アンビリーバブル:メイクドラマ:グレートサプライズ:優勝以上の良い戦いであった。
第91回全国高校野球選手権大会が終了した。梅雨季が長引き何度も中断するゲームあり、インフルエンザでメンバーが変わるチームありで、波乱万丈となった。
優勝決定戦は8月24日〔月〕13:00開始であった。
愛知県代表として43年ぶり7回目の優勝を狙う中京大中京高校と新潟県代表として初めて4強に勝ち進むことが出来た日本文理高校との対戦であった。全国4041校の天王山を決める戦いである。
大変な激戦の末、優勝は愛知県の中京大中京高校に軍配が上がる。10対9である。
惜しくも優勝を逃した日本文理高校であるが10対4で迎えた最終回9回表の打線の炸裂には目を見張るものがあった。
しかも、2アウトからの連続打点であった。5点を返し、尚三塁・一塁に走者を置いての息を呑む投球は、強烈なサードライナーで終了した。オー・マイ・ガッド・グレートサプライズ!こんなことってあるのだろうか?新潟野球を見せると言っていた監督・選手達の想いが形となって現れた。一球一球に込める投手の入魂・迎え撃つ打者の闘魂。野球は9回の2アウトからと言うがまさにその言葉を目の当たりにしてみた。6点差で迎えた9回2アウト:手に汗を握るとはこのこと。誰も予想だにしなかった展開であった。
今、折りしもNHK大河ドラマで放映されている天地人:越後の知将、直江兼続が脚光を浴びている。直江兼続役の妻夫木聡氏から寄せられたメッセージは「日本文理の戦いは粘り強く、最後まで諦めない上杉の精神が今でも受け継がれている。」というものであった。9回2アウトで6点の差があれば誰でも勝敗は明らかであった。しかし、1点差になった時には守る中京側ナイン・監督の動揺はいかばかりであっただろう。焦る投手の顔にも共感せざるを得なかった。
一方攻める日本文理側には、9回2アウトを意識させない落ち着いた攻撃で1点・また1点と点を加えていった。
しかし、もし最後の強烈なサードライナーが取られなかったら!と考えると単純な喜びでもなく何故か不思議に心が戸惑ってしまう。あまりにも凄まじい激闘のプロセスの前に結果が如何にちゃちに見えて来たのは私だけであったろうか?
3アウト試合終了で、涙の顔は優勝したチーム中京大中京ナインであり、準優勝の日本文理ナインは満面の笑顔であったことからも証明された。「優勝以上の戦い」であった。誰もが感じ、誰もが口にした言葉でもある。同時に優勝したら使えない言葉でもある。メイクドラマは、優勝だけではないことを見せ付けてくれた。
おめでとう。両軍よ。
|
チーム名 |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
計 |
|
日本文理 |
0 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
5 |
9 |
|
中京大中京 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
6 |
2 |
0 |
x |
10 |
遠者悦・近者来:(?)APM〔秋山孝ポスター美術館長岡〕では様々な感動物語がありますが、そのひとつが遠者が来!
論語に「近者悦・遠者来」と言う言葉がある。良き政治をしていると遠くからも民が集まってくると言うことわざである。
中国故事:葉公長官が偉大な思想家・為政者:孔子を招き教えを乞うた「役人が民と上手くやっていくのは中々厄介だ。
政治の要諦についてどの様に考えていられるか?」と。その時に孔子が発した言葉が「近き者悦び、遠き者来る。
即ち、近い者が喜び、その噂を聞いて遠くの者が自然にやって来る。そのような政治ができたら、それが一番いいのではないか」と答えた。この反対を一口で言えば“まず近くの人に喜びがないのに遠くの人が集まってくるわけがない”である。集まり方にも順番があり順序が大切であるといって良い。国家の繁栄バロメーターの一つに民が集まってくるか、反対に離散していくかがある。集まるところにはエネルギーが高まり結果として国家は栄えるのである。(過程は違えど、少子高齢化の日本・減少する人口の国は確りとこのことを肝に銘じなければならない。)バイブルに“汝自身を愛するように何時の隣人を愛せよ”とある。何気なく居ると通り過ぎる言葉であるが、ここでも順番・順序は大切であることを示唆している。まず“本当の意味で自分を愛せない人は他者を愛することができない”と言うことになる。しかし、反対のこともある。
「摂田屋地区に生まれ育った私もつい近年までは醸造の町摂田屋がそんなに凄い町であったとは思わなかった。
外部から来た方が発見してくれて初めて見直す。まさに灯台下暗しある。」芸術の世界で世界的に評価された人でも、遡れば、必ずしも生まれ故郷で最初に評価されていたとは限らない。むしろ、珍しいと言ったほうがいい。
日本国内では評価されなかったが外国で評価されて日本で再評価されるとか?芸術の世界では多々ある話でもある。
ドイツ人ブルーノタウトが日本の美を「桂離宮」に発見した時もそうである。渦中・日常に居ると特に評価するほどのことでもなく、むしろ、当たり前のことが外国人によって評価される例は幾万とある。論語の言葉を逆転してしまっている。「遠者悦・近者来」逆輸入現象もある。ドイツで買った刃物を得々と使っていたら「あ~それ、三条市(新潟県)で作っているんだよ」と指摘されてしまった。思わず“えっ”である。
APM〔秋山孝ポスター美術館長岡〕が7月12日にオープンして1ヶ月以上が経過した。APM来館者が市外や県外からむしろ多くお出でのような気がする。これには我々サポーターズ達にもびっくりである。
情報化社会!情報獲得手段が高速インターネットになったからでもる。一瞬のうちに目的物を探してくれる検索機能付きであるから話は早い。知る人ぞ知る。秋山孝ファンは全国津々浦々までおり、美術館オープンを知って遠方からも沢山の人々が来館された。秋山先生は7月には上海で個展と講演を開催。8月にはタイバンコックで個展と講演を開催。世界中からファンがやってくるのも楽しみである。火曜休館は告知しているのですが、先々週に東京からおいでの方が名詞に「残念,本日が休館でした。」と書き残して立ち去ろうとするところをサポーターズのスタッフ田上さんが見つけて、入場していただいた。(昔の田舎のバスは手を上げると、停留所でなくても止まって乗せてくれる風景は、決して珍しくもありませんでした。そんな懐かしきも麗しき美術館と言ったら良いかも知れない?)この様に、遠方から多くの方がAPMにおいで下さる。その情報を得た地元民が秋山先生を再評価しているのが現実である。建築屋の私達もお手伝いさせていただいた築縁様〔建築主様〕がまずお喜びになる姿を見て次の建築主様がおいでになられる。更に言えば、C.S〔顧客満足〕の前にS.S〔スタッフ満足〕が大切であるという事でもある。又、今を大切に出来ない人に将来を大切に出来るはずがない。小さな事を大切に出来ない人に大きな事を任せられない。と言うバイブルの言葉がフッと頭をかすめた。

見城美枝子さんも麗〔娘さん〕と来館 見城先生へサインする秋山先生 APMから徒歩5分,サフラン酒の鏝絵の蔵
今年のお盆はからっとした夏空にはならなかった。ニュースでは6年ぶりに夏のない梅雨季から秋になってしまう年になるのではと懸念していた。
そんな天候の合間を縫って今年のお盆は炉用の灰づくりに励んだ。〔正確に言うと励んだのは私ではなく女房と娘であるが・・・その補助と言ったところである〕
灰作りで大事なのが晴れ天気・燃える太陽である。
一昨年からお茶の作法を学ぼうと裏千家の先生である伯父のT先生の門を叩いた。
と言うと聞こえは良いが、実際は住宅や割烹の設計を頼まれると時々茶室のお話が出てくる。
その時に図面上だけでなく作法として習っておくに越したことはないという必要に迫られてのことであった。
会社のスタッフにも今後、設計上必要になるからと言うことで参加を促したところ第一陣は8名で参加することになった。出席率の一番悪い私がブログに書くのであるから迫力は不足気味であること。
スタッフの皆様、ご寛容の程を!
私にとって茶事習い事は今回が初めての挑戦ではなく、遡ること15年前に一度は挑戦したのであるが、
当時はとても忙しく通うことは出来なかった。そして当時はT先生も15歳若く教えに力が入っていたように思えた。そんな中での私は習い仲間の足手まといになるのでは?と中断である。
15年経ったT先生も多少丸くなられ(私が大人になったのか?)すんなりと習い事3年目に入ったのである。
と言えば聞こえは良いが、習い日は週末の夜:当然、様々な会合とバッティングする。必然的に欠席の月が続いてしまう。それでもちょっとの時間があればお茶を頂きに行くのはその時間が精神的にも大変穏やかなものを感じるからである。
昨年には我が家で、T先生から炉用の灰づくりを教わった。と言っても自分は何もしない。T先生と助手そして女房と娘がするのを眺めていただけであった。
今年は先生も助手もお出ででない。そこで私の出番である。水こし・灰干し・秘伝の液体入れ・練りこみ・灰干し・・・何度も繰り返して最後に篩い落としして出来上がりである。
それはそれなりに楽しいものであった。汗を拭き拭きの格闘であった。昨年は見ていたが今年は実際に灰に手を触れ捏ねているといつの間にか愛着がわいてくるのである。炭手前は灰づくりから!不思議に納得している自分に気がつくのである。
T先生は年齢に反比例するかのようにスピードアップで、様々な点前を教えようとされている。実践も大事と、二年間に二度のお茶会を持たれ我が社のスタッフも大奮闘である。(私の役どころは切符きり)昨年10月には分譲土地:リプチの森で一夜城ならぬ一夜茶室がつくられ町内の文化祭に合わせて茶会を開催したのである。寸法は利休の長男:道安好みの三畳下座床であった。
リプチの森の一夜茶室 道安好みの三畳下座床 灰手前:炉に灰を入れる

灰汁抜き 細かく灰をもむみ日干し
直木賞受賞作:山本兼一著:「利休にたずねよ」には、読者である私がお茶を習っていなかったら読み込めない所作がたくさんちりばめられていた。これも副産物である。
神様のパレットにはどのくらい多くの絵の具があるのだろうか?
リプチの森の横には太田川がゆったりと流れている。南蛮山や山古志から降った雨の一滴が、他の水を集めながら小川となり、日本一の長い信濃川に注ぎ込む。太田川自身はそれ程長くない川でもある。
雨が降ろうものならすぐに泥まみれの川となり、決して清流等とは呼べないのだが、ここに渓流の宝石と言われるカワセミが巣くっている。
朝の散歩の楽しみの一つは、太田川でカワセミに会うことである。初めて出会ってもう10数年になるだろうか?姿が見えない日はいつしか名前で呼ぶことにしている。カワセミのカッシーである。
勿論何羽いるか私には分からない。それにしても、長い間一羽しか観測できなかったが、一昨年、同時に二羽見たことがある。それ以降は依然として一羽としか出会わなかった。
町内のFさんは野鳥観察委員と聞いた。町内祭りの打ち上げ会でカワセミの話で盛り上がったばかりである。Fさんが言うには、JRの鉄橋から太田橋までの1km弱のところに7羽観測されていると言うのである。一度に7羽が飛んでいなければ、7羽を見分けることができないのではないか?皆同じ姿かたち・色合いをしているから見分けが付かない。一羽一羽の顔を識別できないからである。が私の稚拙な意見である。それでも私は長い間一羽か二羽としか出合ったことがなかったので、きっとそれ以上の複数に出会うことはないだろうと思っていた。
ところが、ところがである。先日の朝、びっくりである。何・何と!5羽のカワセミが目の前を大カーブをつくりながら直列に飛んでいくではないか?しかも水面すれすれに!弾丸ロケットのように!びっくり・ドッキリである。思わずコンパクトカメラでパチリ。5羽同時にはカメラに入らなかったが、3羽を撮ることが出来た。
何と凄いことだろう。今年の梅雨は長く散歩道も重い空気が漂う毎日であったが、カワセミの群団に出会った途端に何とも表現できない驚きと温かい喜びを手にすることが出来た。Fさんの言う7羽が居るんだ。とうなずいてしまった瞬間である。
渓流の宝石と言われるだけあって、カワセミの背中は鮮やかな緑とトロピカルブルーをしている。止まり木に止まっている時は青や緑だけでなく、黄土色にも見える。インターネット(ウィキペディア)で調べてみると、「カワセミは本来青くなく、光の加減で青く見える。これを構造色といいシャボン玉がさまざまな色に見えるのと同じ原理。特に両翼の間からのぞく背中の水色は鮮やかで、光の当たり方によっては緑色にも見える。漢字表記がヒスイ(翡翠)と同じなのはこのためである。」とのこと。
何れにせよ“鮮やかな彩り”に出会うことが出来ると思うだけで、これからの散歩が一層楽しくなりそうである。


秋山孝ポスター美術館長岡〔略してAPM〕は、美術館なのに「音響がとても良い!とのお墨付きを頂きました」というご紹介?をします。
オープンの数日前に、式典で生演奏をお願いした畠山徳雄氏(ギター)と片野大輔氏(チェロ)によるリハーサルが行われました。この時に、「ちょうどいい残響音でとても酔ってしまう。この場所で生徒達に教えたら生徒たちがうまくなったと勘違いしそうです。」というお褒めの言葉?を頂きました。(北海道のサラサラの雪質のスキー場でうまく滑れたのに、長岡スキー場ではベタ雪のために急激に下手になった様な感覚?)
普通の打ち放しコンクリートの壁面で囲われているコンサート会場では、音がビンビンと跳ね返ってくる。
その音響と比べると格段の差があり、ここはとてもいい空間だと絶賛してくださいました。
また、残響時間は3秒あると言っておられました。〔私はこの辺の微妙さは感知できていません〕
実は、APMはコンクリート壁の中にスチールブレースで耐震補強を行いました。空間を300ミリ位取りその内側にコンパネ12ミリとボード12.5ミリを張ってあります。吸音版が設置されていないので残響音が残りますが、RC壁と内壁の間の空間が振動して緩衝帯になってくれているのではないだろうかと思います。
長岡ルーテル教会(通称:ゆきんこペンギン教会)で演奏する人達も口を揃えて、とても良い音響空間であるとお褒めくださいます。こちらは神奈川から来たチェンバロ製作者が残響時間4.3秒と言っておられました。
木造空間で天井が高いので反射音が柔らかく良いらしいです。
両方とも特別な音響設計をしたわけではないのですが、音楽家達〔特に弦楽器の方〕は、良い空間だと絶賛くださいますから本当に有難いです。この2つの建物は、意識的には造らなかったが、無意識に出来てしまった音楽堂?といっていいかもしれません。
予想していたこととは違って、思わず感嘆詞:オキョッ!何故か私にはオンキョウと聞こえてしまいます。どこの方言だったか似ています。
建築のお手伝いをさせていただいたお客様との間でも、予期せぬ好結果が出るとお互いににんまり感動です。落語の面白度は、予想できない落差の大きさにあるといいます。

両氏による音あわせ 金庫の扉を背に練習する畠山先生

ゆきんこペンギン教会にて音楽会 ゆきんこペンギン教会
音の持つ力:日本一の長岡花火大会が開催された。
今年も長岡祭りの一大イベントである大花火大会が開催された。8月2日:一日目は天候不安定にもかかわらず、日曜日とあって繰り出した人数は47万人と言う。8月3日:二日目は花火日和となった。
NHK大河ドラマの天地人(直江兼続)をテーマとした天地人花火はテーマ曲に乗って打ち上げられたデザイン花火である。プロデュースは昨年に引き続き池端信宏氏〔加山雄三氏長男〕による大変レベルの高い花火であった。
中越地震後の復興メモリーとして打ち上げられたのは、フェニックス花火である。昨年までは6連だったが、
今年は15連打ち上げであり、打ち上げ場所も三尺玉打ち上げ場〔長生橋の上流〕から大手大橋の下流まで拡げられての打ち上げである。近くで見る人々には一度に捉えることの出来ないパノラマワイドである。某テレビ局の話では一度に収めるには山のほうまでTVを引かなければならないと言っていた。
その他の花火も寸分を待たず連続でスターマイン・ベスビアス・10号連発と続く。花火は間合いが大切だ。
大型花火の大切なキーポイントは間髪を入れずの間である。
尻上がりに大きく・高く・密度濃く・打ち上がった花火には万来の拍手のシャワーが振ってくる。
最初、なんで花火に拍手等と怪訝な顔していた関東から来たと言う人が、最後には大声を出した上に負けじと強い拍手をしていた。
花火のポイントは「構成・間合い」だと言ってもそのベースには「音と色彩」がある。音のない花火等迫力なぞ何にもない。音で光る花火が眼に映る。音は聞くものと思っていたが眼に映る花火はまさに「音は観るもの」かもしれないと思えて来た。
同時に花火の形・色彩は見るものだと思っていたが、年を重ねるうちに「色彩は聴くもの」であったのであろうか?
丁度、目隠しして鼻をつまんで食べる桃と洋ナシは区別が付かないと同じである。鼻で香りを食べているからである。
それにしても長岡花火の彩りは日本一・世界一の花火と言っても過言ではないと声を大にしたい。
来年も一層鮮やかな色彩と音を楽しみにしています。

長岡花火大会

今朝は早くから小雨が降っている。梅雨時の小雨は田圃の稲を潤してくれるだけでなく、畑の作物にとっては命の水でもある。
いつものように散歩に出かけるのであるが、生命を育む恵みの水と思っただけで心は弾む。
カタツムリやナメクジまで道路を横断している。
ふっと目を移すと雨板張りの家屋に取り付けられた縦樋が目に留まる。
普段は隅に隠れて目立たないところで機能を発揮してくれている縦樋が、
堂々と真ん中で自分の存在を主張しているから思わずシャッターをパチッである。
軒樋で集水された雨水が縦樋を通って地面に放水している姿は、一層存在感ある物にしている。
更に目を移すとベランダから張り出すガーゴイル〔オーバーフロー装置〕から、
流れ落ちる雨水の痕跡を晴れた日にも確認できる。無いことで主張する縦樋もある。
15年前に竣工した「ゆきん子ペンギン教会」(長岡市)の屋根の集水デザインも独特である。
コーナーに集まった分だけをシャモジ型のスポット樋で受ける形は丁度、建物のイアリングといったところである。
樋はひさし部分・軒部分に平行に取り付けられる軒樋とそれらの水を集水器で集め地上に流すための縦樋とでなっている。敢えて縦樋を中途で留めておいて、下のほうに壺でもおけば雨の日には楽しい音楽を奏でる楽器に早変わりでもある。繰り返すが、樋はどちらかと言うと裏方でデザイン性を持って前面に出てくることは中々無いが、敢えて守りパーツを攻めのパーツに替えることで、意外性を生み出す好事例でもある。
バイブルの言葉を思い出した。「身体が一つであっても肢体は多くあり,また、身体の全ての肢体が多くあっても、身体は一つである。」「もし足が手ではないから身体でないとか、耳は目でないから身体ではないとか言ってもそれで身体に属さないわけではない。」「もし身体全体が目だとすれば、どこでかぐのか?」「目は手に向かってお前は要らないとは言えず、頭は足に向かってお前は要らないとも言えない。」「そうではなく、むしろ身体の内で他より弱く見える肢体がかえって必要なのである。」それぞれが夫々の役目をしている。必要なものである。
建築と言う仕事も多くの人々の頭脳・手・汗を通してつくり上げられていく。
設計スタッフ頭脳からは夢の設計図がつくられ、多くの職人さんたちの手と汗によって工事が行われる。
どの一つも割愛できないものである。
雨の朝の散歩でふっとそんな風に想った。
・縦樋から放水される雨水 ・真ん中で主張する縦樋 ・ ベランダにつけられたガーゴイル

・縦樋をなくすることで樋の存在を主張 ・ ユキンコペンギン教会

・シャモジ型樋は建物のイアリング

・でんでんむし虫カタツムリ!
“100年に一度の津波がやってきた!”とグリーンスパンが言った。そしてその津波(サブプライム津波)は、一瞬にして世界にくまなく行き渡り日本にまでやってきた。「景気がいまひとつぱっとしない!」「うちは土砂降りだよ!」「業界ごと吹っ飛びそうだ!」「週休2日?良いじゃないの、うちは就業2日だよ!」と挨拶代わりに交わす言葉に、今後ずっと永久に暗いトンネルに突入して、二度と出ることが出来ないような響きを持っている。
全ての経済活動が休止する?地球の自転が止まるような錯覚に陥る。ある状態が5年も続くと今後とも半永久にその状態が続くと勘違いしてしまう。10年も続けば、それこそ永久的な常態と感じるだろう。〔ロスト・デケード〕
しかし、歴史を見ると必ず周期を持って上向き・下向き・横ばいが続くことも皆、納得済みでもある。住宅着工数が年間120万戸時代〔過去190万戸まで届きそうな履歴を持つ〕から80万戸時代に突入と言う。実感はそれよりも下回りそうである。
少子高齢化に加えて長寿命化住宅の普及で誰もが見えている未来でもある。そして、業界人にとっては同時に準備をしなければならない未来でもある。
景気後退の時なのだから住宅着工数の激減も当然。ところがである、ピンチはチャンスの裏返しでもある。政府は様々な景気対策の中でも住宅所得者に対する支援策に大きな比重を置いているのも事実である。正に巣舞づくりの人たちにとっては、今までに無い程の大きな応援風が吹いている。低金利政策・返済期間長期化政策・贈与税減税・ローン減税・免税点とより取り見取りである。
そして何よりも建築業者も必至で、良い品質をリーズナブルに作ろうとするチャンスである。
今こそ巣舞づくりを!想いうかべて下さい。上棟風景を!一灯も暗ければ暗いほど明るく光を感じるものである。
巣舞づくりは人生の大事業:中でも上棟日は、子供・初孫の誕生日にも似た喜びをかみ締めるものである。晴れ舞台中の晴れ舞台である。
上棟当日の夕方近くになると何処からとなく、子供達が大人たちの手を引っ張って餅拾いに集まってくる。撒きものは餅〔隅餅・紅白きり餅〕・お菓子に加えて・5円玉〔ご縁があるように〕・50円玉〔ご縁を重ねる様に〕である。
そもそも上棟式がある工法は日本の気候風土にあった伝統文化である。日本は高温多雨多湿地帯である。まず屋根を覆い雨から建物本体を守る工法である。2X4や組石造であれば下から積み上げていく工法だから、屋根からおさめていくという発想自体が生まれない。〔これらの工法は乾燥地帯の住宅工法である〕
子供達はよ~く知っている。工法の違いを。餅まきする建築工法を。単なる餅拾いではないのである。これは日本の気候風土に根ざした建築工法であり、日本の文化としての上棟式・餅まき・餅拾いである。
屋根の上で上棟を仕切る棟梁にとっては、つくる腕の見せ所でもあり。餅をまく棟主にとっては私がこの建物の主の宣言でもあり晴れ舞台の絶頂でもある。何よりも餅まきのその瞬間には不景気の追い払い〔祓い〕でもある。
それにしても弊社がお手伝いさせていただく上棟式には、なんと多くの人たちが餅拾いに集まってくれることだろう。巣舞人に贈られる祝福の拍手は、永久に忘れることのない感動シーンでもある。
良き伝統:上棟式と餅まきは景気不景気に関わらず今後とも無くしたくない日本伝統のひとつである

・いよいよ上棟式前準備 ・秋山孝先生〔左〕と上棟式に参列 ・多くの人々が集まってくる。
・隅餅をまく親子 ・切り餅をわしづかみにしてまく ・一生懸命に餅拾う子供たち
秋山孝ポスター美術館長岡とかけてポパイのホウレンソウダと説く
鮮やかなり!そして艶やかでもあり!
リノベーションを完成した美術館に秋山孝先生の67作品が一同に並んだ。圧巻である!
鮮やかなり!そして艶やかでもあり。空間を圧倒する波動が渦巻いている。
いよいよ秋山孝ポスター美術館長岡がオープンしました。
大正14年に建築された北越銀行旧宮内支店〔昭和45年からは田上商店さんの倉庫として使用されていた〕が、秋山孝ポスター美術館長岡として生まれ変わりました。
秋山孝先生は地元長岡市宮内・摂田屋が生んだ天才グラフィックデザイナーであり多摩美術大学の教授をされています。
2008年5月17日に現在の土地建物を購入され、歴史的建造物復興支援を受けてリノベーションに取り組んで1年!私にとっても美術館構想に最初から関わってきたものの一人として大変感慨深いものがあります。
2009年7月11日は、第一部と第二部に分かれて記念式典セレモニーが開催されました。
第一部では秋山孝先生の恩師、お世話になった方、行政関係の方をお招きしての式典でした。
最初に館長である秋山孝先生から当美術館の開館に当たっての抱負を中心にご挨拶をしていただきました。引き続き、森民夫長岡市長様・北越銀行久須美隆頭取様から、ご祝辞を頂きました。
花火の号砲を合図にテープカットがなされ、いよいよ開館です。一通り館内を見ていただき、第二会場はサフラン酒さんの鏝絵の蔵の一階で秋山先生の若かりし頃の秀作を見てもらうことにしました。かなりメランコリックな暗い絵も多く、現在の鮮やかな色使いのポスターとは対峙するエネルギーを覚えました。
鏝絵の蔵は秋山先生が上組小学校に登校する途上にあるものです。県外から来られた皆様から「秋山先生の色彩の原点をこの鏝絵に見つけた」と言われた言葉に胸にすとんと落ちるものを感じました。真実は、時々第三者・外部から見た目にこそ良く見えるものだからです。
その後、醸造の町摂田屋の一部を歩いて頂き、吉乃川さんの瓢亭で醸造の町の情報収集をして頂きました。勿論、美味しい吟醸酒の試飲会もサービスして頂きました。
瓢亭からは旧三国街道を味噌醤油の“越のむらさき”さんまで散策。
摂田屋は江戸時代には天領の地:旧三国街道はお殿様も籠から降りて歩かれた土地柄でもあります。
今回オープンの美術館だけが秋山美術館ではなく、摂田屋全体を一つの美術館ゾーンとして捉えていただこうとした試みです。
そして祝賀会はチェロとギターで奏でる「G線上のアリア」をバックグランドミュージックに各界の重鎮からご挨拶頂き祝っていただきました。
第二部は秋山孝先生の仕事仲間や大学院生そしてサポーターズ倶楽部終身会員の方々からお祝いパーティーを盛り上げて頂きました。有難うございました。
美術館の開館時間は11:00~17:00(入館は16:30まで)、定休日は毎週火曜日です。
今年度は10月9日までは、開館記念として入場無料となっています。
10月10日から10月一杯は企画展が計画されています。11月から3月一杯は休館予定です。
是非ともお出掛けください。お待ちしております。
秋山孝ポスター美術館(APM)と掛けて2つの「ポパイのホウレンソウダ」と説く:その心は?
1.一つ目のポパイ
・ポ:ポスターはポピュラーに愛される身近の出来事の凝縮です。
・パ:パティキュラー:特殊な美術館:日本では初めてのポスター美術館
・イ:イディー:アイディア:形の向こうに見えるものです。
・ホウ:知恵の宝庫:秋山孝先生が豊かな歴史ある町をステージに豊かな地域を作り出す。
・レン:連携:人と町と美術館が連携取る。
・ソウ:創造:組み合わされると、そこに新しい創造が生まれる。独特の発想が生まれる。
・ダ:打:感動こそ現代の閉塞感打破である。人々は感動で胸を打つ。
・暗く低迷する現代を打破するという時代が要求する尤も大切なキーワードは感動です。
・・・・
2.2つ目のポパイ
・ポパイのそのものです。タフなポパイのエネルギー源はほうれん草です。食べると即エネルギーに生まれ変わるからです。
・秋山ポスター美術館長岡は多くのサポーターズの皆様の支援金によって運営されています。
・リノベーションと言う第一段階ロケットである建設工事は打ち上げられました。これからが二段ロケットの噴射です。エネルギー支援〔支援金〕のお願いをして開館ご案内とします。
・APM正面全景 ・全面雁木でテープカット ・秋山孝APM館長ご挨拶
・森民夫長岡市長ご挨拶 ・北越銀行久須美頭取ご挨拶 ・美術館内見学
・ショップ用バックヤード ・鮮やかな鏝絵の前でショット ・サフラン酒鏝絵の蔵は第二会場

・若かりしころの秋山先生の秀作 ・鏝絵蔵が美術館に大変身 ・香り一杯の旧三国街道を散策
・祝賀会はコンサート会場に変身 ・APMサポーターズ倶楽部高田会長挨拶 ・APM運営委員会会長豊口協会長挨拶
・日本グラフィック協会勝井会長挨拶
そして20090712〔日〕は一般公開グランドオープンです。
11:00・13:00・15:00の三回に渡って各一時間づつ秋山先生からご講演が行われました。
ポスターはコメントあると無いとでは深みが変わります。

・秋山孝大学講座 ・美術館は大変な賑わい ・金庫コーナーからお話しする秋山先生

・ついつい熱が入る秋山先生 ・ ご講演後はサイン会 ・お花を前に記念写真
“蟹は甲羅に似せて穴を掘る”と言うことわざがある。巣舞づくりにも言えることで、現在の我が家の自分サイズ〔家族構成・予算等〕に合わせて、当初は計画プランニングするのである。しかし、巣舞は家族の成長と共にどんどん変化していくから、何度となくリフォームする必要に迫られる。
“スケルトン&インフィル”世代間を越えて長期住宅に対応するためには、構造と内部設備等は分離されている考えである。間取りを自由に変えることが出来るから長持ち住宅になる。
“大は小を兼ねる”LLスタイルの人はSサイズの服装を着ることができないが、Sスタイルの人はLLサイズの服を着ることができる。勿論着心地は保証できないが。
“帯に短かし、たすきに長し!”どっちつかずの中途半端で役に立たないこと。バイブルに“熱いか冷たいかであれ!ぬるま湯だったら吐き出そう!”と言う言葉があるが、似ているようでもある。
“水は方円の器に随う!”包み込む器の形に自由自在に追随する。入れ物の形に変幻するのであるからその能力は凄いものであり、その柔軟さには感服である。
“酒は器を選び、器もまた酒を選ぶ”日常の巣舞・週末に利用する巣舞・別荘・趣味を生かす巣舞・等と時と場所をわきまえて、住まう人の生きがいを引き出す巣舞づくりがされれば、不景気風も吹っ飛ぶのになーなどと暢気なことを言っているのは私だけだろうか?
割烹「柳屋」さまの第一回イベントにお招きいただき、感動したことしきりであった。
見附市今町で一昨年に設計のお手伝いをさせていただいた割烹柳屋さまは260年という歴史を持つ老舗。
中ノ島―見附今町凧合戦で有名な土地でもある。
タイトルは「久須美酒造冷酒試飲会:酒と食の夕べ:特別企画」演者は感性科学研究所代表の戸塚昭農学博士、会の司会は若女将、お酒の提供は久須美酒造第七代目久須美賢和氏であった。
その会では高校時代の同級生に40年ぶりに会ったり、当社の築縁様に会ったりした上、建物のデザインがとても良いと評価されたものだから、ついついいい気になって飲みすぎてしまった。
出されたお酒は「夏子の酒・清泉・7代目・亀の王・翁・尾」
1.夫々の料理ごとに、一番美味しく頂くために選ばれるお酒が紹介された。食通で無い私にはあまり分からないが、一言添えられると美味しさが変わるから不思議である。
2.酒通の間では「酒は器を選び、器もまた酒を選ぶ」という格言があるらしい。この言葉を知らない私は酒通ではなさそうである。同じ酒でも器を変えると味が変わる。
1上部が広がった朝顔型は手首のスナップだけで飲めるから、日本酒が舌の上を喉に向けて素直に流れ、まろやかな味わいに感じる。
2、 上部がすぼんだワイングラスで試すと顎を上げて飲むと舌の両側に落ちて舌の裏側に多くあたり“えぐ味”と言われる不快な味を強く感じる。瓶詰めされたお酒の上側はまずい酒だという。下ほど美味しいらしい。試飲すると正にその通り。偉い人から順にとか、レディーファーストとか言いながら酒を注ぎ回って、下のほうの美味いところを飲むのが本物の酒通と聞かされて耳寄りな情報ににんまり。注がれる人・注ぐ人の喜びが一致するから一石二鳥でもある。
何でも理がある。その理を理解していくには、格言や諺・コメントが必要であることをあらためて確認した一席であった。

熱が入る久須美専務は七代目 柳屋若女将は9代目の奥様 酒は料理の味を生かす。

戸塚博士と2ショットの 割烹 柳屋 9代目
私は飲みすぎてハイな気分