先生?〔上野の森亀甲展より〕「神農」なる文字はモグラ君を地で? 文字自体が「土竜」の書体?

     

   軟土を効率よく耕す      農耕機のキャタピラー後と協奏?

    

モグラ君のエネルギーで雪まで融かす。    中は結構温かそう?            雪の中から出てきては見たものの!       

    
    春さんこんにちは!                 雪穴は中のほうから融けている。          まさに白布一筆

    
    農道と雪道の狭間で!    畦道と田圃の接線ゾーンは水際           折角這い出てきたがまだ雪

    
農道をキャンバスに立派な書家   砂利道さえ何のその。           畦道を耕す

       
こんなに長い畦道をセッセセッセ!    雪を土と勘違い?雪融崩落?

投稿者:高田 |

庇貸してお母屋取られる:屋根貸して雪庇つくる。

長岡市は無雪都市宣言をしています。看板が確りと雪の中で頑張っているのを見るととてもユーモアを覚える。違和感とまでも言わないが、現状錯誤をしているような妙な感じになる。「事実は小説より奇なり!」と言うより、ここでも「現場は標識より奇なり!」である。一口に雪と言っても、さらさらな“新雪”から雨と混ざった“ざら雪”、乾燥した“締まり雪”、湿気をタップリ含んだ“ベタ雪”と様々である。そして、長岡市内の雪は、冬期間通してほとんど“ベタ雪”状態である。
それらの雪質で、様々な表情を作るのも雪国の楽しみの風情である。
前出のブログでバーバパパ・ジージママの事例でもご紹介済み。
乾燥雪の中でも“風花(かざはな)”は、何とも美しい響きだろうと誰が命名したのだろうか一人感心してしまう。雪華としなかった理由を問いたいのである。
晴天で太陽が出ているときにちらりちらりと舞う雪である。何ともいえない風情である。
湿気の多い地方よりも乾燥している地方に多い。長岡でも数こそ少ないが、時に見ることができる。その雪が続けばパウダースノーとなり、スキーヤーにはもってこいの状況でもある。
又、雪が作る風景の一つに“雪庇”(セッピ)がある。屋根雪に溜まった雪がせり出してくる。風が吹くと風下側の屋根の上から雪がせり出してくる。湿気を含んだ雪が、どんどん成長して庇を作ってくるのである。だから雪庇(セッピ)と言う。雪庇がつくる造形は、楽しくもあり時に危険でもある。固まった雪となって落雪する。通行人の上にでも落ちてくれば大事故にもなりかねない。事実、立派なむち打ち症に診断された事例はたくさんある。
諺に“庇を貸して母屋取られる!”と言う諺がある。ちょっと逆接的になるが、舞い落ちる雪たちの休み場に屋根を提供するのであるが、その屋根をオーバーハングして大雪庇をつくりはじめるのである。
雪庇は屋根雪が風に吹かれて屋根面からせり出してくる現象であるが、風さえあれば出来るというものでもない、雪質と風のコラボレーションである。小さなものから大きく張り出すものまでその表情は、とてもユーモアを通り越してコミカルでさえある。ヘアーファッションショーにもなったりするのは以前見ていただいたが、そのほかにも様々な形で私達をほくそ笑ませてくれる。
例えば、沢山積もらないうちにせり出した雪庇は、薄く綺麗にスライスされたように透明感豊かである。
反対に沢山積もってせり出した雪庇は、越前くらげさながらの大くらげのような大雪庇に成長して気色悪くさえ思う。
これが落ちて下敷きになったら立派な平地雪崩である。
又、垣根に積もった雪が時間と共にせり出してくると一緒に重さを感じてしまう。
簡易物置に積もった雪からせり出す雪庇は、何かを知らせようと必死なシグナルの様でもある。
そんな雪庇をデザインモチーフとして“ゆきん子ペンギン教会(長岡ルーテルキリスト教会)”に取り入れてみた。会堂は高さ13mまで延びるかなり高い吹抜け空間である。2階ギャラリーの手すりにせり出すアール壁を設けることで空間を引き締める役割を与えた。丁度、雪庇の様だと感心してくれたのが、7ヶ月の研修で東京からやってきた神学生のKさんであった。庇効果でポイントを付けることで、天井まで伸びる空間に一味加えて空間を仕切ってくれている。
時間と共に変幻する雪庇は、毎日私達雪国人にはデザインモチーフとなってくれている。
雪国には雪国の環境創造が日々行われているから、厳しさと同時に豊かさも楽しむことが出来る。

               
雪に埋もれる無雪都市宣言看板       何かを伝えようとしたバーバパパ              普通にせり出す雪庇


雪庇  瓦棒でスライスされた雪庇           余りの美しさに翌朝もパチリ               正面から見る雪庇

                     
長く持ち出した建築庇と雪庇            方杖出持ち出す庇                              越前くらげの様な巨大雪庇


綿帽子を被った垣根雪庇                    再び登場ヘアーファッション         長岡ルーテル基督教会の聖壇


聖壇左右の壁は雪庇デザイン         雪庇で高い吹抜け空間を押さえる          資材置場の大庇


コンクリートアール庇

投稿者:高田 |

名は体をあらわす。ニックネームはその時代の状況・情況を一瞬に共感させる力を持っている。
イッヒ ウント ドゥー:(Ich und Du)
第一人称・二人称・三人称・個称VS総称

人を呼ぶ時に、夫婦であると、オイと呼んだり、アンタと呼んだりする家庭が多い。
当事者の固有名詞では無く、第三者的言語を使って呼び合うのである。
それに反して、個人名で呼びあう欧米人・夫婦で名前の呼び合うのは当たり前と文化の違いを見せ付けられても大した違和感は無いもの。
お客様のところにお伺いしていると子供が何々ちゃんと呼んでいるので誰かなーと思いきやお母さんであった。
それに対してお母さんが”なーにOOちゃん?“と自然に話しているのもうれしいことであるが、私にとっては少々違和感を覚えたのは正直否めない。
個性の時代!であれば、呼び名でも当たり前のことであるが、個を大切にした世界観が確実に進んでいる証明でもある。
呼ばれる方も、誰にでも使われる第三者代名詞よりも個人の名前を呼ばれたほうが,より直接的に響くのはわかっている。わかっているが、それでもお母さんを固有名前で呼ぶことには抵抗感を払拭できないのは私だけではないと思う。年代ものだと言われてしまえばそれまでの話でもあるが、きっと難しいことであろう。
私達の日常は様々な関係性から成り立っている。
重くのしかかってくる関係性から軽く見過ごされ、無関係の関係性までその尺度は千差万別でもある。
そして私達はその度合いが両極端に行き過ぎた地点に立った時には、受け止めることの出来ないほどの関係性から遠ざかり、又、距離感もよくガップリヨツに組める関係世界もある。
更に、表層で流されてしまう関係性まで、その結果はその人・モノとの関わり度で測られるものかもしれない。
関係性についてマルチン ブーバーがIch und Du(イッヒ・ウント・ドゥー「我と汝」)の中で言及している。ある出来事・事象との関係、又はある人との関わり方で、“我と汝”的に第一人称が第二人称的に関わっているのか?はた又、“我と彼”と言うように第三人称的に関わっているか?でその人との関係度の度合いが全く変わってくる。
むしろ大切な事象・人格との関係では、絶対に第一人称と第二人称の関係であるべきだと。
お祈りをする時にそうである。第二人称に捉えて祈るのと、第三人称的に捉えて祈るのでは、自分の意識が変わっているだけで無く、全く結果も変わってくることが多々である。
話を戻して、その場にいる関係が家族であれば、お父さん・お母さん・おじいちゃん・おばあちゃん・おにいちゃん・おねえちゃん・何々ちゃん。と呼べばその人を固有に指し示したことになる。
しかし、複数の家族がいたときに当事者で呼び合えば声で識別できるが、呼んだ人の声が似ていて、お父さんと呼ばれたとき多くのお父さんが自分かと思って振り返る。より不確定になる。
つまり、関係性はより個別的になるかどうかで測られる尺度と言うことになる。
何々のお父さん・どこそこのおじいちゃんと言えば固有呼称に近くなるが!
固有呼称で呼ぶとその事象・人の持つ環境・景観はより特定される。
現在は夫婦別姓法案が審議中でもある。固有名称はどこそこの何々と言うことでいち早くその人の情報を正確に得ることになる。情報キャッチにとても便利なことでもある。固有名称が時代の波であるとすればその波はどんな波なのだろうか?その波の後に残る残像形骸はいかようなものなのだろうか?
我が家・会社にそんな固有名称を持った懐かしいおじいちゃんがやってきた。
その名は“よいんどんの父ちゃん”である。姓は小熊さんと言うが家号が“よいんどん”又は“よいんさ”である。(以後、この紙面上は“ヨイドさん”ということにする。)
我が社のグループ会社であるタカモクの前身である高田材木店の時代に大変お世話になった人々である。
逆谷にすんでおられ、若い時から当社の材木の伐り出しに力添えいただいた方である。
原木の伐り出しには大変な労力が必要であり多くの人手が必要であった。それを取りまとめられていた親分である。今のように機械も発達せず、全てが人力に近かったから、大難儀な仕事であった。
逆谷:正式には 新潟県三島郡三島町逆谷であったが平成の大合併で 新潟県長岡市逆谷となり長岡市に組み入れられた。
私の親父が材木店を開いたのは60年前である。私が生まれた年である。
そして、後に製材工場を開設する。その製材工場を自前開業する前から山の木を伐りだしていた。
それは爺様の代から引き継いだものである。爺様は農家でありながら山の木を扱っていた。(余談であるが爺様と私の名前は同姓同名:何でも、その当時、分家である家の長男の名前は本家の爺様から貰う慣わしだったと聞いている。
ところが、私が生まれたのが年末の大繁忙期の12月30日であった。
手工業時代の年の暮れは現在では考えられないくらいに大忙しであったという。
孫の名前等考えている時間など無かった。そこで、“この忙しい時に生まれて!俺の名前をつけておけ。”で、私の名前は爺様と同じ“清太郎”と言う古めかしい名前になったと聞いた。
還暦を迎えた今では充分納得できるが、幼稚園・小学校の時は名は体を表さない貫禄モノであったのかもしれない。)
材木店・製材工場を起こしたが木材・丸太が無ければ仕事にならない。
丸太を製材して製品にするのが仕事であるのだから。
そこで、長岡の東山や西山の山毎、立木を買って伐り出すのである。その一つの山に逆谷があった。
脇の町から入った行き止まりの村である。
いたるところの山を相手に今で言う地杉を切り出した地産地消の時代であった。
繰り返すが、今のように機械化が進んでいない時代である。山から木を伐り出すことは大難儀であった。
冬になるのを待って雪のうえをそりで運び出す方法や夏であれば山から山へ鉄索と称したロープを張って、それに材木を取り付けて車の来る道まで運び出すのである。どちらも大仕事であった。
逆谷はじめ、東山での原木を伐り出した時代は私が小学生から大学生時代までのような気がする。(それ以降は日本の人件費は高くなり外材が多く入ってきて日本の植林は廃れてしまった。)車の免許証を取ってからは逆谷から東山の伐り出しにこられた人達の人夫運びの運転手もした。
帰りはいつも暗闇の山道を一人運転するのである。あまり、良い気分ではない。
月夜になると、同乗した“ヨイドさん”が“今日は出るかな?”私“何が?” “狐の嫁入りさ!山の中腹に綺麗に明かりがともったらそれが狐の嫁入りだ。今日は見られるぞ”・・・・・・皆して私をかまうのである。
私はそんな怖い話に付き合っていられない。
それでも怖さにまぎれて右山を見てしまう。その様に怖くって見たくない自分と見てみたい自分がいた。
そんな私を察するように、翌夜も余計にみんなが私をかまう。
そんなわけで帰路は一目散にスピードアップであった。
その地の人たちが本当に久しぶりに我が家の親父を訪ねてきた。
小熊さんと名乗るお二人に斎藤さんの3人である。
“ヨイドさん”こと小熊さんのお爺ちゃんは今年で82歳だという。
当時を偲ぶ筋骨隆々の面影いっぱいであった。頑丈で頼りがいのあるお父さんであった。丸太を楽々と一人で背負えるエネルギーを持っていたように思う。
その“ヨイドさん”の身体は大きい。対するうちの親父は小柄である。
並べば大きさの差は歴然としていた。この当時、私にとって最も印象に残っていたのが、大柄の“ヨイドさん”が小柄の親父に、かける言葉が「親方、今日の仕事の段取りはこれこれしかじか・・・・」「親方、明日も宜しく」「親方、・・・・」といつも、親父を呼ぶ時に「親方」と言って話を進める。何とも小気味良い関係であった。
当時、その小熊さんのお父さんを呼ぶ呼称が“よいんどんの父ちゃん」であった。
この響きも一言で私を当時にタイムトラベルしてくれる特殊キーワードであることは、今でも変わりないことであった。
屋号は“よいんどん”だからいつも“よいんどんの父ちゃん”と誰もが呼んでいた。:懐かしい響きである。
「よいんどんの父ちゃん」と耳に届くだけでその当時の風景と匂いが一瞬にして届いてくる。
ニックネームはその時代を特定〔立体的な状況把握〕するのにとても便利なキーワードであるばかりではなく、“名は体をあらわす”様にニックネームはその時代の風景・環境を一瞬に垣間見させる力を持っている。
オー!ノスタルジア。
それ以後、大病も経験されたと聞いた。ご高齢になられて一言一言に涙汲まれる親分を見ていると私も時の重みを感じて、心しみじみになってしまった。
何時までも何時までも元気であられる事祈念!又遊びに来てください。有難うございます。(新潟日報掲載コラム1
*フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に拠ればマルティン ブーバーの思想は「対話の哲学」と位置づけられる。
対話の哲学とは「我」と「汝」が語り合うことによって世界が拓けていくという。
ブーバーによれば科学的、実証的な経験や知識は「それ」というよそよそしい存在にしか過ぎず、「我」は幾ら「それ」に関わったとしても、人間疎外的な関係から抜け出すことはできないという。
その「我-それ」関係に代わって真に大切なのは「我-汝」関係であり、世界の奥にある精神的存在と交わることだという。
そして、精神的存在と交わるためには相手を対象として一方的に捉えるのではなく、相手と自分を関係性として捉えること、すなわち対話によってその「永遠のいぶき」を感じとることが不可欠だとする。


”よいんどんの父ちゃん”良い響きだ     我が家の茶の間で記念写真      我が家の玄関前で記念ショット


昔の製材工場がプレカット工場に!    モクード設計室にて

投稿者:高田 |

ポスター売りの紳士?りんご売り!花売り少女!マッチ売りの少女!

アーキニアリングデザイン展(AND展)の東京凱旋展示会がオープンした。

氷の世界!井上陽水の名曲である。

「窓の外ではリンゴ売り、声をからしてリンゴ売り~」 :この詩は難解だ!勝手にマッチ売りの少女をイメージしてしまっている自分がいる。そして、「~きっと誰かがふざけて、リンゴ売りのまねをしているだけなんだろう~」と投げやりな詩が続く。
秋山&斉藤のコラボレーションのAND展記念ポスター売りの実験をしてみた。決して、いい加減にふざけていた訳ではないが中々売れるものでもない。1時間に10組を売ろうと意気込んだが結果は惨敗:3組しか売れなかった。ポスター売りの紳士はそれでも売り続けた。アーキニアリングデザイン(AND)展が東京丸ビル内のマルキューブの大吹抜け空間でオープンした。期間は2月26日~3月7日の10日間である。
1階の1/3くらいのスペースと3階のギャラリー空間を使っての展示はとても見やすく、各々の作品の一品々々が逸品になってくれているから一層嬉しい。
AND展は一昨年2008年10月17日~28日:東京港区芝にある日本建築学会建築会館から始まって、全国10箇所を回り、今回が凱旋展示である。第一回の開催会場は、130点という膨大な模型達がところ狭しと配置されていたが、この度のマルキューブの展示空間はとても見やすく、模型たちを引き立ててくれている。
サブタイトルは「模型で楽しむ世界の建築」である。主催者代表の斉藤公男日大名誉教授に拠れば展示数も30%ほど少なくし、ドームを中心に置いたことでシンボル性が出来、今回の展示会の主旨が一目で分かるようにしたかったと言っておられた。裏話に、垂れ幕看板を作ろうとしたら120万円も掛かるといわれたのでドーム模型を置いたというのは何とも面白い。
1階ホールもさることながら3階のギャラリーは、一品々々がジュエリーの展示配置のようにされていたから余計に魅入ってしまう。
丸ビルの中を通る人の流れは半端ではない。夜になっても多くの方が来場してくれた。
ただ、午後直後はパタッと流れが止まった。人々の流れが止まり一点を見つめている。大吹き抜けに設置されているスクリーンに写しだされるフィギュアスケート競技である。そう、浅田真央ちゃんが銀メダルを取った演技と表彰である。秋山孝多摩美術大学教授と斉藤公男日大名誉教授のコラボによるポスターは会場を一段と華や貢献してくれていた。
このポスターをいくらで売るか?又売れるだろうかと?ミーティングを重ねたが、いざ販売となるとそう簡単ではなかった。会場で模型に魅入っている来館者に一声二声掛けて勧めても中々難しいものである。
来館された私よりの2歳年上だというサラリーマンらしき方が、設置されたドームを見て富士山の山頂から持ってきたのか?と話しかけられ、焦点を得た話だったので限られた時間の中にも長時間を取って話し込んでしまった。それならそれで、この方からポスターをご購入ただこうとターゲットを絞ったが、結論から言うと「ポスターそんなのいらないよ。もう定年だよ、今後どうしようかと思って、小遣いも少なくなるし。」と一蹴された。そこで話は終わると思いきや、更に話は続く「ところでタバコ吸うか?酒飲むか?60代の友達が4人仲間のうち3人が逝ってしまったよ。気をつけろよ。」私に向かって、「でも還暦の割には若そうだな?」と持ち上げてくれたのが唯一の収穫????この会場は一体何を伝えたいのだ?ピント外れながらもかなり楽しく絡まれたりしたが、結局ポスター購入はしてくださらなかった。時間を掛けただけに残念。りんご売りの少女から、マッチ売りの少女になったような心境でちょっと寂しいような悲しいようなイメージに映るかもしれないが、本人はいたって元気ゲンキンである。得た収穫は「酒飲み過ぎるな!お互いに元気でな」ご忠言有難う。さようなら。当初目標を10組販売と自分なりに目標を置いたのだが、中々難しい。それにしても丸ビルマルキューブのホールで売り子になる経験は、そうそう今後ともできる体験ではないだけに新鮮でもあった。
最初はダイレクトに学生達をターゲットに薦めたが全然乗ってこない。それでも大学の建築学科で構造を目指している若い2人からは、斎藤先生をご存知であったので購入していただくことが出来た。勿論、それなりの仕掛けを作った成果といっていいかもしれない。
パズルに挑戦してもらって3分以内に完成したらポスターを差し上げます。と言うと乗ってくる方も漸く出てきた。そんな仕掛けをしたのである。
長岡木族の会の今年の会長である渡辺工芸さんがリプチの森のカレンダーの絵柄を使ったパズルを作ってくれた。それをヒントにAND展のパズルを作ってもらうことにした。それを先生にプレゼントすることにしていたが、急遽ポスター販売支援ツールにしたのである。バラけた駒を男性は3分以内。女性は5分以内に完成させたらポスターを差し上げると言うきっかけ作りであった。出来なかったらご購入いただくという条件で!流石に完成することができた人はいなかった。
約束の時間が近づき私の販売時間は終了した。成績が前述のように100点満点中30点となれば不可であるが、3割打者と考えればマーマーであると一人合点した。AND展を契機に恒例の斎藤先生を囲む会が持たれた。世界の建築(構造デザイン性に富んでいる建築)を見る6会からなる45人の参加者であった。
丸ビルは三菱地所の持ち物。三菱地所で建築構造を担当しているT.Yさんリードで丸の内界隈の地所物件をいくつか散策することになった。ジャパンポストはドイツポストを手がけたヘルムートヤーン事務所+ゾーベック事務所のコラボ!はこれからの楽しみな名所として誕生することだろう。
三菱の創始者は今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で大活躍の岩崎弥太郎である。三菱が夢見た美術館でマネとモダンパリ展が開かれるという。三菱一号館美術館は英国建築家ジョサイアコンドルの設計である。(現在の建築は再生されたものである。)丸の内界隈をこのように歩いたことは無いだけに楽しいひと時であった。懇親会では東京スカイツリーを手がけている人やその両側で高層建築している連中や、全国世界でスペースストラクチャーに携わっている方が多数おいでであった。「森君は頑張っているか?」長岡出身と自己紹介したら長岡市長と大学同期の方S.Tさんが声を掛けてきた。森市長が北京勤務の時期、自分は上海勤務だった。と、中国の建築経験を楽しそうに話しておられた。大学のOB会と違って出身大学も様々設計事務所建設会社建築資材などなど多種多様の構成であった。飲み放題と言いながらも2時間の会は誰もが多弁で自己紹介で終わってしまった。しかし、内容は大変刺激になった。私にとっても大切にしたい会の一つである。この日に間に合うように、ムック本である「建築ノート」が発売された。斎藤先生の特集が行われている。眺めるだけでもとても楽しい本である。ポスターの時にセレクトした建築作品に対する思いを斎藤先生が語っておられた。セシルバルモンドとの対談の特集記事が載っている。
そして主題はポスターに掲載されている斎藤先生の10のスケッチからのご紹介である。是非とも手元に一冊!ポスターと両方でご購入を!

    
マルキューブ大画面に魅入る人達    真央ちゃん声援に通行人も釘付け    3階ギャラリーもスクリーンに魅入る  

    
右スクリーンではなく左模型を!と?     受付スタッフはスタンバイ        真剣にパズルと取り組む来会者    

     
 漸く戻ってきた来会者達           夜も沢山の方が見えられた        斎藤先生もポスター前で大満足

    
ポスターの主役:サルギナトベール橋  国立屋内総合競技場(代々木体育館) 現在でもストラクチャーデザインNO1

            
せんだいメディアテーク模型         シドニーオペラハウス模型        20万戸分ソーラーチムニー計画

   
三菱1号館模型(ジョサイア・コンドル)  囲む会で自己紹介する秋山孝先生

      
 内容豊富なムック本〔建築ノート)    ところ狭しと斉藤研究室の模型達     紹介されている10のコード

                                     
パズルゲームでポスターゲット?                                   中々難解なパズルコード

 

 

投稿者:高田blog |

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