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社長ブログ

第13回合同安全大会を終了して!
フォーカス〔焦点〕と固有周波数

あなた方は目があっても見えず、耳があっても聞こえない!(バイブル)

朝の散歩は気分が一新でき“今日も一日元気で頑張ろう!”モードを作るのにとても良い時間であり、元気創造仕掛けづくりでもある。以前は散歩コースも様々なところに行っていたが、今は決められたコースを決められた時間で歩くのである。それでも風景は毎日かわる。散歩道は同じでも、毎日異なる心の風景とコラボして百変化するのであるから当たり前のことといえば当たり前の話しであるが。
散歩をしてかなりの年月が経っている。何代にも渡る愛犬チロの散歩同行から始まった散歩が現在にまで続いているのである。柴犬チロは散歩の同行者である私のリズム等はこれっぽっちも考慮に入れてくれない。
おしっこしたと思ったら、次には草むらに鼻を突っ込んでは足で土を掘り始める。きっとモグラでもいるのだろう。同行者である私のことなど眼中にない。私は長時間の立ちん坊を余儀なく強制させられるのである。
愛犬チロが逝ってから、もう10年近くになる。それ以降は一人散歩に変わった。自由散歩である。と思い気や、後には時間的にはそう変わりがないことが分かった。片手にデジカメを持っているので、時にはチロと同行時よりももっと寄道している様でもある。
晴れた青空に高く高く舞う雲雀の鳴き声はとても忙しく甲高い。
その声を聞きながら姿を見ようと空を見上げるのであるが、声はすれど、姿が見えない。アレーっと大空捜索を始める。中々見つけることが出来ない。しかし、しばらく見つめていると俄かに、私の目のズームが動き出すのである。そして、フォーカス・チェンジが行われて、そんなに高くない近くに飛んでいる小さな一点を見つけることが出来る。
これは何故かと言うと大空は正に大空である。焦点はバラバラ・絞り込むフォーカス・ポイントが見つからない。しかし、やがて疲れてきた二眼レフも時間と共に合わされてくるのである。
そんな雲雀の鳴き声が響き渡る空中には沢山の情報を載せた電波が行き交っている。でも私には何も聞こえない。アンテナを立てないと受信できないのである。又、アンテナを立てても周波数が一致しなければ欲しい情報は採ることができない。
突然、シーザーことユリウス・カエサルの言葉とバイブルの言葉がやってくる。シーザーはローマの皇帝(正確には初代皇帝はカエサルの後を継いだアウグストスであるが):彼の内乱記の中で「人は自分が見たいと思う現実しか見えない」とある。ローマ人の物語は塩野七生著全15巻は歴史書としてはとても読みやすいのである。「人間なら誰でも全てが見えるわけではない。多くの人は自分が見たいと欲することしか見ていない」
バイブルにも重なる言葉がある:「あなた方は聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。」と!
同じくイザヤは語る「耳の聞こえない人よ聞け!、目に見えない人よ、良く見よ!」「多くのことが目に映っても何も見えず!耳が聞いているのに何も聞こえない!」
再び愛犬チロの件で恐縮であるが、散歩は朝晩二回と習慣をつけていたので仕事が遅くなった時でも、どんなに暗くなってもチロは散歩を待っている。排泄の生理現象は待ってくれないからである。満月でも出ていれば昼の風景がフォルムとなって映し出されるのであるが、月明かりも無く真っ暗な暗闇の時に散歩に出かけなければ成らないことも多々である。足元さえ見えない真っ暗闇である。ごそっと音がする。すると暗闇の向こうに獣・邪モノがいると錯覚して鳥肌が立つときがある。疑心暗鬼とはこのことである。同じ暗闇でも朝の散歩路を思い出すと全く自分の反応は落ち着いて来るのであるが。
正にフォーカスはどこにあるのか?によって概況が変わるのであるから不思議である。
人は思ったとおりにしか心に反応しないのである。その人が持つ固有ミラーである。対人関係でも、対物関係でも自分の心を投影したものがそのまま現れるのである。
他人は思ったことがそのまま行動になるのである。心にあるものが口を突くのである。あの人は口は悪いが心は良い人なんだよ。と時々耳にするが、基本的には口は悪いが心は良いことはないのである。
サッシガラス戸の内側に入った蜂君がそのガラス戸を中々抜け出ることが出来ない。サッシ枠の堤防を越えることができないのである。直ぐ横の障子を開けてやっても横に迂回しないのである。そしてやがて太陽熱で脱水症状・そして落下!
何もハチだけの世界ではない。丁度自分にも当てはまるようでショックである。

*    第13回高田建築事務所:長岡・新潟木族の会合同安全大会が開催された。
工務担当者は数ヶ月前から入念に準備して臨んだ大会だけに期待も大きかった。400名からの当社スタッフ・職人さんが集まり成功裏に終了した。職人一同の仕事のステージである現場の安全を遂行しようと全社一丸になっての安全大会である。
今年の講師は小林労働安全コンサルタント事務所の小林隆夫さまの刺激的なお話。
①リスクマネージメントからリスクアセスメント!潜む危険にどのように注意対応するかではなく。危険なこと(仕事)はやらない(しない・させない)!危険に対しても危険要因を除去できなかったら仕事をしない。しない勇気が必要である。
②注意力!人間はいくら注意しても同時に二つのことを同じレベルで注意できない。どちらか一方により大きな注意力を働かせる。他方は注意散漫になる。そういう動物である。と!
③思い込み!中でも、怖いのは思い込みである。一人ひとりの思い込みがあり、必ずしも同じ思い込みではない。そこにミスマッチが生じる。事故の原因である。
各自が思い込まなければ成らないこと自体を回避する必要がある。
思い込み=人は自分が見たいと思う現実しか見えない!自分の見たいものしか見えない!
建築は祝いもの!傷つけては成りません。一生の悲しみを建築主様に背負わせることになるからである。
大会開催日は20100624:ゼロ災1100日達成の日でもあった。
2000日へ向って一歩一歩事故なし:ヨシ!
ルールは守るためにある。目標は達成するためにある。
誓うな!誓いは嘘があるから存在するものである。(ボンフェッファー)嘘がない、誓いが必要ない安全環境をつくる必要がある:と強く思った。

 

 青空に雲雀が鳴いている!    白木に人々が集まる!        喜怒哀楽はそのまま顔にでる!                             
      疑心暗鬼                          黒い月夜にフォルムが語りかける    

  
    2010高田建築事務所木族の会長岡・新潟合同安全大会

投稿者:高田 |

「節目の年だから何かをやる」 V.S 「何々をしたから節目が出来た。」

節目の年だから、こんなイベントを考えてみた!節目の年だから、これこれを計画した!と良く耳にしたり、自分からも話したりすることがある。
節目の年だから??でも良く考えてみると、何々をした結果として節は出来るものでないだろうか?
この季節にはたけのこがぬくぬく・めきめき?と伸びて来る。彼らの節はわかりやすい。一定の長さになると節を作ることで風や重さに耐えることが出来るのである。もし節がなかったら竹の中は空洞であるから、ちょっとした風にでも倒れてしまう。
節の間隔も根元に近いほど短くなっており、上部荷重を支える構造としては自然の理にかなっている。
何れにせよ、成長するため・命を保つためには節は竹にとって必ず必要なのである。
激しい運動の後は激しい筋肉痛を受ける。年を取ると運動はしなくても節々が痛む。リレー競争の勝敗の一因に、如何にバトンを上手く渡すかにあるとも言われている。つなぎ目はいつも負担がかかる。そしてとても大切な役目を果たしている。
元々、タカモク(旧名:高田材木店)は山の木を伐木して来て製材して製材品販売をしていた。切り出された原木の小口の年輪を数えることで、その木の樹齢を知ることが出来る。私はその年輪を数えることが好きであった。
緯度が高いほど年輪がはっきりしてくる。春から夏・秋にかけて樹木が育ち生長する。しかし、冬になると成長が止まる。止まった所に年輪がはっきりと浮き上がってくる。反対に南洋材のように年中暖かい地方の樹木は年輪がない。いつでも成長しているからである。この、年輪が製材すると正目・板目の美しさになって現れるのである。
一節一節に想いを込めると同じ形をしているが全く違った節目を作ってくれる。
ブログを書き始めて一年が過ぎた。あっという間の一年である。
節目の月なのでちょっと書き方の方向を変えてみようと試みたがどうも思うようには運ばない。ここでも同じことが言える。方向を変えた時に、初めて節目の月になるのである。
私にとっては大きな年としての節目を迎えた。60歳・還暦である。〔ブログを読んでくれたKさんが高田さんは50歳くらいかと思っていた。還暦と聞いてびっくりしたと電話。精神的には30代かもしれませんがと言って笑っては見たが???〕
還暦は人生の折り返し地点である。だから還という。往路から復路への節目の年である。今までは前だけを向いて進んできた。振り返る事は余りしなかった、と言うより苦手であったといったほうが適切である。しかし今、復路から往路(オウロ)をオロ・オロしながら見ること、これまた楽しからずや!である。
丁度そんな今年に巣舞いのメッセージ:住宅完成見学会が秋には500回目を迎える。第1回は1982年であるから28年経ち29年目に突入である。
第1回は長岡市内の高田タマさまという農家併用住宅(60坪位)であった。初めての見学会、どれくらいの人を呼び込むことが出来るか?暗中模索であった。当時総合展示場はあったがお引渡し前の土日にオープンハウスして頂く仕組みは長岡市内には無く個別展示場をどのように開催するか?見本がないので、正に手探り状態であったのである。結果としては、2日間で603組のアンケートの回収であった。初めてのバッターボックスに立って満塁ホームランを打った心境であった。
当時は要領を得ず、告知するのにアドバルーンを揚げたり、花火を打ち上げたりで賑わいをつくったことを思い出す。正に、会社上げてのお祭り騒ぎになったのである。
見学会の来場者数リコードで一番多かったのは、長岡市内の屋根雪対策を考えた“多塔屋根の家”と命名されたK様邸であった。第51回目〔1993年〕の見学会の会場してお貸しいただいた。3日間で、何と1500枚のアンケート回収であった。もはやスタッフは対応というよりも下足管理に徹しなければならないほどであった。
毎回テーマがありチラシにもコンセプトを確りと謳い上げての開催である。最初何気なく回数をプロットしていたのであるが、いつの間にか500回という節目の回数を迎えることになった。この間、会場としてご提供いただいた築縁様には改めて感謝申し上げる次第である。衷心より感謝申し上げます。有難うございました。
弊社では二軒と同じ巣舞づくりはしない。建築主様は夫々独自の個性を持っておられるからである。同じ図面を使わないことが礼儀でも有ると固く信じていたからである。
であるからして、一回々々・毎回の巣舞いづくりは全く個別的・個性的である。何度、足を運んでくださっても、新鮮な感動を体験していただくことが出来るのである。
ING・建築計画進行中の方はもとより、築縁様(OB様)は自分の住まいづくりは完了しているにもかかわらず、OO様の家はどんな巣舞い?と新しいすまい方に新発見と感動を探しに来場してくださっている。
500回を迎えるに当たり、想いでは沢山あり、語るには少々のお時間を頂かなければ言い尽くせない回数になった。
継続は力なり!見学会の継続は、それだけで成功といっていいかも知れない。サクスィード(Succeed) イズ サクセス(Success)!である。
そこで弊社では今年度を“巣舞るメッセージ500回記念の年”として様々なイベントを計画することになった。
まず、継続の感謝である。築縁さまに・木族の会(職人さんグループ)に・スタッフ全員に!感謝を表そうというのである。
夏には長岡花火打ち上げ、秋には講演会、シンポジウムを予定させて頂いている。乞うご期待の程を!
*    P.S:13年間乗った愛車をハイブリッド車プリウスに変えた。車ナンバーは勿論500番:


竹の節は成長をはっきりと顕示    竹藪は生命の息吹を感じる       第一回目見学会のアドバルーン


第一回見学会会場は高田タマ様邸(1982年(昭和57年)前広場では俄か作りの作品展示とタマ様とツーショット

                     
51回会場には1500組が来場        長岡花火を上げる嘉瀬花火士さんと車ナンバー500番

   
まるでバウムクーヘンのような木片:ウィキペディアによれば:バウムクーヘン〔ドイツ語:木+ケーキ〕とは中心にドーナツ状の穴が有り断面に樹木の年輪のような同心円状模様が浮き出たケーキである。

投稿者:高田 |

長岡商業高等学校創立記念講演会に参加して:演者は長商先輩であり河井継之助記念館館長の稲川明雄先生である
長岡商業創立100周年記念講演:士魂商才

稲川明雄先生は私が尊敬する先輩であり、越後に関する近代史にかけては右に出る人がいない歴史学者である。

講演は聴くものにとっては“楽しいか?”“為になるか?”そのどちらかがなかったら時間の無駄だと誰かが教えてくれた。その点、稲川先生のご講演はとても為になり、とても楽しくその両方であるから、聴衆を決して裏切ることはない。4月28日は定例会議が予定されていたが、見計らって講演会に参加させていただいた。

母校:長岡商業高校は明治43年4月29日に創立した。1910年であるから今年で100年である。創立100周年を記念して10月8・9日には記念式典が開催されることになっている。その時の記念講演の講演者予定は、長商大先輩であるヨネックス会長の米山宏作氏である。話題の石川遼選手が育つ過程も含めてのご講演ということになると言うので、今から楽しみである。当日は同窓である秋山孝多摩美術大学教授製作による記念モニュメント(100年の風)も除幕・披露されることになっている。

4月29日は祝日(みどりの日)のために、例年4月28日に創立記念講演が開催されてきた。今年も全校生徒達・教職員・父兄を前に稲川節が講堂(体育館)に流れた。

昨年は秋山孝先生がお話され、その前年の一昨年は不肖私のほうで担当させていただいた。先生方と違って私の場合は話すことに不慣れで話したいことだけが多くあり、結果支離滅裂であったような記憶だけが残っている。

それもそのはず、居並ぶ学生達を前に話すとなると私の学生時代にタイムスリップして準備した建築の話がほとんど出来なく、思いつくままを語らせていただいたことを記憶している。(ここで話は私のことでは無い路線修正)
ご講演においては百戦練磨の稲川明雄先生のお話の要点は3点:
1.    長岡商業高等学校時代の想い出。
2.    士魂商才
3.    河井継之助記念館
しかし、45分と言う時間の関係で3.番目には届かなかったが話は充分であった。

稲川先生は長岡商工会議所100年史を編纂中であるという。長岡商業高等学校創立100周年と重なるから話しの絡め方もとても面白かった。

1.    昭和35年4月に入学、その年が丁度50周年であったという。委細はお忘れになられたが様々なイベントで活気付いていた当時を懐かしんでお話しされた。そしてその50年後の100周年創立記念日に、よもや自分で講演をするとは想っていなかったと切り出された。

現在は商業高校と言うと女子が多いが、当時はクラスに4~5名くらいしかいなかった。商業高校は男子学校と言う時代である。小生は昭和40年4月の入学であるから稲川先輩の5年後輩と言うことになる。(それだけに、お話の背景はほとんど変わらず、かなりの記憶の風景が重なった。)ちなみに進学クラスであった我がクラスには、2年次3年次と女子が誰もいなかった。

稲川先生の話は続く:野球部や運動部が大手を振るっていた時代である。昼休みに於ける応援の練習は一年生にとってはとても怖い時間であった。商業卒でありながら稲川先生はソロバン・簿記の両方とも3級さえ取らなかったのは自分くらいだろうと誇っておられた。人文科学が好きで歴史書を書くようになったのもそんな理由からであるという。(反対に私などは市川先生というとても気骨のある簿記のクラスであったから、一年と二年の夏までに商業簿記一級・工業簿記一級・会計学・ソロバン2級獲得は必須条件であり、クラス全員が取らなければならない。大学では建築に転向した分けだから、実際にはほとんど不要の資格のような気がしているが。とらないととても恐ろしい環境・取るまで補習も止む無しといった背景があった。)それだけに稲川先生のご自分を通された気骨さにも再度感動した次第であった。

稲川先生は卒業と同時に市役所に入る。当時は市役所の人気度は低く誰でも入れたので友人からは強く引き止められた、と。(現在の公務員人気からは計り知ることが出来ない時代でもあった)

商品は売れなければ意味がない。どんなに良い物をつくっても売れなければ駄目。お客目線が大事である。書籍もそうである。読者目線に立つことが大切である。読む方に届かなければ意味がない。

ご著書の「互尊翁:野本恭八郎」や「龍の如く:出版王・大橋佐平の生涯」は、その代表作である。読むものをたちまちの内に虜にしてしまう。河井継之助記念館館長であられるから長岡の歴史には特に造詣が深い。どんな切り口から質問してもその返答はとても流暢である。

2.    士魂商才
M34年に長岡の町が出来た。と同時に商業学校をつくる懇話会が出来た。

小林寅三郎のこめ百俵は学校をつくることであった。その原点は商業の活性化でもあった。学校をつくるのは豊かな社会づくりそのものであった。

M39年市制が誕生・その前年M38年に長岡商業会議所が設立された。そもそも商工会議所の提唱者の一人が渋沢栄一:実業界の重鎮であった。そして、その5年後のM43年に商業高校が誕生するのである。
福澤諭吉の和魂洋才(和魂漢才)と比較される士魂商才!

第一校歌に『士魂商才』なる言葉が入っている。“武士の精神と商人の知恵”の両輪が必要:渋沢栄一氏の唱えた言葉が確りと受け継がれている。

互尊翁:野本恭八郎や出版王:大橋佐平は自分は何のために生きてきたのか?自分の疑問をしっかりと出し、相手を生かすために自分を犠牲にすることも必要である。互尊独尊思想の具現化である。

自分にとって不利なことや嫌なこともしていかなくてはならない。まず、目前の学業に励んで欲しい。そして自信を持って卒業して社会に羽ばたいて欲しい。と締めくくられた。(まとめにならないまとめ方になってしまった。稲川先生には申し訳ない話しである)
あっという間の45分間であった。

*    折りしも、我等が同期・友人の北村敏雄君が今年から長岡商工会議所の副会頭に就任されることになった。4月30日には極々近しい仲間で就任祝いを開催することになった。秋山孝ポスター美術館長岡で秋山先生を交えての開催であった。(その後に様々な紙上を通し、書かれているような長岡商工会議所と市との間のごたごた等知る由もない段階での開催だったからこの会も辛うじてセーフであった)
同期が中心なり12名で祝砲(18:30に5号打ち上げを合図に)と祝杯である。
夫々が手作りの手持ちや激励の言葉を持ってきた。

私もサルギナートベール橋に士魂・商才を両岸にしてパズルを贈ることにした。集まった皆の寄せ書きも添えさせていただいた。

タイトルは長岡商工情報会議所である。商工だけでは現在では通じない。情報を入れなければグローバル世界では立ち行かないのであるから。

全国的にはサロン化している商工会議所ではあるが、こと長岡商工会議所に限っては稲川先生からも、とても実務的に働いているとの評価が下されていた。それは関係者の情熱でつくり上げて来たこれまでの歴史が意味するものであった。

農耕社会から工業化社会・商業化社会そして情報化社会へと大きな変動期もすでに通りすぎ、新たなる変動期を越えなければならない。次に見える風景を掘り起こし、つくり出して行く原動力に北村新副会頭がなってくれること期待し、我ら仲間も影ながら応援していくことだろう!

進学校でない職業高校生徒に向って、吉岡先生が声を大にしていた。「君達の目の前にはレールがない。砂煙をもうもうと立てて突っ走れ!そして、君達の後に道が出来る!」


講堂と化した体育館             ご著書:野本恭八郎・大橋佐平


校長先生と太刀川同窓会長に挟まれて    講演後の稲川明雄先生


APM前で祝砲打ち上げ花火を待つ! 祝砲と共に北村敏雄君に乾杯!    APM美術館はパーティー会場!


”めだかの宿”で乾杯!


同級生や友人の寄せ書きに:思わず、にんまり!

投稿者:高田 |


APMが長岡都市景観賞を受賞

この度、秋山孝ポスター美術館長岡(APM)が第三回“長岡市都市景観賞”を受賞することが出来た。
先週の話なので早速、ブログに「ながおかしとしけいかんしょう」と書き始めたら何と変換すると“長岡市と死刑鑑賞”と出てしまった。アレッと思いきやサスペンスもどきのタイトルにハッとしてしまった。何とも危なっかしい変換である。私のブログもそろそろ終了させなければならないシグナルがでてきたような気がする。さっと消そうとしたが、エンジェルスマイルがやってきて何かの暗号ではないかと思い止まり見直すと、やはり何と隠されたコードがあったのである。
長岡市都市景観賞は3年に一回の長岡市が応募者の中から選りすぐれたものを選びトリエンナーレ表彰するのである。長岡市 都市整備部 都市計画課主催の「長岡市都市景観賞について!」の主旨に拠れば「長岡市では、市民のみなさんから良好な景観について考え、関心を高めてもらうことを目的として、長岡市都市景観賞を平成15年に創設しました。長岡市都市景観賞は、長岡市らしい優れた景観を守り、育て、つくることに貢献している建築物、工作物、庭園、樹木や活動している団体などを、市民の推薦をもとに選定し、表彰するものです。(ただし、国又は地方公共団体が所有管理するものは除きます。)」とある。
そして今回の第3回長岡市都市景観賞は、平成21年5月20日から8月31日まで応募し、84名の方から200件の応募があったという。その中から長岡市都市景観審議会より①守る部門:2点 ②つくる部門:2点 ③育てる部門:2点の合計6点が受賞することになった。200件の中からの表彰であるから関係者には余計に嬉しいニュースであった。立ち上げから今日まで、工事・オープン・運営には大変多くの方々のご支援・応援力を頂きましたことここに謹んで感謝申し上げます。又皆様の苦労が報われた思いです。有難うございました。
この受賞は摂田屋・宮内地区では“越のむらさき”と“機那サフラン酒本舗 鏝絵の蔵”に引き続き3番目の受賞である。町から文化の灯火を消さずに済んだことにまず“ホッ!”
APMは大正14年に現在の北越銀行の前身である69銀行の建物として市民から広く利用されていた。昭和56年には北越銀行宮内支店の新築移転に伴って町内で乾物やさんを営まれている田上商店さんに譲渡され、倉庫として平成20年5月まで使われていた。流通業の発達により、倉庫の必要性も無くなってきたところで、地元出身のグラフィックデザイナーであり多摩美術大学教授の秋山孝先生にご自分の美術館として購入していただくことになったのは平成20年5月17日の現場前口頭契約からであった。
当建物はRC壁にタイルを貼ったものであり、屋根は瓦葺・フレンチトラスの切り妻の小屋組である。大正浪漫を漂わせた風格のある建物である。地震等で痛んでいたので歴史的建造物に指定していただくことが前提の県復興資金(耐震補強)援助を頼りに復元リノベーションの出発であった。歴史的建造物調査は長岡造形大学の平山育男教授であった。
そしてオープニングセレモニーは平成21年7月11日であった。大変多くの方から全国からおいで頂き祝していただいたこと、宮内・摂田屋地区にまさに華が咲きました。・・・・・この件については長くなるので・・・・APMホームページもご覧の程を!
さて、表題タイトルの件についての暗号解読は中々難しいが:近代化の名の下に歴史的に意味合いのある建築物がどんどん壊されて姿を消していく。確かに現在バージョンの機能をなさなくなっている建築物は沢山あることは事実でもある。(住宅に至っては全国で700万戸が空き家である。一年間100万戸を切る時代であるから、7年間は何もしなくってもいい勘定になる。勿論こんな簡単な論理ではいかないことは知っているが。)
しかし、大切なのは機能だけでは無いはずである。そしてそのことも充分知っていながらも止めることが出来ないことも多々である。何も語らなくても「存在しているだけで意義のあるもの」も沢山ある。それはモノだけでなく人についても同じことが言える。「いるだけ・あるだけで存在意義のある人・ものがある」。
建築物の解体は人間にとっては死を意味したり・死刑執行と同じように思えるときもある。勿論、人間で言えば時限の中での生命である。次の子孫に継承することでお役目を果たすことになると言えばそれまでであるが。
全国でも歴史的に存在意義のある建築物を保存する運動は続いているが、それでも何時と無く取り壊されていることも見逃すことは出来ない。重要さに気がついたときには後の祭り!は沢山経験している。であるから余計に慎重に!
卑近の例では、直江津駅にあるレンガ倉庫が新幹線工事に伴って取り壊されると聞いた。保存で今まで頑張っていた人たちの汗は無に帰したのだろうか?何とかならないものか?何とかならないものなのだと言う?行政の力も発揮してもらいたいと切に願うものの一人である。
「ながおかとしけいかんしょう」を文字変換したときにでた死刑鑑賞はそれなりに意味を持って迫ってきていたのである。死刑の是非論が重くのしかかっている時代だけにわたし達一人々々はあらためて考える必要に迫られているシグナルでもあった。その前に“長岡市と”と変換されたのには市民力の力をもっともっと出すようにという暗号であったようである。大声を張り上げなくてもよし、目に見えなくてもよし。いるだけで、あるだけで、存在感を醸し出しているものが沢山あることを再認識したいものである。
鑑賞という言葉は美しいものに対する言葉であると言うからこの場合は鑑賞ではなく「感傷・干渉・緩衝」と変換されたら良かったのにと思ってしまった。
何れにせよ、APMが長岡市都市景観賞を受賞出来たことは、APMのサポーターズ倶楽部の一人ひとりの想いが高く評価されたものと思い、皆様とカンパーイ!
有難うございました。新年度の4月からの新計画も着々と進んでいます。皆様に愛される美術館・建っているだけで存在意義のある美術館を目指したいと思います。APM引き続きご支援のほどをお願い申し上げます。(APMサポーターズ倶楽部会長より)
審査・表彰について豊口協委員長(長岡造形大学理事長)より講評があった。「景観という言葉が出来たのは21世紀になってからである。元々景色があってそこに風景をつくり上げていく。近年になって人工的に風景をつくろうとしてきた。結果として自然を排除した風景に不都合が生じてきた。時に法制化され、“つくること・守ること・育てること”の重要性が問われてきた。・・・・・・・受賞を受けたことで新しい責任が市民として生まれたと思って、素晴らしいまちづくりに協力して欲しい。」と!何時もながらの力強い言葉であった。
同席で受賞された「高野(市左衛門)家住宅と積邨(せきそん)ギャラリー飛蟲舎(ぴちゅうしゃ)」の持ち主であり管理者の渡辺洋三さまご家族と同席できたことも大変嬉しかった。渡辺洋三さんのご自宅を10年位前に建築する時に画家であるご祖父の渡辺綱山さんのギャラリーを作るお手伝いをさせていただいたからである。
余談ではあるが、平成15年の第一回目都市景観賞と併設されていた第一回景観行為優良賞を当社設計の“ふくちゃん保育園”で頂いたことも思い出した。

     
           森長岡市長から表彰               ヤッター!と満面の笑みの秋山先生      審査講評される豊口協委員長
     
       受賞者全員の記念写真                    秋山孝ポスター美術館長岡                     長岡新聞にて紹介
     
   高野家住宅と積邨ギャラリー飛蟲舎         第1回受賞:越のむらさき       第1回受賞:機那サフラン酒本舗 鏝絵の蔵
 
ふくちゃん保育園(第1回景観行為優良賞)

投稿者:takada |

元旦茶事と初釜に参加して!

60の手習いならぬが、60-3の手習いであった。裏千家の茶稽古に参加して名ばかりの3年目である。私の伯父さん(87歳)が裏千家の先生をされていた関係で再入門であった。
最初は、窮屈に感じていた茶稽古も楽しくなって来た心境の変化にはびっくりである。正座が不得意であり、書道にも華道にも才のない私にはとても難しい挑戦でもあった。茶道は日本文化を代表する一つであり、しかも最も誇れる文化の一つである。茶道には、建築文化あり・華道・書道・絵画・服飾・料理と総合的な芸術であるからである。
建築設計を生業としている私が、図面上だけで無く茶道の所作をすることで、茶室建築依頼に答えることが出来るようになるために!設計の更なるバージョンアップの為に出来る大切な習い事!と一応はその様に目標を大上段に構えてみたものの、その実行度・成果は遙かに及ばずと言ったところである。
35歳の時に一度お招き頂き習おうと思って通い始めたが、数ヶ月で断念。しかし、今回は出席簿に空白が目に付くが、それでも続いているのは皆様の寛容精神に支えられているからに違いない。元々、女房と娘が真面目な生徒さんであり、一つ一つ確りと覚えている姿を見ると、忙しさを理由に出席率30%程度の私が習い事を卒業するのは、大変遅れることは間違いないことである。勿論、最初から許状や卒業は目的でなかった。茶室建築をするのにちょっとでいいから・話せる程度でいいから、と。そんな気軽なきっかけでの入門でもあった。概論・お茶のさわりだけでも知りたい!であった。再挑戦の時には、社員にも参加を募集したところ私を含めて9名の出発であった。そして今でも元社員も含めて7名が参加して続いている。正に七人の侍と言ったところ?
今年の元旦:1月1日に我が家でお茶をたてた。亭主役が私であるのだから、お客様にはお茶をお飲みいただくというご案内を前もってしないことにした。おいでになられた時に気軽に席についてもらうことにした。そうすることで何よりも私自身が重圧から解放されたのである。準備は、年末掃除の時に夏に洗って準備していた灰を炉に入れることから始まった。ほとんどの準備は女房に任せ、私の仕事は炭をおこし、炭入れ(決して炭手前ではなく)だけである。それでもお湯の沸く音が心地よく耳に届く時には、緊張も心地よさをかもし出してきた。水差し・お茶入れ・棗・建水と持ち出し席に着いたときには、何ともいえない喜びが沸いてきたのを覚えている。(エッこんな感情って私にも有ったのか?と再驚愕でもあり再発見でもあった!)
しかし、我家の和室は京間寸法には作ってなかったので炉の内隅狙いに座ると茶碗と棗を置くととても狭苦しいのである。茶室は京間で無ければ茶事は出来ません。と口癖のように言われる先生の言葉が脳裏をかすめる。畳寸法が江戸間(田舎間)の場合の限界を再認識した瞬間でもあった。京間畳は6尺3寸X3尺1寸5分の茶事ステージの寸法である。
一昨年、町内文化祭の日にリプチの森で茶会を開いた。その時でも、滝沢先生のご指導で、道安好みの三畳下座床の一夜城ならぬ一夜茶室の出現であった。畳の寸法がこんなにも茶事を制約していることを肌で分からせていただいていることでもあった。元旦茶事は、窮屈を我慢しながら自服も含めて五服点てさせていただき、美味しい!結構なお含み加減です。と言われて何ともほっとした一瞬でもあった。そして、滝沢社中の初釜が1月10日に開催された。
正客さんのNさんのお話では、利休さんの命日:旧暦2月28日(新暦では表千家3月27日・裏千家では3月28日)以前には初釜以外にこれと言って大きな茶会は行われないことになっているらしい。つくばいで手と口を清めた後、二畳間を通って四畳半の小間に導かれた。床飾りは昨年と同様に「蓬莱山飾り」であった。とても正月に似合う華やかさと目出度さを彩る材料の組合せであった。
掛け軸は、大徳寺無学書による「偃蓋重々拂瑞雲(えんがいじゅうじゅうずいうんをはらう)」は新年にピッタリで新しい年に迷いやマイナス要因を引きずらないで、払拭し心新たに向かいたいものであると言う先生からの注釈が有った。柳掛けも水墨画のように微妙なカスレを表現していたように感じた。床飾りを鑑賞した後、四畳半では天目茶碗で濃茶を頂くことになった。三種類の天目茶碗は、孔雀天目・油滴天目・禾天目と言われるものであった。どれも素晴らしく私にとっては滅多に使うことなどできない茶碗であった。天目茶碗とは、天目釉と呼ばれる鉄釉をかけて焼かれた陶器製の茶碗のこと。唐物と言われており、今回使用された三碗は南宗の時代の作だとも聞いた。孔雀天目茶碗は、正に孔雀が羽を広げた姿である。天目台「七宝」に載せられて出されたお茶には、初めてのスタイルであったからかなり緊張もした。いずれの茶碗にも幽玄な光沢が眩かった。そして、八畳間に移動して薄茶点前を楽しんだ。
昨年は未熟者で点てることが出来なかったが、今年は遠慮知らずに大変楽しませて頂き点てることが出来た。確かに呑むだけでも茶会は良いのだが自分で点てると一層楽しむことが出来る。あっという間の4時間が過ぎた。会場移動しての会席料理はお茶会の後だけにお酒ともども格別であった。
再々認識:元旦と初釜会(10日)の両方でお茶を点てさせて頂いたが、茶室は京間畳が重要なキーポイントであると言うことを再々認識した次第であった。
      
   つくばいで手と口を清めて入室です            何とも雅な「蓬莱山かざり」                    4畳半小間の床飾り
     
  滝沢先生とのツーショットは少々緊張            天目茶碗三碗と天目台                         孔雀天目茶碗
     
            孔雀天目の高台部分                            油滴天目茶碗                                  禾天目茶碗
     
       いよいよ私の番で少々緊張?                        初釜記念写真                 リプチの森一夜茶室の3畳下座床
  
     リプチの森に出来た茶会舞台

投稿者:takada |

トロハ賞を受賞された斎藤先生と秋山先生のコラボレーション

私の恩師であられる斉藤公男先生「日本大学理工学部名誉教授・日本建築学会前会長(2007年6月~2009年5月)」が、トロハ賞を受賞された。
エドゥアルド・トロハ〔Eduardo Torroja 1899-1961〕は、マドリード競技場等の代表作を持つスペインが、生んだ偉大な構造家として知られている。「空間構造」も「構造デザイン」の源流をたどればトロハにたどり着くと言われている。トロハ賞は空間構造の構造デザインの分野で、顕著な業績が評価された建築家が頂く賞であり、技術と芸術の融合と言う意味からも大変意義深い賞である。いわば建築構造界に於けるノーベル賞といっても過言ではない。
それだけに毎年末に開催されている“斉藤先生を囲む会”ではあるが、今年は受賞記念講演もあり研究室は更に盛り上がった。日本で3人目の受賞である。何とも快挙である。
1人目は東京大学名誉教授の坪井善勝先生〔1907年~1990年〕であり、シェル構造の第一人者である。主に丹下健三先生の構造を担当され、代表作には東京オリンピック会場になった代々木にある国立屋内競技場であり、現在でも第一級の構造デザインである)や東京カテドラル聖マリア大聖堂、万博の時のお祭り広場〔岡本太朗氏の太陽の塔は広場の屋根を突き抜けている〕がある。2人目が法政大学名誉教授の川口衛先生であり、3人目が斉藤公男先生であった。お二人は坪井先生の兄弟弟子の関係になる。
斎藤先生の授業はとても興味深く刺激的であり、一度は意匠系の研究室に行くことに決めていた私にストップをかけた。意匠の前に力の流れを知らなくては!という強い脅迫概念にも似たバイブレーションが、私を襲った。それ程にストラクチャーデザインの魅力は、強烈であった。テンション工法・膜工法など模型群に囲まれた研究室は、何時も活気があり学生達を刺激していた。
当時、私の頭から離れない言葉に「ながれ」があった。“人の心の流れ”は“空間の流れ”によってつくられ、更にその前に“力の流れ”がある。その力の流れが美しければそれだけで空間は美しくなり、人たちの心を感動させてくれるからである。余談ではあるが、それに比べて坪井先生の授業はリベット計算や難しい構造計算が主であり、受講者数が少なく余り人気が無かった。お喋りをしていると黒板に向かっていた坪井先生が突然振り向いて“馬鹿者ども”と一喝しながらチョークを投げるのである。それをよける生徒達を残して授業終了である。今になって思うと我々は、先生に大変申し訳ないことをしたことになる。と言うのは、“貴方にとって一番好きな建築は?”と聞かれたら今でも私は何の躊躇も無く先生の手がけられた代々木の国立屋内競技場と答えるからである。当社のデザインの一つに構造丸出しのストラクチャーデザインが見受けられるのは、その影響を現在でも引き継いでいるからである。
構造は構造・意匠は意匠と分離するのではなく、美しいストラクチャーを隠さずに表すことで、空間デザインに命を吹き込むのこと!そのためにも力の流れを!構造自体を!デザインすることが、大切である。力の流れが素直に表現されている空間は、緊張感・安心感含めて何とも言えない居心地の良さを覚えるものである。
さて、斎藤先生が日本建築学会会長の時に掲げられたテーマの1つ“アーキニアリング”である。「建築(アーキテクチャー)と設計・生産を支えるエンジニアリング・デザインをアーキニアリング・デザイン〔AND〕と呼称し、又夫々の関係を見据え歴史的発展過程から、未来の建築へ向けての示唆と提案」を意図するものである。具体的には全国の学生や建築家・建築事務所などの手によって、世界遺産建築や最先端建築群の模型群を130点ほど作りビジュアルに構造デザインを見せていくものである。2008年10月18日:東京の日本建築会館を皮切りにアーキニアリング展が、全国行脚をしている。2010年2月には、日本各地を一周してきた模型が、東京丸キューブで展示されることになっている。百聞は一見に如かず!である。
その凱旋展示を知らしめるポスターを斎藤先生は秋山先生(多摩美術大学教授・秋山孝ポスター美術館長岡館長)に依頼された。そしてそのポスターが、漸く出来上がった。完成したポスターは、スイスの渓谷に架かるサルギナトーベル橋(設計はマイヤール)が、モチーフであった。ブルー基調とレッド基調の鮮やかなツインのポスターである。
斉藤研究室で、お披露目頂いた時、私は一瞬ハッとした。まるで恋人に会うような電撃感覚であった。と言うのも斎藤先生の授業で私を最も魅了したスライドの一つがこの橋であったからである。力の流れがそのままデザインされており、それに何を加えても減じてもいけない絶対美を感じたからであった。とても美しい力の流れは渓谷にかかる華麗なる舞と言ったものである。秋山孝ポスター美術館長岡の第3回美術館大学で、2人の対談が行われたのは今年の9月4日であった。
その時の話し合いから秋山先生が捉えたメインテーマが、サルギナトーベル橋である。説明によると橋は歴史をつなぎ、人をつなぎ、技術をつないで未来へ!そんなシンボルでもある!と。それをベースに様々な工法・材料別に選別された斎藤先生のスケッチが、コラボすることで完成させる秋山先生のポスターが出来上がった。トロハ賞受賞記念講演会場にてお披露目された。
人たちは、一人ひとりは尊い水滴かもしれないが、コラボレーションすることで更に大きな美しい虹が描かれていくのは何とも言えない感動物語でもあった。
再び、「コラボ de ブラーボ!」

     
             トロハ賞受賞記念講演                        トロハ賞の表彰状                               トロハ肖像のメダル
     
           メダルの裏には表彰賛歌                          講演会風景                               スライドでトロハ氏を紹介
     
       トロハ設計のマドリード競技場                     トロハ設計の水道橋                       坪井先生のご紹介
     
日本大学習志野校舎ファラディーホール        トロハ賞受賞メダルと賞状           斎藤先生〔右〕ご夫妻と記念ショット
     
             サルギナトベール橋                    国立代々木競技場      第三回秋山孝美術館大学にてコラボ講演 
     
             記念撮影                                ANDポスターのお披露目        赤青基調でツィンポスター
      
          レッド基調のANDポスター              ブルー基調のANDポスター                       祝賀会風景

投稿者:takada |

10月第一土曜日は醸造の町:摂田屋が市で賑わう。わが町:摂田屋はもともと天領の地であった。直轄地だっただけに税制の面でも待遇がしかれ、旧三国街道沿いには醸造の町が発達してきた。歴史の在る町でもある。今年の6月27日(土)に長岡造形大学の平山育男教授による、テーマは「摂田屋文化財建築の魅力:蔵と倉」と題して講演会が開催された。江戸時代から現代まで残っている倉・蔵の数々が紹介された。しかし、いずこも同じく灯台下暗しでそこで生活している人々にとっては歴史ではなく生活そのもの・正にそのままである。むしろ、特筆に価しないのが本物の歴史でもあるのだろう。
この地に4年前から開催された祭りの名前は「摂田屋おっここ祭り」である。おっここは“おっここ:ままま”と驚いた時の感嘆詞の方言である。10:00~15:00のタッタ5時間に全国各地からおいでのお客様は1万人を超えるからその時間密度たるや大したものである。光福寺から出る戊辰戦争の時の出陣隊(河井継之助隊・山本帯刀隊・三島億二郎隊)は一部がおっここ市に経由して華を添えてくれる。午後に開催される長岡大手通りの米百俵祭り〔小林寅三郎〕と合流する。光福寺は私も通った幼稚園でありここが河井継之助の本陣であったとは司馬遼太郎の峠を読むかなり後年まで知らなかった。
又、今年の新潟県は天地人で賑わっている。河井継之助記念館館長の稲川明雄先生の名調子は今年の6月14日〔日〕「光福寺と直江兼続」と言う〔稲川先生からは無理した?〕テーマでこの光福寺にて開講された。流暢な稲川節は益々参加者を大いに魅了した。天地人の主役である直江兼続の子役「与六」で登場した加藤清史郎君の演技は多くの人に感動を与えてくれた。その与六こと清史郎君がおっここ市にやってくることになったから市も益々元気付く。10歳の景勝〔喜平次:上杉謙信の後継者〕の家臣となるために親元を離れて雲洞庵で修行する身になった与六は5歳であった。上杉謙信と面接する段で、最初の挨拶で言葉が続かないのは人の言葉を鵜呑みにしたからだと住職である北高全祝から叱責され、誠の己の言葉で語るように言われる。そして発した自分の言葉が「ワシはこんなところに来とうはなかった」と!言う名文句。それに対する上杉謙信公の一言は「気に入った」である。流石に与六君でも摂田屋に来てはこの言葉は使えない。代わりの言葉は「わしは前から摂田屋に来たかったのじゃ!」勿論、観客の反応は大拍手の渦で答えた。与六効果で開催時間より30分前から賑わい出展品は飛ぶように売れる。又、午前中は雨にもかかわらず人の出は昨年を上回り大層のものであった。地元の味噌・醤油・お酒を販売したり地元の商店〔旭屋のパン・恩田さんのハーブジャム星六さんの3年味噌など等〕そして地元農業高校の生徒は農作物の販売、商業高校の生徒達は商業実践として販売に大声を掛けたりで大賑わいであった。
我が社も出展3年目になるが恒例の木細工・組み立てベンチ・カレー販売で参加している。こちらも、かなりの早い時期から販売に拍車が掛かる。正に越後田圃の稲刈りの終盤季でもあり新米収穫の感謝市〔いち〕祭りでもある。

   
光福寺にて稲川節は聴衆を魅了する  倉と蔵の違いに熱弁ふるう平山教授   光福寺は河井継之助の本陣(2007)
   
ガトリング砲が火を噴く(2007) 清史郎君は自分の言葉で摂田屋に来たかった! 山になって集まった聴衆
   
            様々な店が並ぶ                                当社コーナー                               リプチショップメニュー
   
 木工細工は飛ぶよう?に売れた!  タカモクは組み立てベンチとリサイクル材      カレーショップは花田シェフ 
 
          この美味しさでこの安さ          三国街道の入り口は麹の匂いで一杯

投稿者:takada |

秋山孝ポスター美術館長岡とかけてポパイのホウレンソウダと説く

鮮やかなり!そして艶やかでもあり!
リノベーションを完成した美術館に秋山孝先生の67作品が一同に並んだ。圧巻である!
鮮やかなり!そして艶やかでもあり。空間を圧倒する波動が渦巻いている。
いよいよ秋山孝ポスター美術館長岡がオープンしました。
大正14年に建築された北越銀行旧宮内支店〔昭和45年からは田上商店さんの倉庫として使用されていた〕が、秋山孝ポスター美術館長岡として生まれ変わりました。
秋山孝先生は地元長岡市宮内・摂田屋が生んだ天才グラフィックデザイナーであり多摩美術大学の教授をされています。
2008年5月17日に現在の土地建物を購入され、歴史的建造物復興支援を受けてリノベーションに取り組んで1年!私にとっても美術館構想に最初から関わってきたものの一人として大変感慨深いものがあります。
2009年7月11日は、第一部と第二部に分かれて記念式典セレモニーが開催されました。
第一部では秋山孝先生の恩師、お世話になった方、行政関係の方をお招きしての式典でした。
最初に館長である秋山孝先生から当美術館の開館に当たっての抱負を中心にご挨拶をしていただきました。引き続き、森民夫長岡市長様・北越銀行久須美隆頭取様から、ご祝辞を頂きました。
花火の号砲を合図にテープカットがなされ、いよいよ開館です。一通り館内を見ていただき、第二会場はサフラン酒さんの鏝絵の蔵の一階で秋山先生の若かりし頃の秀作を見てもらうことにしました。かなりメランコリックな暗い絵も多く、現在の鮮やかな色使いのポスターとは対峙するエネルギーを覚えました。
鏝絵の蔵は秋山先生が上組小学校に登校する途上にあるものです。県外から来られた皆様から「秋山先生の色彩の原点をこの鏝絵に見つけた」と言われた言葉に胸にすとんと落ちるものを感じました。真実は、時々第三者・外部から見た目にこそ良く見えるものだからです。
その後、醸造の町摂田屋の一部を歩いて頂き、吉乃川さんの瓢亭で醸造の町の情報収集をして頂きました。勿論、美味しい吟醸酒の試飲会もサービスして頂きました。
瓢亭からは旧三国街道を味噌醤油の“越のむらさき”さんまで散策。
摂田屋は江戸時代には天領の地:旧三国街道はお殿様も籠から降りて歩かれた土地柄でもあります。
今回オープンの美術館だけが秋山美術館ではなく、摂田屋全体を一つの美術館ゾーンとして捉えていただこうとした試みです。
そして祝賀会はチェロとギターで奏でる「G線上のアリア」をバックグランドミュージックに各界の重鎮からご挨拶頂き祝っていただきました。
第二部は秋山孝先生の仕事仲間や大学院生そしてサポーターズ倶楽部終身会員の方々からお祝いパーティーを盛り上げて頂きました。有難うございました。
美術館の開館時間は11:00~17:00(入館は16:30まで)、定休日は毎週火曜日です。
今年度は10月9日までは、開館記念として入場無料となっています。
10月10日から10月一杯は企画展が計画されています。11月から3月一杯は休館予定です。

是非ともお出掛けください。お待ちしております。
秋山孝ポスター美術館(APM)と掛けて2つの「ポパイのホウレンソウダ」と説く:その心は?
1.一つ目のポパイ
・ポ:ポスターはポピュラーに愛される身近の出来事の凝縮です。
・パ:パティキュラー:特殊な美術館:日本では初めてのポスター美術館
・イ:イディー:アイディア:形の向こうに見えるものです。
・ホウ:知恵の宝庫:秋山孝先生が豊かな歴史ある町をステージに豊かな地域を作り出す。
・レン:連携:人と町と美術館が連携取る。
・ソウ:創造:組み合わされると、そこに新しい創造が生まれる。独特の発想が生まれる。
・ダ:打:感動こそ現代の閉塞感打破である。人々は感動で胸を打つ。
・暗く低迷する現代を打破するという時代が要求する尤も大切なキーワードは感動です。 
・・・・
2.2つ目のポパイ
・ポパイのそのものです。タフなポパイのエネルギー源はほうれん草です。食べると即エネルギーに生まれ変わるからです。
・秋山ポスター美術館長岡は多くのサポーターズの皆様の支援金によって運営されています。
・リノベーションと言う第一段階ロケットである建設工事は打ち上げられました。これからが二段ロケットの噴射です。エネルギー支援〔支援金〕のお願いをして開館ご案内とします。

         
・APM正面全景                ・全面雁木でテープカット         ・秋山孝APM館長ご挨拶 

   
・森民夫長岡市長ご挨拶          ・北越銀行久須美頭取ご挨拶    ・美術館内見学

           
・ショップ用バックヤード           ・鮮やかな鏝絵の前でショット    ・サフラン酒鏝絵の蔵は第二会場

  
・若かりしころの秋山先生の秀作    ・鏝絵蔵が美術館に大変身       ・香り一杯の旧三国街道を散策

          
・祝賀会はコンサート会場に変身 ・APMサポーターズ倶楽部高田会長挨拶 ・APM運営委員会会長豊口協会長挨拶

 
・日本グラフィック協会勝井会長挨拶
そして20090712〔日〕は一般公開グランドオープンです。
11:00・13:00・15:00の三回に渡って各一時間づつ秋山先生からご講演が行われました。
ポスターはコメントあると無いとでは深みが変わります。

  
 ・秋山孝大学講座             ・美術館は大変な賑わい        ・金庫コーナーからお話しする秋山先生

  
・ついつい熱が入る秋山先生        ・ ご講演後はサイン会           ・お花を前に記念写真

投稿者:高田 |

2009年6月6日(土)13:00~14:00はAPMプレオープン内覧会開催。
APMとは秋山孝ポスター美術館長岡の略称である。
そもそもは、田上商店主さんから何時とも無く弊社不動産部フォレス・タカダに打診されていた
田上商店さん倉庫物件の再活用の話から始まった。土地の活用だけではなく、
建物の活用の話を交えての話であった。この建物は大正14年に北越銀行宮内支店として建築されたものであり、
昭和45年に新宮内支店が建築され移転した時に田上商店さんに譲渡され今日まで倉庫として使用されていたものであった。
建物を何とか残したいという強い思いから、白羽の矢が地元出身の秋山孝多摩美術大学教授に向けられることになった次第である。それから紆余曲折はあったが・・・・・
昨年の5月17日この倉庫の前で、三人が腕組みしながら建物をジーっと見つめていた。
しばらくしてから「田上さんがこの建物を売りたいと言うのですが、秋山先生からご購入頂き美術館としてご活用いただけないものでしょうか?」・・・すると「分かりました。私が購入しましょう」とまさに即答であった。
何の躊躇もなく口頭ではあるが、田上商店から秋山孝氏に譲渡契約された瞬間でもあり、「芸術家の作品は故郷に帰る」ステージがスタートした瞬間でもあった。
一般的に不動産売買と言えば「検討してから返答します。少々考えさせていただきます。
条件が合えば・・・」など等と話し合いがなされるもの。
しかし、条件は後ほどで良しと両者。このときに立ち会った私にとりましては、まさに驚愕!いや感動そのものと言ったほうが良い。それから1時間後、リプチの森の植樹祭で秋山先生は、ご挨拶の中で「私の美術館を宮内2丁目に開設します」と宣言され、おりしも地元紙の長岡新聞が取材に来ていたので、即記事として取り上げられることになった。
風雲急を告げる!とは正にこのこと。この瞬間から私のバックギアーはなくなってしまった。
その後歴史的建造物としての検討と中越地震の復興資金支援を受けて、一年掛けてのAPMリノベーションプロジェクトである。そしてちょうど1年。5月中旬にほぼ完成。本日が建物だけのプレオープンである。
正式な美術館開館は7月12日(日)。是非ともお出掛けください。開館記念期間中は入場無料になっています。
尚、APMは今後も継続してこのブログでも報告させていただきますので乞うご期待の程を!

 
床・壁・天井ともホワイトの美術館            美術館の雁木から望む宮内の街  

投稿者:高田 |

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