新潟県内、長岡市内でのマイホーム購入、リフォーム、住宅、建築のことなら高田建築設計事務所におまかせください。

社長ブログ

「You might think but today‘s hot fish!」

時は今より遡ること43年前、私が高校2年生の時である。当日も大変暑い日であった。英語のY先生は何時ものように教室にやってきた。何も言わずに黒板に向っておもむろに書き始めた。「You might think today‘s hot fish!」
書いているときに、嫌な予感がした。マイト(might)とシュッド(should)とウッド(would)なる単語の入った文章を当時の私としては余り得手ではなかったからである。
先生は書き終わるなり、これを訳して下さい。と!・・・・・・誰も手が上らない。一橋大学を目指していたE君の手が上らないから私がわからなくても当然!と安心しきっていたら、かかってしまった。当然分からない。君達はこんなことさえ訳せないのか?進学は諦めろ!???
そして、先生の訳文を聞いて、何じゃこれ?であった。
You〔ゆう〕 might(まいと) think but(思えど) today‘s〔きょうの〕 hot(あつ) fish!(さかな)が答え!とにんまりするY教諭。
「言うまいと思えど今日の暑さかな」
この文章は確りと脳裏にプリントされており、暑い暑いと言う自分に「You might think today‘s hot fish!」と答えているからプリント力はかなり強烈である。

*長岡の暑い夜:
長岡市は終戦の年の8月の1日22:30から約二時間にわたってアメリカ軍の爆撃機により大空襲を受ける。1476名の尊い命を失った。爆撃機の数は124機で、投下爆弾量は924トンにも及んだと言われている。焼夷弾数にして163,456発だったと聞く。
焼夷弾は日本本土を空爆するにとても効果的な爆弾であったと聞く。油が入っていて爆発と同時に木造家屋を焼き尽くす仕掛けである。
お袋は長岡花火を観ると、いつも口癖のように言う。前川町から空爆を受けている長岡市中心部を見ていると、丁度スターマインの花火のようだったと言う。
長岡祭りはその鎮魂行事として8月1日の22:30に3発の花火を上げている。続く8月2日・3日は二日で2万発の花火を上げて戦争の記憶を残している。一日に換算すると1万発である。長岡空襲で投下された焼夷弾数は、なんと!16倍にもなったのである。そう考えると、その凄さには驚嘆する数である。
8月6日に広島に原子爆弾投下:8月9日に長崎に原子爆弾投下:多くの尊い命が失われた。
戦争は絶対に避けなければならないこと!そして、それを後世に言い伝えなければならないことである。

*    長岡花火の上る両日にもう二つの熱い熱い(暑い暑い)情報である。
長岡大花火大会の行われた8月2日・3日に弊社でも二つの講演会と研修会が開催された。
1. 8月2日:第七回APM大学講座が秋山孝ポスター美術館長岡において開催された。
2. 8月3日:第89回一水会〔4月・8月・12月の第一水曜日に開催される社内啓蒙活動勉強会〕が開催された。

*    8月2日:第七回APM大学のテーマは「中越地震からの創造的復興」と題して、新潟県新発田振興局地域整備部参事の渡辺斉建築課長さまから基調講演を頂いた。
渡辺参事は2006年10月23日に発生した中越地震の復興官として長岡市でご活躍くださった。当時のことを周りから聞くと、胃に穴が出来るくらいハードな職務を遂行してくださった。だから、ご講演の内容には切迫するものを覚えた。加速度2500を超えたとは凄いことであった。
発生当日:情報把握と緊急対処は山古志村民全員をヘリコプターにて大移送劇から始まった。
山の崩落・土石流・川の氾濫・川が堰き止められ湖ができる。人家が水に埋まってしまった。
大惨事!言葉で表せない地獄絵でもあった。
振り返ってみるとアっという間の出来事であった。しかし、渦中では一日一日が復旧・復興の連続である。
全国から多くの方々の温かいご支援で復興を成し遂げた。感謝である。正に創造的復興であった。

渡辺斉元復興官殿:お疲れ様でした。
秋山先生からは、渡辺さんの基調報告の後に「グラフィックデザインポスターを通して地震によって何を学び、何をしてきたか?そして何を伝えなければ成らないのか?」をご自分で制作された作品を通してご紹介してくださった。
ポスターは単なる絵とは違う。コンセプトを確りと持ち、一枚のポスターで伝えなければならない。

地震も発生歴史のお話から始まって何時ものように熱い、熱いお話である。先生のお話はどんどん深く、深く掘り下げていかれる。敬服いたす次第である。

*    8月3日:第89回一水会〔4月・8月・12月の第一水曜日に開催される社内啓蒙活動・勉強会〕が開催された。
プランタゴ・田瀬理夫先生による「建築とランドスケープ」と題してお話いただいた。
最初にご紹介された言葉は田瀬先生の先生であられる斉藤一雄先生の言葉であった。
「優れた景観は日本人の情念のルーツを形成した。景観の主軸は地形と緑である」
そして田瀬先生の自己紹介から始まり、「今」をどう認識するか?プランニングやデザインをする上での田瀬先生の現状認識のお話を頂いた。
新たな水源をつくる。地球の卵(OMソーラーの本部社屋:設計は永田昌民氏)の話し。
現代町屋のお話し!
林業再生:馬頭プロジェクト・アゼターセの事例を通してお話いただく。
5X緑〔五倍みどり〕
都市の緑では:都市のエコロジーの復活を目指す一連の環境建築をアクロス福岡を事例として取り上げお話くださった。年と共に成長する建築である。
廃棄物デザインでは:既存コンクリート解体ガラや根伐土を敷地から出さないデザインはとても実務的なアイディアである。

流域の再生:都市環境形成と里山保全活動の連動により流域を再生する試み「畑プロジェクト」のご報告があった。

私共でお手伝い願ったプロジェクトは二題:

1. サポートセンター摂田屋様〔リプチの森の中に完成した福祉施設〕の外構デザイン・造園・植栽関係
2.マイシップ・巣舞(長岡市前川東地区住宅博参加作品)の外構デザイン・造園・植栽関係
幸いに両方とも初めてのコラボでありながらかなり上手く進んだ。

庭を造るときに心がけていることは、その大小に関係なく、まず、窓から何が見えるか?窓から何を見るか?はとてもユニークな視点である。決して外から見えることだけを前提としない。

小さな庭の場合には特に地面のレベルがとても重要である。部屋の床や外のデッキと同じかそれ以上に高く上げて、地面を見下ろさないようにすると広がりが出ることを本二題では実践してくださった。

そしてもう一つのこだわりがあられる。地産地消である。その地で育っている樹木やその土地から取れる石材などを使うことである。

*    「暑い、暑い夏」は同時に「熱い、熱い夏」であった。
そして、甲子園球場もとても熱く燃えていた。

新潟明訓高校が西日本短大付属高校を破って8強に進出:新潟県として二年連続8強は初めてのこと!
いい試合だった。1:0で接戦であった。4強・連続2強も夢でもない。頑張れ新潟!

      
第七回APM大学開講         渡辺斉さまをお招きして秋山孝先生と対談をして頂く!地震談義はネバーエンド

     
最後に記念写真はバックに秋山カラー!

          
プランタゴさんとコラボしたサポートセンター    ご講演は聴衆を放さない    秋山先生も熱心に聴講

    
 アクロス福岡は建物全体が山の森となって都心に新しい顔を創った!そのほか先生の実施作品はとても刺激的だ!

投稿者:高田 |

高田建築事務所と愉快な仲間達が打ち上げる“巣舞るfor you 感動創造”“ベスビアス超大型スターマイン”打ち上げ開始です。

2010年8月3日19:54その瞬間がやって来た!
高田建築事務所と愉快な仲間達によるベスビアス超大型スターマインの打ち上げ開始である。
長岡花火を上げたいという長年の念願が叶った。〔小さい時から花火が大好き人間の一人としての夢〕
指定席に集まった社員と関係者60名で歓声を上げたのであるが、打ち上げ前に突然「全員起立・3・3・7拍子」の音頭を取ってくれたのは秋山孝美術館館長の秋山先生である。

この音頭が良かった。前触れも無く、秋山先生の突然の号令に皆は気分を高揚させて打ち上げを見守ることになる。
シナリオ通りに打ち上げられた。最初はスマイル君の型花火。次に500なる数字の型花火。それから個性ある彩り花火。やがて尺玉級は白銀になる.最後に音だけのカヤブシで締めた。
一瞬の出来事である。欲目だろうか?勢いがあったスターマインであった。

花火を打ち上げようと言う構想は、巣舞るメッセージ〔住宅見学会〕が開催されて今年で500回目を迎えることが出来る節目の年を記念しての行事として位置づけられた。
第一回目・初めての見学会は1982年(昭和57年)であるから、満28歳を迎えることになる。
展示場のための展示場ではなく、実際に住まわれる建築主様の家のお引渡し直前の週末をお借りしてオープンハウスさせて頂いている。
これから巣舞(すまい)づくりを予定されている方や、リフォームを検討されている方にとってはとても参考になるステージと
なってくれる。
オープンの目的は様々であるが、我が家のコンセプトと実現した個性ある空間を感動体感してもらいたい意味もある。
積極的に我が家から「巣舞るメッセージ」をお届けすることでお役に立てたいからである。
又、完成住宅を知人・親戚に一人ひとりに説明しているよりも一度に見ていただければ手間が省けると言う方もおいでである。
その見学会が500回目を迎えるのである。完成棟数は2000棟になる。

500回を記念し、感謝をどのような形でお届けするか?昨年から考えあぐねていたが、年度初めに長岡花火を打ち上げようという機運が盛り上がってきた。
毎年、協賛金として関わってきた長岡花火が今年は単独に上げる花火に変わった。
日本一の長岡花火大会は二日・三日の両日で2万発が打ち上がる。
1尺玉(直径30cm球)100連発や、デザイン花火・天地人花火・ミュージック花火・復興記念花火「フェニックス」・ワイドスターマインと次々に上る花火は多くの観客に感動を届けてくれる。正に、観客は固唾を呑んで鑑賞することになる。
そして何と言っても3尺玉〔直径90cm球〕は長岡の華である。一夜にして2発上る。長生橋と大手大橋に仕掛けられたナイアガラ瀑布花火と同時打ち上げである。

花火の楽しみ方は様々である。夜空に金・銀・白銀や鮮やかな色彩を放ちながら目を楽しませてくれることはもとより、何と言っても音である。打ち上げられた時の“ズーン”と言う腸にまで響き渡る音エネルギー。そして、爆裂する時の音のエネルギーで皮膚まで振動するからである。この様に、花火の醍醐味は目だけで観るのではなく身体全体で鑑賞することにある。
花火を観る人は2日間で80万人を超えるとも言われている。打ち上げ会場で観る人・家の近くで観ている方・TVで鑑賞している方・ラジオを片手に屋上で見る方!と様々であるが、近くで見るに越したことはない。遠くなればなるほど音との時間差で迫力が欠けてくるからである。
幸い、両日とも天候に恵まれた。昨年は初日の後半で雨に叩かれ尻切れトンボの感があったが、今年は好かった。暑すぎるくらいが観るにはいい。「夏まつり・ビール片手に・花火観る」

我が社のベスビアス超大型スターマインは打ち上げ番付では39番中10番目である。はやい時期に上げていただいたお陰で超々大型の影に隠れないで済んだような気がした。
打ち上げ花火師は長岡花火の元祖で知られている嘉瀬誠司さまご家族である。
私のお爺さまの代からのお付き合いもあり、気合を入れて打ち上げてくださった。
長岡花火は50年前の花火からかなりの進化を遂げている。個性ある花火の競演である。
今年は長岡花火が上って以来の最大記録の寄付金が集まったと言う。長岡市もホクホク顔だと!結果として、二日間とも元気な花火大会で終了した。

早速であるが、どこからと無く、高田建築事務所と愉快な仲間達で来年も上げよう!コールが聞こえてきた。〔私だけの空耳だと言うスタッフもいるが、聞こえるまで耳をそばだててみるように努力を促す〕
気が早い話しであるが、早速募金箱が事務所に設置され来年の長岡花火の準備がスタートした?!?!?!

*    巣舞いのメッセージ500回記念に打ち上げた花火はとても感動反応を頂きました。
電話やファックスで「観たよ。感動したよ。良かったよ。・・・・」と有りがたい声援を頂いた。感謝である。
・・・・以下は築縁様・木族の会の皆様から頂いた沢山の声である。
SD様:「皆さんにありがとう」のアナウンスを聞いて、こちらこそ有難うです。
新潟のSY様:電話で有難うございました。社長に宜しく。
W様:「良いの上げたな~」「どのくらいするもんだ?」
SK様:良い花火だった。打ち上げ花火の中に我が家も一発分くらい打ち上げの協力しているだろうね!〔勿論〕
リプチの森の施設の方:見たよ、良かったね!
来春に入社するT君:アピタ側で見ていた私の友達も、高田建築事務所の花火の時の拍手はすごかったと言っていました。
Kさんのおばあちゃん:信濃川西側席で見ていた。どこよりも拍手が多く良かった。と!
O造園さま奥様からのFAX:最初のスマイル君が、温かいスタッフ皆様の心がこもっていました。来年も又更に再来年もきっと美しく空に舞い上がられますよう、願っています。

花火名称      巣舞る for you感動創造
スポンサー名  高田建築事務所と愉快な仲間たち
アナンス      巣舞る for you
原稿


高田建築事務所の
巣舞るメッセージ:住宅見学会は、
おかげさまで、今年500回を迎えます。

巣舞人さまありがとう、
木族(きぞく)の会:職人さんありがとう、
スタッフ家族の皆さまありがとう・・・

感謝の気持ちを花火に込めてお届けします。

高田建築事務所と愉快な仲間たちがお贈りする、
ベスビアス超大型大スターマイン
感動創造
打ち上げ開始でございます。


アナウンス直後のスマイル君      様々な角度から観ている


500回記念の500です。SOSでは有りません。              100mはなれたところからW打ち上げ

色とりどり鮮やかな花火      どんどん打ち上がれ!

カラフルな花火から


段々と白銀色にうつり、最後には光だけにカヤブシ音で〆られる。


午後6時には指定席と言えど弊社スタッフ・〔来年度入社の新人も含め〕が集まり始める。夕飯も済ませる。

夜の帳が落ちる頃いよいよ打ち上げである。誰も彼もが夜空の饗宴を楽しむことになる。


嘉瀬花火師さんのご自宅前には打ち上げられた花火の筒が重ねられていた。 それでは記念写真チーズ!


天地人花火に姉妹が出きた。花火の名前は威風堂々だそうである。5ヶ所から上る花火は絢爛豪華そのもの!

                      
                    私をお忘れなく!募金箱が早速設置されました。高田建築事務所と愉快な仲間たちが上げる長岡花火!

投稿者:高田 |

町内祭り  「十年はひと昔 暑い夏  ふるさとはふた昔 夏祭り!」

弊社:高田建築事務所の前身は現在のタカモク( 旧:高田材木店に遡る)である。
現在地:新潟県長岡市摂田屋5丁目である。
最初に材木店を開業したのは私の親父であり、現在は会長の役職についている。主に山から木を出して来る。そしてその原木を製材し販売していたのである。今年で60年目を迎えた。又、親父の先代は私と同姓同名のおじいちゃんであり、農家をしながら山の木を扱っていた。と言うことで、木を扱って私で3代目と言うことになる。
当初の開業地は隣接する曲新町であった。我が家の隣には神社があった。赤城神社〔群馬県の赤城山をご神体とする、山岳信仰に端を発するらしい?〕と言い、周りは田圃と畑であった。隣の家まで50mは離れていた。現在は上越新幹線で視覚を分断されているが当時は・田畑越しに東山が一望できるとてものどかな処であった。
隣の神社は親にとってはとても躾ツールとしては大変重宝していたみたいである。兄弟喧嘩したり、親の言うことを聞かないと、時々(しばしば?多々?)この神社に勘当されるのである。
神社は昼間には格好の遊び場であるが、夜になると暗く二十Wの白熱灯が妙に恐怖心を煽り立てるのである。
喧嘩両成敗であるから勘当となると兄弟二人で受ける事になる。お互いの喧嘩も共通の敵が現れたことで一次仲直りして共同戦線を張ることになる。
今日は絶対に家に帰らないからな!と:当然、神社の内陣の建具は閉まったままであるから庇のかかった階段部分に腰を据える。欄干につかまりながら強がりを言った先からフクロウが鳴き始める時刻になると途端に降伏である。「もう二度としないから」を合言葉に玄関の鍵が開錠される。
7月28日は年に一回やってくる村祭り!神社はお祭りの主役であるから、参道には店も沢山開かれ、集まる浴衣姿は一段と華を添えてくれている。
境内の中では我が家と接する南側に演芸用の仮設舞台が作られる。理由はあった。その夜、我家は演劇出演者たちの着替えの更衣室になるからである。
夕刻も7時を回ると出し物演芸が始まる。時々、花火も上る。ボロッチイ家ではあったが、そんな家を使われることには、幼心にも誇りを持っていたような気がする。
今年も若い連中の神輿を先導する役割を仰せつかった。先導と言うよりも昔の住んでいた関係から、顔見知りで知っていたから、ご祝儀集めにとても便利な人間になっているからである。
子ども会の父兄は子供が小学校を卒業すると出てこなくなっている。数年毎に顔が変わるが、こちらは変わらない。今年も暑かった。そろそろ卒業を申し立てるのであるが中々許可がでない。
それでも、今年開設したサポートセンター摂田屋さまの入所様の歓迎してくださる姿を見ると、又来年もやらなければと肩の力が入ってしまうのである。
その昔は、境内には少年相撲大会の土俵まで作られていた。夫々の親達の応援を受けて闘った想い出は、とても温かいものを今でも覚えている。懐かしき「オールウェイズ3丁目の夕日」であった。

井上陽水の「夏祭り」は丁度そんな風景を醸し出してくれるから、私は大ファンである。
1.    十年はひと昔 暑い夏  お祭りはふた昔 セミの声
    思わずよみがえる 夏の日が  ああ今日はお祭り 空もあざやか
2. 自転車の後ろには 妹が ゆかたきて すましてる かわいいよ
    もらった おこずかい なくすなよ ああ 今日は おまつり 早く行こうよ
3.   綿菓子を ほおばれば 直ぐとける 友達もみんないる 笑い声
    道には並ぶ店 オモチャ売り  ああ 今日は おまつり 何を買おうか
4.    十年はひと昔 暑い夏  ふるさとはふた昔 夏祭り

その境内に2本の大木:ケヤキの木があった。
二本とも樹齢100年はゆうに経っているだろう貫禄ものである。
しかし、この二本には対照的な育ち方をしている。
方や北側の一本は素直に真っ直ぐに立っている。とても気持ちが良い!他方南側の一本はかなりのねじれを持ちながら立っている。味わいがある姿である!
我々が勘当された時から50年以上が経った。二本のケヤキは自分の個性を無くすること無しに今も確りと立っている。
人生もおんなじである。個性があるから存在意義がある。
巣舞づくりも個性を大切にしたコセプト作りから始めることがいいに決まっている。

*    8月2日・3日は日本一の長岡花火大会である。二日間で2万発の打ち上げである。
50年前の花火からかなりの進化を遂げている。個性ある花火の競演である。
今年は長岡花火が上って以来の最大の寄付金が集まったと言う。元気に上って欲しいものである。
前述したように、今年弊社は“巣舞るメッセージ”と称した住宅見学会の開催を500回目を迎える予定である。そこで感謝と感動をお届けする意味で長岡花火を上げることになった。ベスビアス超大型スターマインである。
8月3日〔火〕19:54に打ち上げである。是非とも声援を送っていただけると大変有り難い限りである。
古来「祭り」と「政」は同じだったと聞く。人々が集まり、収穫を感謝する、捧げものをする。そのことをつかさどっていたのが政であるとすれば切り離すことは出来なかったのであろう。

*ウィキペディアによれば:長岡祭そのものの起源は1945年8月1日の長岡空襲からの復興を願い翌1946年8月1日に行われた戦災復興祭であるが花火大会の始まりはこれとは別で1879年9月14日と15日の2日間、千手町八幡様の祭りに長原などの遊廓関係者がお金を出し合って花火350発を打ち上げられたのが始まりと言われている。その後、本格的な花火大会となったのは1906年からであり現在の「長岡まつり」という名称になったのは1951年のことである。

     
 鳥居を挟んで立つ二本の欅   ねじれて育った南面の欅  製材すると玉杢が出て来そう

  
サポートセンター摂田屋様の交流施設前で神輿廻し。デッキで観る入所者はとても生き生きしていた!

   
  神輿隊も施設内に暑さ隠れ!                     

   
 最後は弊社の前でわっしょいわっしょい!さーて一服だ!      もう一度最後の仕上げの神輿まわし!
                           

   

投稿者:高田 |

地引網:新潟築縁会にて開催!

2010年7月19日は海開きの日であった。
快晴である。この日に地引網を楽しむ会が開催された。
新潟築縁会の皆様ご家族をお招きしての会である。築縁会は地縁・知縁・血縁の繋がりの様に、高田建築事務所で巣舞づくりをなされた方々と建築後もアフター対応〔弊社ではスタートサービスと呼ぶ〕を含めご縁を大切にしようということで始まった会である。巣舞づくりはすまいづくりをされる方にとっては大小の差はあれ、大変な労力を使うものである。当然と建築主さまとの間には密度の濃い関係が生まれるのである。その関係を大切にしましょうということで、時ある毎に様々な会を計画しお集まりいただく事を心がけているのである。
その一つが築縁会:地引網イベントである。会場は新発田市網代ヶ浜・藤塚浜と歴史を重ねてきている。今年は藤塚浜の江口屋さまであった。
今年は丁度梅雨明けも重なって浜は海水浴客で賑わっていた。
毎年であると浜茶屋の前の浜辺は独占できたのだが、今年はそうは行かなかった。
昨年は雨にたたり、延期を余儀なくさせられ、8月の後半では集まる人数も減じてしまった。
しかし今年は違った。33度を超える暑さであった。
230名の築縁様の参加を持って始まった。迎える事務所スタッフは16名と木族の会の68名合計314名の大舞台になった。
江口屋さんを借り切ってではあるが、ところ狭しの大賑わいであった。
また、3年前の中越沖地震発生の当日にも開催したのであるから、新潟県はとても大きな県であることをこのときこそ思い知ったのである。新潟県の南で起きた地震の影響を北ではほとんど受けなかったのであるから。中止するか開催続行するかの判断には緊急を要したことを思い出す。
もうすでに楽しみにして出かけてきている人がいるのである。海水浴場の監視員は海水浴中止のシグナルは上げない。そこで長岡本社は地震地対応組みとし、新潟営業所は築縁会開催続行組とした。会が終了して報告を受けたときは続行してよかったと思った。なぜなら、この地引網大会は「小さなお子さん達が楽しみにしている会であるからだ。」
築縁会は大人の会のようであるが、この地引網はお子さんを楽しませる様々なゲーム遊びが用意されておる強烈な会でもある。
スイカ割り・宝探し・障害物レース・餅まき大会〔模擬上棟式をする〕・そしてクライマックスは地引網である。
私にとっては、様々なゲームが展開中に築縁様から現在の巣舞いの近況報告を受けるのがとても楽しみの一つである。巣舞づくりを計画中ではお母さんのお腹にいたお子さんがもう三歳になったとか。ご主人が転勤になったとか。今後の巣舞居方〔いかた〕についてもよろしくとか。元気な笑顔と声が届くのである。
何よりも、嬉しいのは完成して住まわれた後「私達にとっては期待以上の住まいをつくって頂き有難う!」という直球言葉には、とても感動するのである。
会は午後の2時30分からの開催であるが、午前中はおもてなしの準備に大童である。
おもてなしをするのは弊社スタッフと木族の会の皆様である。木族の会は弊社の協力業者・職人集団である。普段は鋸や金槌を持っている大工さんがシェフに大変身である。板金屋さん・左官さん・もう誰もが料理人やウエイターになりきっているのである。本物を超えてしまう凄腕である。
もてなす側が楽しむから来会者は当然楽しむことになる。ここが重要である。一体となってつくり上げていく会が重要なのである。
私の幼き日の思い出に地方巡業にやってきた大相撲の思い出がある。〔前出のブログで紹介済み〕そしてもう一つの強烈な思い出が友達のお父さんに連れられていった鯨波海水浴場であった。
委細は記憶にないが、大きな海にとても感動していたように思い出す。楽しかったスイカ割り、そしてそれを腹いっぱいに成るまで頬張ることが許された一日!
きっと今日やって来た、ちびちゃん達にとっては幼き日の強烈な印象を育んでくれること間違い無しと強く確信したのである。
巣舞づくりもお子様・ご家族との思い出を作っていくアルバムである。
手毎味噌になるが、築縁会はとてもいい仕組みである。いい仕組みであるから今後とも継続して行きたいのである。お子さんとやってきた地引網に今度はお孫さんとやってくるのである。感動と思い出のリレーシステムである。
今回初めて試みた上棟式は簡単な仮設を屋根に見立てて、そこから餅をまくのである。長岡では見慣れた当たり前の儀式であるが、新潟市内となるとほとんど行われない儀式である。それだけに参加者にとっては新鮮であったようである。
屋根に上った棟梁は8人!まず最初は4人の棟梁によって大きな隅餅が掛け声と共に四方に投げられる。これを拾った人は次に家を建てる方である。丁度、結婚式の時のブーケの様に!
それを合図に紅白餅やお菓子がまかれる。その量も中途半端な数ではない。隅餅を拾った人は夏に家族で雑煮を楽しむことが出来るのである。〔勿論焼いて食べても美味しい〕
さて、クライマックスは午後6時頃から手繰り引き寄せられる地引網である。〔今年は時間の都合で私自身はこのクライマックスには出席できなかったが例年の風景を思い出しながら記す〕
約100m遠方に設置された網を手繰り寄せるのである。
沖から浜に手繰り寄せられ狭められた網から飛び跳ねる魚にカモメやウミネコ達が群がってくる。
歓声が上る。そして、すっかりと引き寄せられた地引網には様々な種類の魚がかかっている。子供も大人も目を輝かせながら魚を持ってきたボックスに拾い上げていく。
やがて、夕方の帳が落ち始める頃には一日の感動を胸に!思い出を夢枕に!お子さん達は岐路につくのである。
築縁さまの皆様お疲れ様でした。楽しかったね。来年もまた来てくださいね。
江口屋さまの皆様有難う・木族の会の皆様有難う・そしてスタッフの皆様お疲れ様でした。
波の音で疲れも癒されて:海よ!有難う!

  
早々江口屋主さんからビールの差入  スイカ割り大会は楽しい想い出      渾身の一撃「エイ・やー・ボコ」

  
みんな集まって、上棟式をするよ!   まずは4個の大きな隅餅!       サーてこれからまきますよ!

  
こっちにもなげてくれよ!         よーし、それじゃホーイ!         以上で終了です! 

  
 水ヨーヨースクイは緊張するな~!  障害物競走の最後はパン食い競技! ついつい肩や手を使いそう!

  
いよいよ本日のメインイベント:地引網である。
  

 

  

 
                        開始が思い出の始まり!多くの築縁様有難う!木族の会の皆様有難う・万射!

投稿者:高田 |

”ドリームタウン前川東”住宅祭参加作品
マイシップ・巣舞(すまい)!
「前川〔マイ〕・船〔シップ〕」=「我が家〔マイ〕・らしさ〔シップ〕」
船に乗って山を上る:私の好きな曲の一つ:クライム エブリ マウンテン 〔サウンドオブミュージックより〕

すまいづくりは、すま居方(イカタ)の追求から始まる。その初めに形から形を求めるのではなく、想いを形にすることが重要なキーポイントである。
想いは目に見えないもの。その目に見えないものを目に見える形にするのである。
弊社では、“すまいづくりを巣舞づくり!”と呼ぶのは「巣は形・舞は想い」舞が巣をつくるからである。
まずその想いを確りと書き留めることから始まる。ここで大切なのは、借り物でない実際の自分の言葉で語ることが大切・(より重大)である。飾りのない生の言葉である。勿論、きれいな文章用語を持って考える必要はない。起承転結!等とんでもない。何の脈絡もない思いつきの羅列で結構である。言いたい放題・想いたい放題・書きたい放題である。だから弊社ではこの様なつくり方を放題紙の巣舞づくりということにしている。
それらの放題紙を元に様々な角度から検討してコンセプトをつくり上げる。そして、コンセプトを元に図面化するのである。勿論、図面からコンセプトを再検討するフィードバックも忘れてはならないことである。
住宅祭出品のようにまだ見ぬクラアントの為の建築は、今後そこに住まうご家族の個別的のコンセプトより、普遍的なコンセプトを元に物語をつくることになる場合がある。大げさに言えば、建設地の土地の歴史であったり、産業であったり、文化であったり、社会の関わり方について考えるのである。又、巣舞い方は設計者の主張がかなり入ることになる。
この度の住宅祭は長岡市前川東である。前川は私のお袋の出身地。良きにつけ、悪しきにつけ小さい時から私の個性を作り上げる上で切り離すことの出来ない関わリ土地でもある。
前川町を一口で言えば?「とてもまとまりのある、共存共栄の町である。」子供心にもそんな感想を強く持っていたような気がする。大人になった今から見ると又別の見方をするのであろうが?
名は体を表す。正に前川は前の川である。この地から、西方浄土を向けば、(日没に向けば)前に信濃川がゆうゆうと流れている。信濃川のから朝陽を拝む方向を見れば、反対に信濃川からは前の土地である。「前」と「川」をどんな接続詞でつないだ時に、その土地の地名を見出すことが出来るのだろうか?
その昔、信濃川右岸と左岸をつなぐ交通手段が船であったのは特筆することでもない。後に橋が架かり車や汽車が人やモノを運んだ。その風景を長い間見つめていた東山。今、その記憶(情報)を求めて「前川(マイ)・船(シップ)」は東山に向う!「我が家(マイ)・らしさ(シップ)・巣舞」を探しに!
巣舞いは、そこにすまうご家族の夢を運ぶ船でもある。時〔時間〕という川の流れに身を任すシップである。
プランニング・立面共に船をモチーフにデザインしている。フィギアヘッドをステンレスポールで置き換える。1Fは駐車場・2Fは子供室:ロフト付きのデッキ構造
ここで一般PR用コンセプトを一部紹介しておくことにする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「マイシップ・巣舞」は物語・コンセプトを持った巣舞づくりである。
船形をした二階屋根面は全て表しデザイン。1.5尺おき2寸X8寸の上り梁〔垂木〕はストラクチュラルデザインそのもの。
コンセプトは::::「マイシップ・巣舞」は未来に夢を運ぶ船前川の土地の記憶〔ノスタルジア〕と我が家の個性と言う2つのコンセプトを乗せた未来に夢を運ぶ船をイメージして創られた住まいである。
「前川〔マイ〕・船〔シップ〕」=「我が家〔マイ〕・らしさ〔シップ〕」
販売価格は土地建物で3788万円(消費税込み)
土地内訳:土地面積:75坪・土地価格:1033万円
建築内訳:建築工事面積:53坪・建物金額:2755万円〔消費税込み〕
造園・植栽も含まれているから、とてもリーズナブルである。
巣舞いのメッセージ500回記念事業の一つであるから、とてもお得の価格設定でもある。
6大特徴
①    眺望を楽しむプラン:南東に大きな公園を持ち、公園越しに東山が見える。絶景敷地である!
②    デザインモチーフは船:前川の土地の持つ記憶探しへ!船は山に向う!
③    自然を取り込む三つの庭:前面・サイド3箇所に配置された庭との内外融合造園計画!
④    木の構造デザイン:大屋根はモクード空間〔木構造デザイン〕を持ちダイナミック!
⑤    2台ビルトイン車庫:リモコン開閉で風雪にも安心して乗り降りできる!
⑥    トップランナー基準適合住宅:フラット35が使えます!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
7月17日〔土〕オープン初日は梅雨明け宣言と重なりとても幸先の良い住宅フェアーになった。ゲリラ豪雨とは打って変わって晴天である。10:00からの開演を待ったかのように多くの方々がやってきた。それにしても気温は33度とか?とても暑い。それでも会場は熱気で溢れ何度と無く玄関の靴置き場が満杯になる。
来観者の感想も面白いので聞こえた声を拾ってみると:「噂の様にとても感動した。ステキ!」と歓声。「玄関に入った途端に感動した。」「とても面白い家である。」「子供達が楽しんで帰りたくない家。」(実際に飛び回っている子がいる程である。)「回れる動線は機能的。」「不思議な家。」「迷子になりそうな家。」「収納がとても良く考えられている家。」「洋風のデザインに和風が香るような家。」「参加15社の中で一番住みたい家。」「いいけれど高そう」〔そこで、リーズナブルな話を続けなければ成らなくなった。〕来館者の一部の声である。
*    巣舞づくりは人生の一大事業:
そしてその「すま居方」がそのご家族のあり方のソフトもハードも活かしもし、制限もするのであるから、余計に慎重に成らざるを得ない。
想いが形を作り、その形が生活者を制限する!
*    サウンドオブミュージックの中で歌われる「クライム エブリ マウンテン=山に登れ」は私の大好きな歌のひとつである。
マイシップ・巣舞は正にリビングからつながるデッキ・芝海・前面の公園を大海原に喩えて東山に向って進む船である。記憶の山に向って我が家は前進・山に登るのである。
我が家の夢と希望を載せて、豊かな恵みの山に向って!

  
東側正面は船の舳先:フィギュア・ヘッド(船首像)の代わりにSSパイプを!    模型から全体をチェック!
        
プランニングも船の形をデザインモチーフに!   前面から見上げる舳先!    東山に向って船はクライムmt!

                
前庭が自然勾配を取りながらリビングまで入り込み一体感をつくり出している!       

                                                                    
          ”マイシップ・巣舞”会場は2,5間もある土間玄関が所狭しと入場者の靴で一杯に成った!

   
玄関から二階を見上げる!       二階バルコニーから階段室!子供室ロフトから階段ホールを見る!
                             
二階ベランダから階段室!  玄関から二階を見上げる!            三角形スペースここはどこでしょう?

    
リビングから東側にデッキ・前庭・公園・東山を望む!南側は造作家具!  リビングは障子戸で和の空間を楽しめる

      
子供室ロフトから小屋裏を望む!    上り梁は2寸X8寸を垂木間隔でダイナミックに架構されている!

      
屋根は船底のようにデザインしている!土板はムクの県産杉が使われている!子供室のロフト部分から船の舳先を!

階段室の中央につくられた大火打ち!

投稿者:高田 |

第13回合同安全大会を終了して!
フォーカス〔焦点〕と固有周波数

あなた方は目があっても見えず、耳があっても聞こえない!(バイブル)

朝の散歩は気分が一新でき“今日も一日元気で頑張ろう!”モードを作るのにとても良い時間であり、元気創造仕掛けづくりでもある。以前は散歩コースも様々なところに行っていたが、今は決められたコースを決められた時間で歩くのである。それでも風景は毎日かわる。散歩道は同じでも、毎日異なる心の風景とコラボして百変化するのであるから当たり前のことといえば当たり前の話しであるが。
散歩をしてかなりの年月が経っている。何代にも渡る愛犬チロの散歩同行から始まった散歩が現在にまで続いているのである。柴犬チロは散歩の同行者である私のリズム等はこれっぽっちも考慮に入れてくれない。
おしっこしたと思ったら、次には草むらに鼻を突っ込んでは足で土を掘り始める。きっとモグラでもいるのだろう。同行者である私のことなど眼中にない。私は長時間の立ちん坊を余儀なく強制させられるのである。
愛犬チロが逝ってから、もう10年近くになる。それ以降は一人散歩に変わった。自由散歩である。と思い気や、後には時間的にはそう変わりがないことが分かった。片手にデジカメを持っているので、時にはチロと同行時よりももっと寄道している様でもある。
晴れた青空に高く高く舞う雲雀の鳴き声はとても忙しく甲高い。
その声を聞きながら姿を見ようと空を見上げるのであるが、声はすれど、姿が見えない。アレーっと大空捜索を始める。中々見つけることが出来ない。しかし、しばらく見つめていると俄かに、私の目のズームが動き出すのである。そして、フォーカス・チェンジが行われて、そんなに高くない近くに飛んでいる小さな一点を見つけることが出来る。
これは何故かと言うと大空は正に大空である。焦点はバラバラ・絞り込むフォーカス・ポイントが見つからない。しかし、やがて疲れてきた二眼レフも時間と共に合わされてくるのである。
そんな雲雀の鳴き声が響き渡る空中には沢山の情報を載せた電波が行き交っている。でも私には何も聞こえない。アンテナを立てないと受信できないのである。又、アンテナを立てても周波数が一致しなければ欲しい情報は採ることができない。
突然、シーザーことユリウス・カエサルの言葉とバイブルの言葉がやってくる。シーザーはローマの皇帝(正確には初代皇帝はカエサルの後を継いだアウグストスであるが):彼の内乱記の中で「人は自分が見たいと思う現実しか見えない」とある。ローマ人の物語は塩野七生著全15巻は歴史書としてはとても読みやすいのである。「人間なら誰でも全てが見えるわけではない。多くの人は自分が見たいと欲することしか見ていない」
バイブルにも重なる言葉がある:「あなた方は聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。」と!
同じくイザヤは語る「耳の聞こえない人よ聞け!、目に見えない人よ、良く見よ!」「多くのことが目に映っても何も見えず!耳が聞いているのに何も聞こえない!」
再び愛犬チロの件で恐縮であるが、散歩は朝晩二回と習慣をつけていたので仕事が遅くなった時でも、どんなに暗くなってもチロは散歩を待っている。排泄の生理現象は待ってくれないからである。満月でも出ていれば昼の風景がフォルムとなって映し出されるのであるが、月明かりも無く真っ暗な暗闇の時に散歩に出かけなければ成らないことも多々である。足元さえ見えない真っ暗闇である。ごそっと音がする。すると暗闇の向こうに獣・邪モノがいると錯覚して鳥肌が立つときがある。疑心暗鬼とはこのことである。同じ暗闇でも朝の散歩路を思い出すと全く自分の反応は落ち着いて来るのであるが。
正にフォーカスはどこにあるのか?によって概況が変わるのであるから不思議である。
人は思ったとおりにしか心に反応しないのである。その人が持つ固有ミラーである。対人関係でも、対物関係でも自分の心を投影したものがそのまま現れるのである。
他人は思ったことがそのまま行動になるのである。心にあるものが口を突くのである。あの人は口は悪いが心は良い人なんだよ。と時々耳にするが、基本的には口は悪いが心は良いことはないのである。
サッシガラス戸の内側に入った蜂君がそのガラス戸を中々抜け出ることが出来ない。サッシ枠の堤防を越えることができないのである。直ぐ横の障子を開けてやっても横に迂回しないのである。そしてやがて太陽熱で脱水症状・そして落下!
何もハチだけの世界ではない。丁度自分にも当てはまるようでショックである。

*    第13回高田建築事務所:長岡・新潟木族の会合同安全大会が開催された。
工務担当者は数ヶ月前から入念に準備して臨んだ大会だけに期待も大きかった。400名からの当社スタッフ・職人さんが集まり成功裏に終了した。職人一同の仕事のステージである現場の安全を遂行しようと全社一丸になっての安全大会である。
今年の講師は小林労働安全コンサルタント事務所の小林隆夫さまの刺激的なお話。
①リスクマネージメントからリスクアセスメント!潜む危険にどのように注意対応するかではなく。危険なこと(仕事)はやらない(しない・させない)!危険に対しても危険要因を除去できなかったら仕事をしない。しない勇気が必要である。
②注意力!人間はいくら注意しても同時に二つのことを同じレベルで注意できない。どちらか一方により大きな注意力を働かせる。他方は注意散漫になる。そういう動物である。と!
③思い込み!中でも、怖いのは思い込みである。一人ひとりの思い込みがあり、必ずしも同じ思い込みではない。そこにミスマッチが生じる。事故の原因である。
各自が思い込まなければ成らないこと自体を回避する必要がある。
思い込み=人は自分が見たいと思う現実しか見えない!自分の見たいものしか見えない!
建築は祝いもの!傷つけては成りません。一生の悲しみを建築主様に背負わせることになるからである。
大会開催日は20100624:ゼロ災1100日達成の日でもあった。
2000日へ向って一歩一歩事故なし:ヨシ!
ルールは守るためにある。目標は達成するためにある。
誓うな!誓いは嘘があるから存在するものである。(ボンフェッファー)嘘がない、誓いが必要ない安全環境をつくる必要がある:と強く思った。

 

 青空に雲雀が鳴いている!    白木に人々が集まる!        喜怒哀楽はそのまま顔にでる!                             
      疑心暗鬼                          黒い月夜にフォルムが語りかける    

  
    2010高田建築事務所木族の会長岡・新潟合同安全大会

投稿者:高田 |

「節目の年だから何かをやる」 V.S 「何々をしたから節目が出来た。」

節目の年だから、こんなイベントを考えてみた!節目の年だから、これこれを計画した!と良く耳にしたり、自分からも話したりすることがある。
節目の年だから??でも良く考えてみると、何々をした結果として節は出来るものでないだろうか?
この季節にはたけのこがぬくぬく・めきめき?と伸びて来る。彼らの節はわかりやすい。一定の長さになると節を作ることで風や重さに耐えることが出来るのである。もし節がなかったら竹の中は空洞であるから、ちょっとした風にでも倒れてしまう。
節の間隔も根元に近いほど短くなっており、上部荷重を支える構造としては自然の理にかなっている。
何れにせよ、成長するため・命を保つためには節は竹にとって必ず必要なのである。
激しい運動の後は激しい筋肉痛を受ける。年を取ると運動はしなくても節々が痛む。リレー競争の勝敗の一因に、如何にバトンを上手く渡すかにあるとも言われている。つなぎ目はいつも負担がかかる。そしてとても大切な役目を果たしている。
元々、タカモク(旧名:高田材木店)は山の木を伐木して来て製材して製材品販売をしていた。切り出された原木の小口の年輪を数えることで、その木の樹齢を知ることが出来る。私はその年輪を数えることが好きであった。
緯度が高いほど年輪がはっきりしてくる。春から夏・秋にかけて樹木が育ち生長する。しかし、冬になると成長が止まる。止まった所に年輪がはっきりと浮き上がってくる。反対に南洋材のように年中暖かい地方の樹木は年輪がない。いつでも成長しているからである。この、年輪が製材すると正目・板目の美しさになって現れるのである。
一節一節に想いを込めると同じ形をしているが全く違った節目を作ってくれる。
ブログを書き始めて一年が過ぎた。あっという間の一年である。
節目の月なのでちょっと書き方の方向を変えてみようと試みたがどうも思うようには運ばない。ここでも同じことが言える。方向を変えた時に、初めて節目の月になるのである。
私にとっては大きな年としての節目を迎えた。60歳・還暦である。〔ブログを読んでくれたKさんが高田さんは50歳くらいかと思っていた。還暦と聞いてびっくりしたと電話。精神的には30代かもしれませんがと言って笑っては見たが???〕
還暦は人生の折り返し地点である。だから還という。往路から復路への節目の年である。今までは前だけを向いて進んできた。振り返る事は余りしなかった、と言うより苦手であったといったほうが適切である。しかし今、復路から往路(オウロ)をオロ・オロしながら見ること、これまた楽しからずや!である。
丁度そんな今年に巣舞いのメッセージ:住宅完成見学会が秋には500回目を迎える。第1回は1982年であるから28年経ち29年目に突入である。
第1回は長岡市内の高田タマさまという農家併用住宅(60坪位)であった。初めての見学会、どれくらいの人を呼び込むことが出来るか?暗中模索であった。当時総合展示場はあったがお引渡し前の土日にオープンハウスして頂く仕組みは長岡市内には無く個別展示場をどのように開催するか?見本がないので、正に手探り状態であったのである。結果としては、2日間で603組のアンケートの回収であった。初めてのバッターボックスに立って満塁ホームランを打った心境であった。
当時は要領を得ず、告知するのにアドバルーンを揚げたり、花火を打ち上げたりで賑わいをつくったことを思い出す。正に、会社上げてのお祭り騒ぎになったのである。
見学会の来場者数リコードで一番多かったのは、長岡市内の屋根雪対策を考えた“多塔屋根の家”と命名されたK様邸であった。第51回目〔1993年〕の見学会の会場してお貸しいただいた。3日間で、何と1500枚のアンケート回収であった。もはやスタッフは対応というよりも下足管理に徹しなければならないほどであった。
毎回テーマがありチラシにもコンセプトを確りと謳い上げての開催である。最初何気なく回数をプロットしていたのであるが、いつの間にか500回という節目の回数を迎えることになった。この間、会場としてご提供いただいた築縁様には改めて感謝申し上げる次第である。衷心より感謝申し上げます。有難うございました。
弊社では二軒と同じ巣舞づくりはしない。建築主様は夫々独自の個性を持っておられるからである。同じ図面を使わないことが礼儀でも有ると固く信じていたからである。
であるからして、一回々々・毎回の巣舞いづくりは全く個別的・個性的である。何度、足を運んでくださっても、新鮮な感動を体験していただくことが出来るのである。
ING・建築計画進行中の方はもとより、築縁様(OB様)は自分の住まいづくりは完了しているにもかかわらず、OO様の家はどんな巣舞い?と新しいすまい方に新発見と感動を探しに来場してくださっている。
500回を迎えるに当たり、想いでは沢山あり、語るには少々のお時間を頂かなければ言い尽くせない回数になった。
継続は力なり!見学会の継続は、それだけで成功といっていいかも知れない。サクスィード(Succeed) イズ サクセス(Success)!である。
そこで弊社では今年度を“巣舞るメッセージ500回記念の年”として様々なイベントを計画することになった。
まず、継続の感謝である。築縁さまに・木族の会(職人さんグループ)に・スタッフ全員に!感謝を表そうというのである。
夏には長岡花火打ち上げ、秋には講演会、シンポジウムを予定させて頂いている。乞うご期待の程を!
*    P.S:13年間乗った愛車をハイブリッド車プリウスに変えた。車ナンバーは勿論500番:


竹の節は成長をはっきりと顕示    竹藪は生命の息吹を感じる       第一回目見学会のアドバルーン


第一回見学会会場は高田タマ様邸(1982年(昭和57年)前広場では俄か作りの作品展示とタマ様とツーショット

                     
51回会場には1500組が来場        長岡花火を上げる嘉瀬花火士さんと車ナンバー500番

   
まるでバウムクーヘンのような木片:ウィキペディアによれば:バウムクーヘン〔ドイツ語:木+ケーキ〕とは中心にドーナツ状の穴が有り断面に樹木の年輪のような同心円状模様が浮き出たケーキである。

投稿者:高田 |

長岡商業高等学校創立記念講演会に参加して:演者は長商先輩であり河井継之助記念館館長の稲川明雄先生である
長岡商業創立100周年記念講演:士魂商才

稲川明雄先生は私が尊敬する先輩であり、越後に関する近代史にかけては右に出る人がいない歴史学者である。

講演は聴くものにとっては“楽しいか?”“為になるか?”そのどちらかがなかったら時間の無駄だと誰かが教えてくれた。その点、稲川先生のご講演はとても為になり、とても楽しくその両方であるから、聴衆を決して裏切ることはない。4月28日は定例会議が予定されていたが、見計らって講演会に参加させていただいた。

母校:長岡商業高校は明治43年4月29日に創立した。1910年であるから今年で100年である。創立100周年を記念して10月8・9日には記念式典が開催されることになっている。その時の記念講演の講演者予定は、長商大先輩であるヨネックス会長の米山宏作氏である。話題の石川遼選手が育つ過程も含めてのご講演ということになると言うので、今から楽しみである。当日は同窓である秋山孝多摩美術大学教授製作による記念モニュメント(100年の風)も除幕・披露されることになっている。

4月29日は祝日(みどりの日)のために、例年4月28日に創立記念講演が開催されてきた。今年も全校生徒達・教職員・父兄を前に稲川節が講堂(体育館)に流れた。

昨年は秋山孝先生がお話され、その前年の一昨年は不肖私のほうで担当させていただいた。先生方と違って私の場合は話すことに不慣れで話したいことだけが多くあり、結果支離滅裂であったような記憶だけが残っている。

それもそのはず、居並ぶ学生達を前に話すとなると私の学生時代にタイムスリップして準備した建築の話がほとんど出来なく、思いつくままを語らせていただいたことを記憶している。(ここで話は私のことでは無い路線修正)
ご講演においては百戦練磨の稲川明雄先生のお話の要点は3点:
1.    長岡商業高等学校時代の想い出。
2.    士魂商才
3.    河井継之助記念館
しかし、45分と言う時間の関係で3.番目には届かなかったが話は充分であった。

稲川先生は長岡商工会議所100年史を編纂中であるという。長岡商業高等学校創立100周年と重なるから話しの絡め方もとても面白かった。

1.    昭和35年4月に入学、その年が丁度50周年であったという。委細はお忘れになられたが様々なイベントで活気付いていた当時を懐かしんでお話しされた。そしてその50年後の100周年創立記念日に、よもや自分で講演をするとは想っていなかったと切り出された。

現在は商業高校と言うと女子が多いが、当時はクラスに4~5名くらいしかいなかった。商業高校は男子学校と言う時代である。小生は昭和40年4月の入学であるから稲川先輩の5年後輩と言うことになる。(それだけに、お話の背景はほとんど変わらず、かなりの記憶の風景が重なった。)ちなみに進学クラスであった我がクラスには、2年次3年次と女子が誰もいなかった。

稲川先生の話は続く:野球部や運動部が大手を振るっていた時代である。昼休みに於ける応援の練習は一年生にとってはとても怖い時間であった。商業卒でありながら稲川先生はソロバン・簿記の両方とも3級さえ取らなかったのは自分くらいだろうと誇っておられた。人文科学が好きで歴史書を書くようになったのもそんな理由からであるという。(反対に私などは市川先生というとても気骨のある簿記のクラスであったから、一年と二年の夏までに商業簿記一級・工業簿記一級・会計学・ソロバン2級獲得は必須条件であり、クラス全員が取らなければならない。大学では建築に転向した分けだから、実際にはほとんど不要の資格のような気がしているが。とらないととても恐ろしい環境・取るまで補習も止む無しといった背景があった。)それだけに稲川先生のご自分を通された気骨さにも再度感動した次第であった。

稲川先生は卒業と同時に市役所に入る。当時は市役所の人気度は低く誰でも入れたので友人からは強く引き止められた、と。(現在の公務員人気からは計り知ることが出来ない時代でもあった)

商品は売れなければ意味がない。どんなに良い物をつくっても売れなければ駄目。お客目線が大事である。書籍もそうである。読者目線に立つことが大切である。読む方に届かなければ意味がない。

ご著書の「互尊翁:野本恭八郎」や「龍の如く:出版王・大橋佐平の生涯」は、その代表作である。読むものをたちまちの内に虜にしてしまう。河井継之助記念館館長であられるから長岡の歴史には特に造詣が深い。どんな切り口から質問してもその返答はとても流暢である。

2.    士魂商才
M34年に長岡の町が出来た。と同時に商業学校をつくる懇話会が出来た。

小林寅三郎のこめ百俵は学校をつくることであった。その原点は商業の活性化でもあった。学校をつくるのは豊かな社会づくりそのものであった。

M39年市制が誕生・その前年M38年に長岡商業会議所が設立された。そもそも商工会議所の提唱者の一人が渋沢栄一:実業界の重鎮であった。そして、その5年後のM43年に商業高校が誕生するのである。
福澤諭吉の和魂洋才(和魂漢才)と比較される士魂商才!

第一校歌に『士魂商才』なる言葉が入っている。“武士の精神と商人の知恵”の両輪が必要:渋沢栄一氏の唱えた言葉が確りと受け継がれている。

互尊翁:野本恭八郎や出版王:大橋佐平は自分は何のために生きてきたのか?自分の疑問をしっかりと出し、相手を生かすために自分を犠牲にすることも必要である。互尊独尊思想の具現化である。

自分にとって不利なことや嫌なこともしていかなくてはならない。まず、目前の学業に励んで欲しい。そして自信を持って卒業して社会に羽ばたいて欲しい。と締めくくられた。(まとめにならないまとめ方になってしまった。稲川先生には申し訳ない話しである)
あっという間の45分間であった。

*    折りしも、我等が同期・友人の北村敏雄君が今年から長岡商工会議所の副会頭に就任されることになった。4月30日には極々近しい仲間で就任祝いを開催することになった。秋山孝ポスター美術館長岡で秋山先生を交えての開催であった。(その後に様々な紙上を通し、書かれているような長岡商工会議所と市との間のごたごた等知る由もない段階での開催だったからこの会も辛うじてセーフであった)
同期が中心なり12名で祝砲(18:30に5号打ち上げを合図に)と祝杯である。
夫々が手作りの手持ちや激励の言葉を持ってきた。

私もサルギナートベール橋に士魂・商才を両岸にしてパズルを贈ることにした。集まった皆の寄せ書きも添えさせていただいた。

タイトルは長岡商工情報会議所である。商工だけでは現在では通じない。情報を入れなければグローバル世界では立ち行かないのであるから。

全国的にはサロン化している商工会議所ではあるが、こと長岡商工会議所に限っては稲川先生からも、とても実務的に働いているとの評価が下されていた。それは関係者の情熱でつくり上げて来たこれまでの歴史が意味するものであった。

農耕社会から工業化社会・商業化社会そして情報化社会へと大きな変動期もすでに通りすぎ、新たなる変動期を越えなければならない。次に見える風景を掘り起こし、つくり出して行く原動力に北村新副会頭がなってくれること期待し、我ら仲間も影ながら応援していくことだろう!

進学校でない職業高校生徒に向って、吉岡先生が声を大にしていた。「君達の目の前にはレールがない。砂煙をもうもうと立てて突っ走れ!そして、君達の後に道が出来る!」

                        
    講堂と化した体育館                               ご著書:野本恭八郎・大橋佐平

                       
校長先生と太刀川同窓会長に挟まれて                          講演後の稲川明雄先生


APM前で祝砲打ち上げ花火を待つ! 祝砲と共に北村敏雄君に乾杯!    APM美術館はパーティー会場!

 
”めだかの宿”で乾杯!

    
                                   

投稿者:高田 |


APMが長岡都市景観賞を受賞

この度、秋山孝ポスター美術館長岡(APM)が第三回“長岡市都市景観賞”を受賞することが出来た。
先週の話なので早速、ブログに「ながおかしとしけいかんしょう」と書き始めたら何と変換すると“長岡市と死刑鑑賞”と出てしまった。アレッと思いきやサスペンスもどきのタイトルにハッとしてしまった。何とも危なっかしい変換である。私のブログもそろそろ終了させなければならないシグナルがでてきたような気がする。さっと消そうとしたが、エンジェルスマイルがやってきて何かの暗号ではないかと思い止まり見直すと、やはり何と隠されたコードがあったのである。
長岡市都市景観賞は3年に一回の長岡市が応募者の中から選りすぐれたものを選びトリエンナーレ表彰するのである。長岡市 都市整備部 都市計画課主催の「長岡市都市景観賞について!」の主旨に拠れば「長岡市では、市民のみなさんから良好な景観について考え、関心を高めてもらうことを目的として、長岡市都市景観賞を平成15年に創設しました。長岡市都市景観賞は、長岡市らしい優れた景観を守り、育て、つくることに貢献している建築物、工作物、庭園、樹木や活動している団体などを、市民の推薦をもとに選定し、表彰するものです。(ただし、国又は地方公共団体が所有管理するものは除きます。)」とある。
そして今回の第3回長岡市都市景観賞は、平成21年5月20日から8月31日まで応募し、84名の方から200件の応募があったという。その中から長岡市都市景観審議会より①守る部門:2点 ②つくる部門:2点 ③育てる部門:2点の合計6点が受賞することになった。200件の中からの表彰であるから関係者には余計に嬉しいニュースであった。立ち上げから今日まで、工事・オープン・運営には大変多くの方々のご支援・応援力を頂きましたことここに謹んで感謝申し上げます。又皆様の苦労が報われた思いです。有難うございました。
この受賞は摂田屋・宮内地区では“越のむらさき”と“機那サフラン酒本舗 鏝絵の蔵”に引き続き3番目の受賞である。町から文化の灯火を消さずに済んだことにまず“ホッ!”
APMは大正14年に現在の北越銀行の前身である69銀行の建物として市民から広く利用されていた。昭和56年には北越銀行宮内支店の新築移転に伴って町内で乾物やさんを営まれている田上商店さんに譲渡され、倉庫として平成20年5月まで使われていた。流通業の発達により、倉庫の必要性も無くなってきたところで、地元出身のグラフィックデザイナーであり多摩美術大学教授の秋山孝先生にご自分の美術館として購入していただくことになったのは平成20年5月17日の現場前口頭契約からであった。
当建物はRC壁にタイルを貼ったものであり、屋根は瓦葺・フレンチトラスの切り妻の小屋組である。大正浪漫を漂わせた風格のある建物である。地震等で痛んでいたので歴史的建造物に指定していただくことが前提の県復興資金(耐震補強)援助を頼りに復元リノベーションの出発であった。歴史的建造物調査は長岡造形大学の平山育男教授であった。
そしてオープニングセレモニーは平成21年7月11日であった。大変多くの方から全国からおいで頂き祝していただいたこと、宮内・摂田屋地区にまさに華が咲きました。・・・・・この件については長くなるので・・・・APMホームページもご覧の程を!
さて、表題タイトルの件についての暗号解読は中々難しいが:近代化の名の下に歴史的に意味合いのある建築物がどんどん壊されて姿を消していく。確かに現在バージョンの機能をなさなくなっている建築物は沢山あることは事実でもある。(住宅に至っては全国で700万戸が空き家である。一年間100万戸を切る時代であるから、7年間は何もしなくってもいい勘定になる。勿論こんな簡単な論理ではいかないことは知っているが。)
しかし、大切なのは機能だけでは無いはずである。そしてそのことも充分知っていながらも止めることが出来ないことも多々である。何も語らなくても「存在しているだけで意義のあるもの」も沢山ある。それはモノだけでなく人についても同じことが言える。「いるだけ・あるだけで存在意義のある人・ものがある」。
建築物の解体は人間にとっては死を意味したり・死刑執行と同じように思えるときもある。勿論、人間で言えば時限の中での生命である。次の子孫に継承することでお役目を果たすことになると言えばそれまでであるが。
全国でも歴史的に存在意義のある建築物を保存する運動は続いているが、それでも何時と無く取り壊されていることも見逃すことは出来ない。重要さに気がついたときには後の祭り!は沢山経験している。であるから余計に慎重に!
卑近の例では、直江津駅にあるレンガ倉庫が新幹線工事に伴って取り壊されると聞いた。保存で今まで頑張っていた人たちの汗は無に帰したのだろうか?何とかならないものか?何とかならないものなのだと言う?行政の力も発揮してもらいたいと切に願うものの一人である。
「ながおかとしけいかんしょう」を文字変換したときにでた死刑鑑賞はそれなりに意味を持って迫ってきていたのである。死刑の是非論が重くのしかかっている時代だけにわたし達一人々々はあらためて考える必要に迫られているシグナルでもあった。その前に“長岡市と”と変換されたのには市民力の力をもっともっと出すようにという暗号であったようである。大声を張り上げなくてもよし、目に見えなくてもよし。いるだけで、あるだけで、存在感を醸し出しているものが沢山あることを再認識したいものである。
鑑賞という言葉は美しいものに対する言葉であると言うからこの場合は鑑賞ではなく「感傷・干渉・緩衝」と変換されたら良かったのにと思ってしまった。
何れにせよ、APMが長岡市都市景観賞を受賞出来たことは、APMのサポーターズ倶楽部の一人ひとりの想いが高く評価されたものと思い、皆様とカンパーイ!
有難うございました。新年度の4月からの新計画も着々と進んでいます。皆様に愛される美術館・建っているだけで存在意義のある美術館を目指したいと思います。APM引き続きご支援のほどをお願い申し上げます。(APMサポーターズ倶楽部会長より)
審査・表彰について豊口協委員長(長岡造形大学理事長)より講評があった。「景観という言葉が出来たのは21世紀になってからである。元々景色があってそこに風景をつくり上げていく。近年になって人工的に風景をつくろうとしてきた。結果として自然を排除した風景に不都合が生じてきた。時に法制化され、“つくること・守ること・育てること”の重要性が問われてきた。・・・・・・・受賞を受けたことで新しい責任が市民として生まれたと思って、素晴らしいまちづくりに協力して欲しい。」と!何時もながらの力強い言葉であった。
同席で受賞された「高野(市左衛門)家住宅と積邨(せきそん)ギャラリー飛蟲舎(ぴちゅうしゃ)」の持ち主であり管理者の渡辺洋三さまご家族と同席できたことも大変嬉しかった。渡辺洋三さんのご自宅を10年位前に建築する時に画家であるご祖父の渡辺綱山さんのギャラリーを作るお手伝いをさせていただいたからである。
余談ではあるが、平成15年の第一回目都市景観賞と併設されていた第一回景観行為優良賞を当社設計の“ふくちゃん保育園”で頂いたことも思い出した。

     
           森長岡市長から表彰               ヤッター!と満面の笑みの秋山先生      審査講評される豊口協委員長
     
       受賞者全員の記念写真                    秋山孝ポスター美術館長岡                     長岡新聞にて紹介
     
   高野家住宅と積邨ギャラリー飛蟲舎         第1回受賞:越のむらさき       第1回受賞:機那サフラン酒本舗 鏝絵の蔵
 
ふくちゃん保育園(第1回景観行為優良賞)

投稿者:takada |

元旦茶事と初釜に参加して!

60の手習いならぬが、60-3の手習いであった。裏千家の茶稽古に参加して名ばかりの3年目である。私の伯父さん(87歳)が裏千家の先生をされていた関係で再入門であった。
最初は、窮屈に感じていた茶稽古も楽しくなって来た心境の変化にはびっくりである。正座が不得意であり、書道にも華道にも才のない私にはとても難しい挑戦でもあった。茶道は日本文化を代表する一つであり、しかも最も誇れる文化の一つである。茶道には、建築文化あり・華道・書道・絵画・服飾・料理と総合的な芸術であるからである。
建築設計を生業としている私が、図面上だけで無く茶道の所作をすることで、茶室建築依頼に答えることが出来るようになるために!設計の更なるバージョンアップの為に出来る大切な習い事!と一応はその様に目標を大上段に構えてみたものの、その実行度・成果は遙かに及ばずと言ったところである。
35歳の時に一度お招き頂き習おうと思って通い始めたが、数ヶ月で断念。しかし、今回は出席簿に空白が目に付くが、それでも続いているのは皆様の寛容精神に支えられているからに違いない。元々、女房と娘が真面目な生徒さんであり、一つ一つ確りと覚えている姿を見ると、忙しさを理由に出席率30%程度の私が習い事を卒業するのは、大変遅れることは間違いないことである。勿論、最初から許状や卒業は目的でなかった。茶室建築をするのにちょっとでいいから・話せる程度でいいから、と。そんな気軽なきっかけでの入門でもあった。概論・お茶のさわりだけでも知りたい!であった。再挑戦の時には、社員にも参加を募集したところ私を含めて9名の出発であった。そして今でも元社員も含めて7名が参加して続いている。正に七人の侍と言ったところ?
今年の元旦:1月1日に我が家でお茶をたてた。亭主役が私であるのだから、お客様にはお茶をお飲みいただくというご案内を前もってしないことにした。おいでになられた時に気軽に席についてもらうことにした。そうすることで何よりも私自身が重圧から解放されたのである。準備は、年末掃除の時に夏に洗って準備していた灰を炉に入れることから始まった。ほとんどの準備は女房に任せ、私の仕事は炭をおこし、炭入れ(決して炭手前ではなく)だけである。それでもお湯の沸く音が心地よく耳に届く時には、緊張も心地よさをかもし出してきた。水差し・お茶入れ・棗・建水と持ち出し席に着いたときには、何ともいえない喜びが沸いてきたのを覚えている。(エッこんな感情って私にも有ったのか?と再驚愕でもあり再発見でもあった!)
しかし、我家の和室は京間寸法には作ってなかったので炉の内隅狙いに座ると茶碗と棗を置くととても狭苦しいのである。茶室は京間で無ければ茶事は出来ません。と口癖のように言われる先生の言葉が脳裏をかすめる。畳寸法が江戸間(田舎間)の場合の限界を再認識した瞬間でもあった。京間畳は6尺3寸X3尺1寸5分の茶事ステージの寸法である。
一昨年、町内文化祭の日にリプチの森で茶会を開いた。その時でも、滝沢先生のご指導で、道安好みの三畳下座床の一夜城ならぬ一夜茶室の出現であった。畳の寸法がこんなにも茶事を制約していることを肌で分からせていただいていることでもあった。元旦茶事は、窮屈を我慢しながら自服も含めて五服点てさせていただき、美味しい!結構なお含み加減です。と言われて何ともほっとした一瞬でもあった。そして、滝沢社中の初釜が1月10日に開催された。
正客さんのNさんのお話では、利休さんの命日:旧暦2月28日(新暦では表千家3月27日・裏千家では3月28日)以前には初釜以外にこれと言って大きな茶会は行われないことになっているらしい。つくばいで手と口を清めた後、二畳間を通って四畳半の小間に導かれた。床飾りは昨年と同様に「蓬莱山飾り」であった。とても正月に似合う華やかさと目出度さを彩る材料の組合せであった。
掛け軸は、大徳寺無学書による「偃蓋重々拂瑞雲(えんがいじゅうじゅうずいうんをはらう)」は新年にピッタリで新しい年に迷いやマイナス要因を引きずらないで、払拭し心新たに向かいたいものであると言う先生からの注釈が有った。柳掛けも水墨画のように微妙なカスレを表現していたように感じた。床飾りを鑑賞した後、四畳半では天目茶碗で濃茶を頂くことになった。三種類の天目茶碗は、孔雀天目・油滴天目・禾天目と言われるものであった。どれも素晴らしく私にとっては滅多に使うことなどできない茶碗であった。天目茶碗とは、天目釉と呼ばれる鉄釉をかけて焼かれた陶器製の茶碗のこと。唐物と言われており、今回使用された三碗は南宗の時代の作だとも聞いた。孔雀天目茶碗は、正に孔雀が羽を広げた姿である。天目台「七宝」に載せられて出されたお茶には、初めてのスタイルであったからかなり緊張もした。いずれの茶碗にも幽玄な光沢が眩かった。そして、八畳間に移動して薄茶点前を楽しんだ。
昨年は未熟者で点てることが出来なかったが、今年は遠慮知らずに大変楽しませて頂き点てることが出来た。確かに呑むだけでも茶会は良いのだが自分で点てると一層楽しむことが出来る。あっという間の4時間が過ぎた。会場移動しての会席料理はお茶会の後だけにお酒ともども格別であった。
再々認識:元旦と初釜会(10日)の両方でお茶を点てさせて頂いたが、茶室は京間畳が重要なキーポイントであると言うことを再々認識した次第であった。
      
   つくばいで手と口を清めて入室です            何とも雅な「蓬莱山かざり」                    4畳半小間の床飾り
     
  滝沢先生とのツーショットは少々緊張            天目茶碗三碗と天目台                         孔雀天目茶碗
     
            孔雀天目の高台部分                            油滴天目茶碗                                  禾天目茶碗
     
       いよいよ私の番で少々緊張?                        初釜記念写真                 リプチの森一夜茶室の3畳下座床
  
     リプチの森に出来た茶会舞台

投稿者:takada |

↑ページの先頭へ

↑ページの先頭へ


会社案内求人情報お問い合せリンクサイトマッププライバシーポリシー

株式会社 高田建築事務所
長岡本社 〒940-1105 新潟県長岡市摂田屋5-6-22 TEL:0258-36-1230 FAX:0258-35-8185 MAP
新潟営業所 〒950-0948 新潟市中央区女池南3丁目5-15 TEL:025-284-4700 FAX:025-284-4646 MAP