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街づくり実績


かきの木通り


舞Place かきの木通り


 


 


数千年の時をかけ営々として人間がつくり上げてきた文化的環境と、四十億年を超える時間の堆積とともにつくられた自然環境、それら二つの環境の大部分を、とりわけ20世紀というこの100年ほどの間に、われわれ人間は消費しようとしています。その結果、日本各地の都市は共通の深刻な問題をかかえることになりました。旧市街地では空き地や空き家が数を増し、まちがさびれていく苦しい状況に追い込まれながら、その一方では郊外の開発が進んで美しい風景が失われていきます。
そのようにして、日本中のどこの都市に行っても、同じような店の看板が並び、価値の多様化を唱えながらどこもかわりばえのしない景観がつくられていきます。
これらは、自動車を中心とする生活環境をつくり、絶えず生産と消費を拡大するというノルマを背負わされた人間の生活と生産のスタイルがもたらしたものでした。
現代文明が消費したのはモノやエネルギーだけでなく、さまざまな場所や人に固有の「違い」をも消費して経済は成長してきたのです。
その結果、どこのまちも似通ったものになり、わずかに表面上の違いが残されたにすぎません。かつて持っていたはずの心地よさと時間の重なりを失くし、便利だが奥行きも味わいも乏しい、似たようなまちが作られました。
しかし、経済の前進が緩まると共に、そのことに人々は気づきはじめ、まちは変わろうとしています。
早通は新潟駅から6.7kmの近距離にありながら、公共の交通サービスに恵まれなかったおかげで「環境の消費」をまぬがれました。今も集落の周りには見渡す限りの田んぼがひろがって夏には水をたたえ、そのかなたには五頭連峰が連なり、弥彦・角田は水田の中の島のように浮かび、海をへだてたはずの佐渡が、むしろ山並みのように見え、その背後に夕日が沈みます。
この土地の樹木たちは、若葉が春の喜びを伝え、夏には涼しい風を呼び、小さな森にはカッコーやキジやウグイスがやってきます。一画には明治時代に作られた煉瓦塀も残されています。
私達は、この土地の持つ性格を可能な限り残し、それらをできる限り生かそうと考えました。それが気持ちのよい生活環境を生むからです。したがって、この中を通る道路はこのような木々のある広場をかわし引き立てるように曲がりながら通り抜けます。家々の背後にも、それぞれの家を分かちながら結ぶための道も設けます。集落を抜ける道は、このようにして地形や樹木にしたがって作られたはずです。
日本全体を見れば、このような場所は少なくありません。まちづくりにあたって、すでにあるまちの固有の性質を生かすことは、普遍的な命題であると私達は考えています。それは、ひとりひとりの子供達がそれぞれに持っている資質を見つけ、それを大切に伸ばすことが、教育にとってなによりも大切であるのと変わらないと。
ひとりひとりの気持ちよいことが、同時にまわりの人々と環境にとっても気持ちよいことであるようなまちをつくり、これが、日本のまちをより良く変化させるようなモデルとなることを、私達は目指しています。

 

建築家 玉井 一匡
新潟県出身/1969年東京大学工学部建築学科卒業同大学院修士課程/鸞建築探求団、東孝光建築研究所を経て/1976年難波和彦と界工作舎設立/1977年玉井一匡建築研究所設立/しごと「中野パインヒルズ」「田上町立竹の友幼稚園」他/まちづくり「野山町並景観ガイドライン」「蘇陽町馬見原地 区町並み整備計画」/ 訳書に「シェルター」「タイニーハウス」(グリーンアロー社)「F.L.ラ イト住宅作品集」(ADAエディタ)
高田 清太郎
1949年長岡市生まれ/1973年日本大学理工学部建築学科卒業/1976年.高田建築事務所設立、代表取締役/「ドラエモン住宅」「ゆきん子ペンギン」「多塔屋根の家」「ホスピデンス棟」など、風土性ある独自の 建築で新潟県建築士事務所協会コンペにて優秀賞受賞/著書に「巣舞― 居場所さがしの旅」(2002年、新潟 日報事業社)

 


私たちは、すでにそこにあるものを生かすことを計画の 基本のひとつにしました。あらゆるまちづくりと同じように、長い時間をかけて作られてきた「場所」の力と個性を生かすことであり、それが、気持ちよい生活環境をつくることにもなると考えられるからです。
この小さなまちの道路は3つの場所で曲がっていますが、起点と終点の位置もこれらの曲がりの場所も、それぞれに こうした理由にもとづいています。
両端: 集落内を縦断する西側の町道、東側の県道と、このまちの接点は、ちいさな町の目印になるようなものにしたいと私たちは考えました。西側には、現在の住宅への入口があって、アジサイの花や大きな樹木で心地よく縁取られているので、それを道路のはじまりとして生かし、県道と接する東側には大きく育った柿の木が3本並んでいるうちの2本を残してその間を道が通り抜けるゲートにしようと考えました。

公園と車回し: 道路の3つの曲がり角にはふたつの広場とひとつの車回しがあります。形のよい松とサクラのあるところを公園としましたが、この公園によって、南側の町道 に接する区画も、この小さなまちの仲間としてひとつに結ばれます。樹齢2-300年と言われている古い高野槙のある植込も緑地にして残します。北の端の住戸の車の方向転換のためにはロータリーを計画しています。ただの車返しより車の取り回しが楽なうえ に、ここは一種の広場のような空間となるでしょう。
遊歩道: 車のための道路とはべつに、歩行者用の緑道があります。これらは、それぞれのいえの日々の生活をたがいに結び、かつほどよい距離を保ちます。緑道は北の端で煉瓦塀を抜けて、早通小学校へ通う子供たちの通学路となるでしょう。  
敷地の南西の角は、もっとも樹木の濃いところで、集落内の景観にも大きな影響を及ぼすところですが、ここの区画には既存の住宅を縮小移動させ、私有のまま現状の保存をはかります。

長い年月をかけて、この地の歴史を刻んできた木々や草花を残し、
これからも自然と共生していくというコンセプトのもとに、
宅地内に樹木が配置される区画があります。
樹木や植栽位置は現況有姿とします。

 


 


紹介

事例