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社長ブログ

弊社では、年に一回長岡本社と新潟営業所の合同安全大会が開催されます。今年は6月25日に協力業者さんと弊社スタッフ合計430名が、ハイブ長岡に集まりました。
毎年テーマを持って基調講演とワークショップが行われます。2009年今年度の弊社のスローガン・標語は「笑顧創造」です。〔笑顧=エコと読ませます。〕世の中マイナス因子が、増殖すると中々いい結果が生まれません。それどころか事故発生の原因にもなりがちです。祝い事であるはずの巣舞づくりに結果として傷が付き、悲愴感や恐怖感まで生み出してしまうことになります。出来れば楽しみや喜びこそ歓迎すれ、悲しみや怒りは飛んで行けーです。
「悲しんでいる人は幸いである。(何となれば)彼らは慰められるからである。」とバイブルが語っているのは決して表層の部分での喜怒哀楽を言っているのではなく意味深長!
私達は巣舞づくりを職業とするプロ集団です。祝い事に傷をつけてはいけない。
巣舞づくりは顧客さまが笑顔でいてくださること。そのお手伝いをすることが、私達の使命であるからです。
私達は「3つの安全!」とスローガンを掲げて久しいことです。
1. 現場の安全:工事中に落下したり、怪我をしたりしないためにハード的には足場を中心に始まる安全ステージを作ることです。ソフト的には何時も平常心を保つことです。現場の整理整頓も現場の安全に一役かってくれます。
2.建築物自体の安全:構造計算偽造問題はもってのほかです。軽度の地震がやってきてすぐに倒壊するようでは、人たちの生命を守るべく巣舞いが反対に危険要因になります。安全の「安」は文字通り屋根の下に女性がいる象徴でもあります。
3.経営の安全:無謀な経営をして会社が倒産したりしたら、巣舞づくりのお手伝いをさせていただいたお客様の巣舞いを守ることが出来ません。アフターサービスと言う言葉が頻繁に使われますが、これは建築業者側からの言葉です。
工事が終わったから後はアフター!しかし、実際に住まわれる方にとっては生活が始まるのですから必要とするのは「スタートサービス」と言うことになります。末永く維持メンテナンスさせて頂ける会社でいることは、とても重要な安全でもあります。繰り返しますが、2009年度のスローガンは「笑顧創造」と掲げました。規格住宅と違って個性豊かな注文住宅は、一軒一軒つくりが異なり同じ物をプランすることがありません。巣舞づくりされる夫々のご家族の方々の思いが違うからです。ですから打ち合わせ時間は規格住宅とは次元を異にします。
一生懸命お手伝いするのですが、それでも時に食い違いが起きることもあります。そんな時に建築主様ご家族を大変悲しませることになります。時にお叱りを受けさえします。誠に申し訳ないことだと反省しきりです。
夢ある巣舞づくりであるだけに。
では、どのようにしたらお客様:顧客さまの笑顔を創造することが出来るか?笑顔の向こうには必ず感動の渦があるものです。そこで第12回安全大会は、ダイレクトに今まで体験してきた感動体験を話し合うことになりました。自分達が具体的に感動したことを通して学んだ感動の成功体験の輪を広げようと言うものです。
ワークショップは、協力業者さんと弊社スタッフ(合計430名)が25のグループに分かれテーマに沿った経験談・知恵の出し合いがなされ、一つのチームが一つのスローガンを作り上げ、合計25の感動スローガンをまとめていくことになりました。そして、明日からの仕事で職人の手で実行して個性ある感動ある現場をつくり上げて行くのが目的です。それを言葉だけではなく一枚のポスターに表そうというものです。〔秋山先生に製作していただきます。乞うご期待の程を!〕
一昨年行われた第10回合同安全大会でのワークショップで、安全のための「ゼロ災:25の誓」が打ち出されました。それを秋山孝先生から一枚のポスターにして頂き今回発表していただきました。25の標語を一枚のポスターに凝縮するのですから、さすがパワーを感じます。
安全大会の目的は絶対に事故を起こさない。事故を起こすと本人はもとより家族を苦しめることになります。関係会社にも多大の迷惑を掛かることになるからです。
巣舞づくりは夢づくり・感動作りです。この祝い事に傷をつけない強い意識を持って夢の巣舞づくりのお手伝いをしたいと思っております。

   
 第10回安全大会スローガン                                            第10回標語を即秋山孝先生イラストで

   
 講演される秋山孝先生                                                討議する25のグループ

投稿者:高田 |

6月は弊社新潟営業所が生まれた誕生月である。ちょうど満17歳を迎えた。いよいよ今年は18年目である。
私にとっては大変感慨深いものがある。
当時、K先生〔画家であり中学校の校長先生〕から新潟市内で自宅を建てたいので新潟まで来てくれないか?
と依頼があった。簡単に「良いですよ」と即答。
しかし、その後新潟での仕事の件数が多くなってくると本社のある長岡から毎回職人を連れて通うのも難しくなってきた。
そこで新潟営業所開設準備がなされた次第である。
クライアントから押し出されての開設であり、決して新潟戦略等と高邁な考えなど最初から在ったわけではない。
いざ営業所の開設を考えるに当たり、場所の選定に大変苦慮したことも忘れることが出来ない。
結果、多くの候補地の中から現在の新潟県立自然科学館に隣接する土地が選ばれることになったのであるが、
視察当日は大変な強風であった。当時は現在のように整備されておらず道路は砂利道。砂煙がもうもうとしていた。
隣接建築物はその都度仕事の内容が変わる貸し倉庫棟が3棟。前面道路を進むと鳥屋野潟の沼地へと続く。云わば行き止まりであった。しかし、どうした訳か妙に魅力を感じる。それは科学館の外部に設置展示されているロケットにあった。
宇宙へつながるロケットである。
何事をするにもこれからはスピードが要求される時代、〔その当時は絶対条件のように錯覚してもいた〕高速道路網も新幹線も整備されている。インターからも駅からも近いことが必要条件であった。
しかし物理的なことだけでは夢が無い。そこに現れたのが宇宙へつながるロケットである。しかも
一番速い乗り物であることに違いは無い。・・・と言うよりも物語があり夢がある。
もともと戦場で尤も難しいのは進軍する時ではない。退却するときに如何に速やかに撤退するかが、
後の勝敗の分かれ目であると兵法に書かれている!・?インスピレーションはビビットリアクション:契約書にサインである。勿論このロケットにはエンジンが着いていないことが判明したので、皆で撤退は無しとの腹構えで新潟の仕事を楽しむことになった。同時期に図書館と鳥屋野潟公園が整備され、一気に環境が整えられた。
現在ではお隣の倉庫は、かの有名インテリアショップのS.H.Sであり、カーブドッチによる食事も楽しめるようになっている。分譲販売されるために沼地は埋め立てられ住宅のほかに、雑誌Komachi社屋や結婚式場が花を添えている。
17年前と全く変わってしまった。変わらないのは宇宙との交信を続けるロケットと弊社の事務所でお手伝いする夢づくりとのコンビネーション
である。一度事務所の扉を叩いてみてください。
開所式での宣言:私達は新潟営業所を開設するに当たり祈願した
「3つのNEがい〔願い〕」を今後も強く持ち続けて行きたいと思います。

① NEEDS:ニーズに答えられる会社でありたい。
② NEO:要求されたものに止まらず一味加えて期待された以上の空間作り巣舞づくりをお届けしたい。
③ NECESSARY:結果として必要とされる会社でありたい。


新潟営業所とロケット


打ち上げ待つ?宇宙と交信ロケット


・一階がギャラリー・二階が設計室 (新潟営業所)

設計室から見えるロケット

投稿者:高田 |

幼き日の記憶に重ね合わせて!
いよいよ梅雨季に入った。夜来からの雨で川は豪流と化している。恐ろしいくらいの泥流となり、目をジーッと見据えているとその勢いに飲みこまれそうな錯覚に陥る。この時期の雨は、越後路には必要なのだ。
幼き日には雨上がりの後が、楽しかった。梅雨時の雨の後には、決まって道のここかしこに水溜まりが出来ている。
そして、その水溜りに小さな魚が泳いでいるのだ。めだかの赤ちゃんでは無かったかと記憶している。
ともかく小さく、そして可愛いいのだ。豪雨の後だけに心温まる風景であった。
それから長い間、何の疑問も持たずに“魚は空から降ってくる”と思った。
やがて、年を重ねて水溜りを見る目が変わった。どしゃ降りの最中にたまたま外で遊んでいたら、
田圃の用水が溢れ出ていたのだ。
小学校の低学年は、学校への近道を覚えた年でもある。登校はいつも時間ぎりぎり。
近道は田圃の畦道と小さな農道、昨夜からの雨はまだ上がっていない。時間が無い.一目散に走り出す。
アッ、道が無い。田圃も畦道も農道も皆水で埋まってしまった。
はだしになって足めくりして、短靴を片手に持って、背伸びしながらようやく向こうの道に到達する。
そこで一息!そして学校めがけて走り出す。
それにしても雨上がりの溢れかえった水は、なんと綺麗な事だったろう。
その水が肌に触れる気持ち良さと感動は、その後にもそんなに多く経験できるものでは無かった。
しかしショックだったのは、帰り道である。朝の水は引け、農道のあちこちに水溜りが出来ている。
なんと魚が泳いでいるでは無いか?
アッ!再びに気づき。そうか“魚は空から降ってきたのではない。”大雨で溢れかえっただけだったのか。
発見には喜びが伴うが、この時だけは発見したくなかった出来事でもあった。
更に時を重ねて、何気なくTVニュースを見ていると、アメリカの竜巻は家をも車をも空中高く舞い上げてしまい、
多くの犠牲を出してしまった。…・・と。その時、牛が民家の近くに空から降ってきた。とも報道している。
竜巻に巻き上げられた牛が飛んできたのだと。私は再びあの水溜りが気にかかった。
やっぱり“魚は空からきっと降ってきたのだと。”2001年7月12日から始めた朝の散歩もあと一ヶ月で満8年になる。
それまでは愛犬チロとの散歩だったので、寄り道だらけで思うようには私を歩かせてくれなった。
雨の日は散歩をやめたくなったり、サボタージュしたくなるが、この時期の大雨〔勿論洪水はごめんであるが〕の後は何故か心が踊るのだ。何時の間にか足は田圃道。大きな川は渦巻く泥流だったが、畦道は何故か水がすんでいる。
私は水溜りに目を凝らすが魚らしき姿を見つける事は出来なかった。
(心の中の水溜りには今も空から降ってきた魚が泳いでいることには変わりない。)
魚の代わりにあめんぼう達がスケートに励んでいる。   
・・・・この時期に空からおたまじゃくしが降ってきた・続いて魚が降ってきた。の報道ニュースににんまり!
懐かしき心のバイブレーション!

           
用水もたっぷりの水量           蛙の平泳ぎ                       たまり水

投稿者:高田 |

2009年6月6日(土)13:00~14:00はAPMプレオープン内覧会開催。
APMとは秋山孝ポスター美術館長岡の略称である。
そもそもは、田上商店主さんから何時とも無く弊社不動産部フォレス・タカダに打診されていた
田上商店さん倉庫物件の再活用の話から始まった。土地の活用だけではなく、
建物の活用の話を交えての話であった。この建物は大正14年に北越銀行宮内支店として建築されたものであり、
昭和45年に新宮内支店が建築され移転した時に田上商店さんに譲渡され今日まで倉庫として使用されていたものであった。
建物を何とか残したいという強い思いから、白羽の矢が地元出身の秋山孝多摩美術大学教授に向けられることになった次第である。それから紆余曲折はあったが・・・・・
昨年の5月17日この倉庫の前で、三人が腕組みしながら建物をジーっと見つめていた。
しばらくしてから「田上さんがこの建物を売りたいと言うのですが、秋山先生からご購入頂き美術館としてご活用いただけないものでしょうか?」・・・すると「分かりました。私が購入しましょう」とまさに即答であった。
何の躊躇もなく口頭ではあるが、田上商店から秋山孝氏に譲渡契約された瞬間でもあり、「芸術家の作品は故郷に帰る」ステージがスタートした瞬間でもあった。
一般的に不動産売買と言えば「検討してから返答します。少々考えさせていただきます。
条件が合えば・・・」など等と話し合いがなされるもの。
しかし、条件は後ほどで良しと両者。このときに立ち会った私にとりましては、まさに驚愕!いや感動そのものと言ったほうが良い。それから1時間後、リプチの森の植樹祭で秋山先生は、ご挨拶の中で「私の美術館を宮内2丁目に開設します」と宣言され、おりしも地元紙の長岡新聞が取材に来ていたので、即記事として取り上げられることになった。
風雲急を告げる!とは正にこのこと。この瞬間から私のバックギアーはなくなってしまった。
その後歴史的建造物としての検討と中越地震の復興資金支援を受けて、一年掛けてのAPMリノベーションプロジェクトである。そしてちょうど1年。5月中旬にほぼ完成。本日が建物だけのプレオープンである。
正式な美術館開館は7月12日(日)。是非ともお出掛けください。開館記念期間中は入場無料になっています。
尚、APMは今後も継続してこのブログでも報告させていただきますので乞うご期待の程を!

 
床・壁・天井ともホワイトの美術館            美術館の雁木から望む宮内の街  

投稿者:高田 |

何事をするにもテーマを掲げタイトルを決め、そしてコンセプトをつくりこんでいこうとする習性は、
建築の設計を職業とする私の性と言っても良いかもしれない。
ブログ開設にもネーミングがいると言う。スタッフから早くつけるように催促されていたが
中々出てこない。いつでも替えてもいいから、仮でもいいからつけてくれという。
名は体を表す!名前はそんなに簡単に変えられないと思っている私からすると少々困惑気味でもある。
“たかがブログではないかと言われはするが、私にとっては初めてのブログ”である。
緊張がないといえば嘘になる。
しかし、いつでも替えられる。替える事もできると言うアドバイスは、
私の肩に入った力を抜くにはとても良き特効薬でありナイスサジェスチョンであった。
その瞬間によぎった音楽がリムスキーコルサコフのシェヘラザード:千一夜物語の交響組曲である。
千夜一夜物語と言われるが、子供時代には別名「アラビアン・ナイト」で親しんできた。
ブログを千一夜も続ける?とてもとても肩の荷が再び重くなる。“胸に一物、手に荷物かな!
”それにもまして私も昔と違って夜型から朝型人間になってしまっているのであるから。
それならそれで夜物語ではなく散歩しながらの朝物語ブログにしてはと、
いい加減なもう一人の私が真顔の私に語りかけてくる。こうなると話は早い。
アラジンの魔法のランプを当てにしての出発である。
ランプを擦ると魔神〔ジニー〕があらわれ私の願いに耳を傾け必ず知恵を与えてくれることを信じて。
千という数字で連想するのが、奈良・吉野の金峯山寺で、険しい山道を年に120日、9年間かけて歩き続ける
「大峯千日回峰行」である。千が重荷の数字ならば百にして百一朝物語になる日も遠からじ。
一週間に最低一回更新するだけでいいと言われて気が楽〔落では無い〕になった。
“シェラザード”を聞きながら明日のブログはどうなるか“知られざれど”と気軽なジョーク〔ジョウキリョク:常気力〕で出発である。
※・・・・千一夜物語とは:妻の不貞を見て女性不信となったシャフリヤール王が国の若い女性と
一夜を過ごしては殺していたのを止めさせる為、大臣の娘シェヘラザードが自ら王の元に嫁ぎ、
千夜に渡って毎夜王に話をしては気を紛らわさせ、終に殺すのを止めさせたという物語である。
話が佳境に入った所で「続きはまた明日」とシェヘラザードが打ち切る為、
王は次の話が聞きたくて別の女性に伽をさせるのを思い留まり、それが千一夜続いたという。
(※ウィキペディア「千夜一夜物語」より抜粋)

 ジニーはタカダの夢を叶えてくれる?

 
1961年録音                                                                 42年前(高校3年生)に買ったレコードが
アンセルメ指揮スイスロマンドオーケストラ                   キャビネットから出てきた

投稿者:高田 |

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