* ついに今年も大雪になってしまった。
雪国に住む私たちにとっては何も珍しいことでは無い。宿命である。昨年のブログを読みかえしてみて、今年も同じことを考えているのだなーと思ってしまった。
忘れているのである。新しい発見をしたと思いきや毎年々々経験していることであることを忘れているのである。人間の偉大なる能力の一つに忘却がある。忘却があるから新鮮さを保てる逆説が成り立っている。忘却力がなかったら情報過多で間違いなくパニクッテしまっている事だろう。老人力の大きな一つが忘却力である!もはや能力である!
しかし今年の雪の降り方がちょっと違った。「モサモサ」といかにも降っているぞー!言う降り方ではないのである。「ちらちら」と降っていて気が付くといつの間にやら1.5m近くにになってしまっていたというところである。
雪が降ってまず困るのは道路の除雪である。うまく排雪できないと交通手段が断絶されてしまう。通勤にも通学にも不便を生じるのである。だから、まだ暗い朝早きから除雪車の出動である。仕事される皆様には敬意を表するところである。
それから、屋根雪が心配である。1.5m積雪になると450kg/㎡にもなる。一㎡に60kg体重の人が肩車で7~8人も載っていることになる。30坪(約100㎡)の屋根があれば700人~800人乗っていることになる!まさに唖然!である。
屋根雪荷重の警報が最初に出るのが建具である。荷重で撓む梁が鴨居を圧迫して建具の可動を阻止してしまうからである。
建具が動かなくなったから即建物が壊れると言うことでは無いが、生活者に不安感と言う不快感を与えているのも間違いない。耐雪構造にしてしまっている住宅も現在ではたくさん作られているが!
先週中では雪下ろしの依頼が5軒ぐらいしかなかったのに週末には60軒位になったと言う報告があった。こちらの段取りも結構プロ級の技を要求される。
ところで何時、あなたの家の屋根雪を下ろしますか?と聞くと前述した建具の動きが良くなくなったと言う理由もあるが、隣の人が下し始めたから!とこちらが理由の圧倒的な返答である。
雪の降り方でも降り続けなければ大丈夫である。時々息継ぎをしてくれるだけでも違ってくる。しんしんと音がする降り方は嫌な降り方である。今年は今のところそうでもないようだ。
今朝(2月29日)は時折、青空が広がり太陽が覗いてくれた。ちらほら降る雪は「風花」と言われる。風流である。又、雪が降り始める前に花は「氷の華」である。

太陽がのぞくと元気が出る! 姪のミツミさんのデザインによる「風花」と「氷の華」は素晴らしい!
秋に葉を落とした樹木に白い花が咲く!雪冠樹!これがまた美しい!蔵王の樹氷の風景はすっぽりと雪をまとって作られた傑作でもある。
雪が作る造形はとても美しくもあり!不思議な風景でもあり面白くもある!人の顔に見えたり、動物に見えたり、モノに見えたりするのであるからだ。

よ~く見てください!顔が現れてきますよ!

虚無僧に見えますか? 犬のぬいぐるみに? 陸に上がった越前くらげ?
今年もリプチの森の水門中のヘアーファッションショーが始まっている。とても楽しく住人達に語りかけてくれている。嫌いを好きにさせる能力を雪君たちは持っているのである。




リプチン森の水門中のヘアーファッションー リプチの月にも樹氷が!
声が聞こえるような気がした!独り言言っているよりも屋根に上って雪下ろしをして下さい!と。いよいよ弊社事務所:モクードの屋根雪下しがこの月末に社員スタッフで予定されている。
その前に28日(土)に監督のA君と実際の積雪荷重を測ることにした。私たちは現場の本当の荷重数値を持たなくてはならい。積雪深ではない。密度が違うからである。
新雪であればパウダースノー:吹けば飛ぶような重さである。しかし、雨交じりの雪はザラメ雪になってかなりの重さを測りので示すことになる。
試験片は25cm X 25cm X 25cmで計測する。その64倍が1㎥当たりの重さになり、kgを1000で割れば比重になる。25cmごとの計測雪片を計測することになるので5コマに分かれて測ることになる。
結論から言うと私の部屋の横にある屋根の上の雪の深さは125cmであった。
比重は上の方から0.083・・・0.115・・・0.179・・・0.371・・・0.428であった。
実際の全荷重は1㎡当たり294kgであった。一般の家は積雪深1.5mで比重は0.3で計算しているから450kgまで大丈夫である。勿論0.7掛けの特例も入れて換算したとしても325kgであるから今しばらく大丈夫である。更に弊社では柱梁の部材算定には余裕も見ているから安心である。それでも、雪下ろし依頼が一気にやってきてもこなせない。そこで、そろそろ雪下ろしをしてくださいと言ったところである。
監督A君の大活躍で真実の雪の重さをお知らせすることで建築主の皆様に安心をお伝えできるのである!
* 昨日、長岡市環境部長から「地盤沈下注意報の発令について」のファックスが届いた。
内容は「降雪が続き融雪設備がフル活動中である。大量の井戸水が汲み揚げられている関係で水位がどんどん低くなってきている!」と言う警報であった。
長岡西地域(蓮潟中央公園にて計測)では注意発令は20mから出ることになっているが、すでに1月27日で水位が30.7m下がっているそうである。限界を超えてしまった。
又、長岡東地域(長岡高校にて計測)では注意発令が17mとされているが、こちらの水位は現在までのところ16.3mである。辛うじてセーフであるが、時間の問題である。こちらも地下水の汲み揚げへの注意報が発令されることになる。
いずれにせよ、地下水位が下がると地盤沈下が起こりやすくなり建築物・インフラ設備に悪影響を及ぼすことになる。最悪の場合には地震を起こすトリガーになるかもしれないからである。その為にも市民皆で協力して環境維持して行こうと言うものである。
幸いにも弊社本社のある摂田屋地域は地盤が礫層でできているので他地域よりも安全性を確保できるようでもあるが。
さて、雪国の新年会は雪の降る中での開催である。弊社も様々な取引上の新年会には役員で分担して出席させていただいている。様々な情報や意見交換がされているからである。
美容室:リッチグループの新年会が1月23日(月)にニューオータニ長岡で開催された。
お招きいただき参加するのであるが、とても若返る気分にもなる。美容師さん達は皆さん若いからである。今年も私にとっては場違いではないかと思えるくらいに若い人たちで会場が沸きかえっていた。
同テーブルの席にいた若い女性美容師さんから高田さんの娘さんと高校の時の同級生ですとご紹介いただいた。更に、高田さんちに友達三人で泊まりに寄せてもらったこともあったんですよ!思わずえっ!である。まさかのエッ!である。
すかさず、その時わっしはどんな格好をしてましたかね?と質問を発していた。
良く覚えていない!と返答があった。そのままに取ればよかたであるが、覚えていないことにしようと言うことであれば哀れな私であったことになる???
直ぐに娘に電話して、今あんたの友達と新年会やっているよと言って電話を代わってもらった。娘にとってはとても不思議な組み合わせの電話であったことは間違いない。
その他にも参加者は美容室関係の資材やさんや学校の先生もおいでであった。会の最初はご祝辞・ご挨拶が続く。そして社長のご挨拶は昨年の成績と今年度の方針報告になる。
美容室の社長の息子さんがオーナーである。オーナーのご挨拶:今年のコンセプトは自己練磨である。美容師にとって技術力は大切!礼儀挨拶も当たり前!しかし今年はさらに自己を磨くことに専心してほしい!と激を飛ばされた。参加者の耳はオーナーの言葉を確りと受信すべく方向に向けられていた。
乾杯に続いて各種表彰式が行われた。売り上げNO1から上位表彰!個人売上順位表彰!そして何よりもお客様から選ばれたグッドデザイン賞があるのである。
そして、数ある美容室の中で売上一番店と二番店の店舗の設計施工をさせて頂いたのは新年会で何物にも替え難い嬉しい限りであった。
建築のコンペではないのに妙にうれしいのである。鼻の下は伸びなかったが新年会の開催時間は伸びていた。
今年も益々のご発展とご繁栄を期待するものである。

女性スタッフの記念写真 佐藤オーナー(右)と!

一番店になったリッチ長岡店外観とインナースペース

二番店に選ばれたアリュール新保店の内観と外観
計量№ 各層 25X25X25のAKg 25X25X25のBKg Ab:(A+B)/2 各層毎の比重 各層毎総荷重Kg
1 1.2 1.4 1.3 0.083 20.8
2 1.8 1.8 1.8 0.1152 28.8
3 2.8 2.8 2.8 0.1792 44.8
4 5.6 6 5.8 0.3712 92.8
5 6.4 7 6.7 0.4288 107.2
平均比重0.23548 総荷重 294.4
* 8月3日の長岡花火打ち上げに参加して二年が過ぎた。今年は三年目である。ほぼ打ち上げ開始に迷いはない!準備も着々と進んでいる?
ベスビアス超大型スターマインである!打ち上げスポンサーは“高田建築事務所と愉快な仲間たち”である。高田建築事務所には楽しい愉快な仲間たちが沢山集まってくる。今年はどのようなコンセプトで打ち上げられるか皆で考える楽しさは何物にも替え難い。
夜空に轟く大音響とともに鮮やかな色彩で飾られるドラマは夏のどんな風物詩よりも感動的であるからである。
高田建築事務所と愉快な仲間とは誰ですか?と聞かれることがある。
愉快な仲間の第一人者は何と言っても個性あられる建築主の皆様である。弊社では地縁・血縁に因んで建築の築を取って築縁会を作っている。お客様を“築縁様”(ちくえんさま)と呼ばせて頂いている。皆様はご自分やご家族の個性とこだわりをとても大切にされている皆様であるからだ。
豊かな人間性・個性ある巣舞づくり!は弊社の経営理念でもある。ここで言う個性は築縁様の個性であることは言うまでもない!
(こちらの愉快な仲間との連携は長岡では2月の第一土曜・日曜日に開催される築縁会である。新潟の築縁会は七月である。こちらは後日書かせて頂くとして・・・・)
そして、愉快な仲間の第二人者は木族の会の皆様である。協力業者さんを“木族の会”と呼んでいる。貴族の会ではない。ナイトではナイと!力説しきりである。
元々タカモク(旧高田材木店)と言う土壌から生まれた高田建築事務所であるから木の族である。
新年を迎えて年中行事の第一番に開催されるのが会社スタッフの年頭会である。続いて木族の会の皆様との新年会が長岡・新潟営業所で日にち・会場を変えて開催さる。
長岡は1月14日に!新潟営業所は1月18日に開催終了した。
新年会は二部仕立て!私からは一年間の会社の方針とスタッフからは自部門の年間目標の発表である。そして木族の会の役員さんからの発表である。約3時間後に漸く第一部が終了する。そして、第二部の宴席に入る。
宴席に入る前に記念写真を撮ったりもしながら会を盛り上げていくのである。
一昨年はタカモク60周年・昨年は高田建築事務所35周年。そして今年は新潟営業所開設20周年である。記念イベントの準備も漸く始動し始めた。
1992年6月1日が開設日である。今年の6月9日(土)に20周年記念を計画中である。それの纏わる一連のイベントを開始したいと思っている。その節には是非ともお集まりいただきたい。
20周年の後は30周年に新たに向かう:Re Startである。20周年を振り返り:Rememberと正にRe project 30!である。
建築における設計から建設の完成まで多くの人々の手を借りなくてはならない。
建築主様の夢多き想いを基軸に設計スタッフにキャド・インテリアコーディネーター・工務・現場職人さん・協力業者さん達が舞うのである。
建築現場はそれらの想いが描かれて行く大キャンバスである。画家は様々な職人たちでもある。人と言う職人の手も借りるが同時に様々な道具たちの力にも頼らなければならない!
第三人者の愉快な仲間たちは、スタッフとそんな道具機械たちも含めて呼ばせてもらっている総称でもある。
愉快な仲間が機械(きかい)とは正に奇怪(きかい)な話でもあるが。
* 本日、登場してくれる愉快な仲間たちは人間ではなく、私たちを助けてくれる機械たちである。
弊社は建築事務所であり建築の設計から施工部門まで携わっている。繰り返しになるが高田建築事務所の前身はおやじが興した会社であり、その業種は材木店であった。
親父が材木店を昭和24年に開設してから長い間、山から木を伐り出して製材をする。それを大工さんや工務店さんに販売していたのである。開設当初は原木を製材所に運んで製材してもらっていたのである。その後自社で製材機械を持つようになった。現在の工場の周りは住宅地であるが、開設当初は周りは田圃であった。

山から木を伐り出す!冬には馬にそりを曳かせた!昭和30年代の高田材木店風景 周りは田圃 土場は原木満載
つまり、工場の土間は原木の山であった。原木丸太を注文書に従い必要な寸法に製材するのである。工場は製材機械のバンド帯鋸や丸鋸が設置されていた。
その後、高度成長が続く。モノの価格が高かった時代から人件費が高くなった時代の到来である。山から伐りだす材木は人件費が高騰し、結果として国内産から輸入材にシフトする時代となった。更に、人件費高騰に更なる拍車がかかり輸入品は原木としてではなく製材品として平角材が入ってくるようになった。もはや時代の流れを変えることが出来ない事であった。結果として林業は衰退して山が荒れ果てる結果となった。(この件については後日談として)
原木を製材する時代が終焉したのである。製材加工業からプレカット加工業への時代の幕開けである。機械も製材機械からプレカット加工機の導入に切り替える決断を迫られた。それまでは、大工さんが弊社の工場に来て墨付けをして加工は手加工であった。一軒を加工するのに一カ月近くもかかるから加工工場倉庫が4戸だった時代には生産性は月四棟であった。勿論それ以上の加工は大工さんの倉庫に運搬である。雪国の横架材は耐雪上大断面部材の材料である。持ち運びには大変苦労した。私も高校時代から運搬の手伝いをさせられたが横架材を持ち運ぶ仕事が一番つらかった。腰に負担がかかり今の腰痛の原因にもなっているのかもしれない程であった。
建築棟数は伸びていた時代であった。従前のままでは加工棟数が限られる。プレカット機械の導入決断には再三迫られた。しかし、その当時、長岡市内では導入されている工場はなかった。導入に反対する大工さん達の暗黙のパワーも避けることが出来なかった。一緒の目線で市外のプレカット工場視察に大工さん達と勉強に出かけた。
今まで、自分たちでやっていた手加工がプレカット機械によってどんどんこなされていく風景を見て今度は大工さんからのブーイングである。自分たちの仕事がなくなると言って反対し出したのである。
そこで大工さん達からの仕事を取り上げるのではなく、飽く迄も建築棟数を上げるための手段であることをご理解願うこととなった。その方策としてプレカット機械を無料でお貸しすることにしたのである。条件は現在の仕事を30%~50%スピードアップしてくれることである。
しかし、半自動のプレカット機械を使いこなすには容易ではない。一回は機械操作を習って加工したものの現場を完成させて帰ってくると教えてもらって覚えた操作を忘れてしまっている。何度も指導しても却って能率が上がらない。
ついに、大工さん達からも機械操作する専属の大工さんを置いた方がいいのではと、推薦された職人さんが専属になって今日に形が出来てきた。当初反対された機械導入を逆催促された格好になってしまった。
そして今日のような専属プレカット職人と連携が成り立ったのである。その後全自動の機械になったのである。1988年に導入であるから、その年齢も今年で24歳になる。
本日はその機械君たちの風景をご紹介したい。間違いなく高田建築事務所のパワーになってくれたのである。愉快な仲間たちである。

現在のプレカット工場 朝の朝礼は体操と「職場の教養」を輪読するところから始まる!
曳きヌカを更に細かくする粉塵機! 時々工場内に野鳥が監視にやってくる!

実際に加工中の風景

蟻仕口加工機械 自動に材料をセレクトして加工に入る!

鎌仕口機械

蟻加工場と鎌仕口加工機の全景を見渡す。

羽柄材加工機械

リプチの丘も雪ですっぽりと埋まった。門柱役の水門中もスノーヘアーに! リプチの森の公園のリプチの月も雪中!
* 新年になると来年度の新卒の皆様の就活が始まる。
弊社でも昨年末と今年の1月4日に新潟市にあるトキメッセで行われた合同企業説明会に参加した。2013年度入社の会社説明会であった。
そして本日1月15日は弊社単独の企業説明会が開催された。二回に分かれての説明会である。第一回目の本日は26名の参加があった。所要時間約2.5時間をオーバーしてしまった。会社側の説明者の話し時間は私以外は守ってくれたので私のオーバー分は挽回できたのであるが、参加学生との分科会的な座談会とアンケートを書く時間にも多くの時間が費やされたからでもあった。
外はかなり寒いのに小会議室は熱気であふれていた。我が社の説明会が学生諸君へのエールに変わっている自分がそこにいた。
私の話は:人類は居場所探しの旅人であること!居場所がないと人は生きていけない存在であることをお伝えしたかったのである。また、理想の建築を探して求めてほしい。更に若いうちから志を持ち自分のテーマを決めて探求し続けていくことを力説した。引き続き、会社の経営理念・社是のご紹介と続いた。
目に見えるのは本当に一部分であり、沢山の目に見えないことがとても重要であることをお伝えした。
「参加者諸君よ!日本の将来は君たちに掛かっている。輝ける未来に向かって頑張ってくれたまえ!」と。テーマを掲げ夢と希望を持ち続けてほしい。前途は決して暗くはなく、信じる者にしか見えない輝ける未来がある!ことを確りとお伝えしたかったのである。
それにしても建築を学ぶもの達全般に建築バカが少なくなってしまったような気がするのは私だけだろうか?ちょっとさみしい気がする。なんでも建築学科の希望第一が公務員らしい。
説明会後のアンケートでは“かなりの入社意欲が高まった!”と言う該当者が殆どで参加者のほぼ全員が第一次面接に進むというからこちらもびっくりである。
会社説明会では私からの企業理念の話を切りだしに常務からは会社の組織概要について、設計営業課長からは他社との仕事の仕方や内容について。そして11年・4年・1年先輩社員からの会社紹介が続く。
スタッフから見た会社の姿が披歴されるのである。そして、この時ほど感動せずに聴くことはできなかった。まるで社聴教室である。
スタッフ一人一人は高田建築事務所の立ち位置が他社と決定的に違うことを明確に発表してくれたのである。自由・個性・やりがい・評価・感動についてストレートに発表が続くのである。それが高田建築事務所の存在そのものであるからである。
スタッフの発表を聞いていて、今の時代ほど「塩が塩味をなくしたら何でその味を取り戻すことが出来るだろうか?捨てられて人に踏みつけられるだけである(バイブル)」
タカダの塩の味とは何か?命・DNAは正に若き世代に引き継がれていこうとしている。感動の極みである。
第二回目の会社説明会も2月15日に控えている。

トキメッセで行われた合同説明会風景 ニューオータニ長岡で開催された個別企業説明会とグループディスカッション!
* 真理はシンプル?(真理はあなたを自由にする!)
20120115:企業説明会場のニューオータニ長岡のエントランスホール前でG大工さんにばったり出会った。正に20数年ぶりである。
元気していたか?同行者は誰だ?スタッフか?息子か?と質問の連発!こちらも切りだす。
赤ら顔をしていたので、“今日は目出度いことありましたか?”“いや~そんなことでは無い”と言ったすぐ横に奥様が現れた。“娘の縁談の話でちょっと!”“おめでとうございます!”と話は続く。
G大工さんは普段お酒は飲まないと言った。私の記憶しているGさんはかなりの酒豪家であったはず。なのに、今は飲まないと言う。病気でもされたのかもしれないと思い。“どこか具合が悪かったですか?”と聞くと、全然!大丈夫!病気一つしていないと言うのである。
私もいつかお酒をやめたいと思っている自分がいるので、どうしてお酒をやめたのか?是非とも聞きたい自分を止めなかったのである。
だからもう一度聞いた?「どうしてお酒をやめたのですか?」間髪を入れず、「飲まなくなったから!」えっ?ごくごくあたりまえの答えではないか?余りにもダイレクトにシンプルであったからその先に質問が出なかった。この回答は長い間、暗中模索のトンネルの中にいた自分にフラッシュに近い光が飛び込んできたような気がした。
そうか?どうしてお酒をやめたのか?飲まなければいいだけ!自分に言い聞かせよう。聴いてくれるかどうかは心配だが一理は千理でもある。
想い出した。それは幼き日の赤城神社の境内である。お祭りの日には境内に設置されている相撲を取る土俵が積まれていた。小学校の低学年だったと思うが土俵に上がった私を大声で声援を送ってくれたのであった。「ほら、タローがんばれー!がんばれータロー!残った残った」そしてついに優勝したのだ。G大工さんは素朴さの中にも親分肌気質を持っておられた。今でも忘れられない声援であった。
* もう一つ想い出した。私がたばこをやめる時の話である。
そもそもいつタバコを吸い始めたのか?記憶では大学の2年生の末であった。新小岩で下宿をしていた時である。アパートの某住人がハワイから手紙が来たので英語を訳してほしいと言う依頼であった。私は辞書を調べながら訳文をお届けした。すると夜に、御礼だと言うのでショートホープを二箱届けに来られた。私はたばこは吸わないので!とお返ししようとしたが、それではお友達にでもやってください。と最後まで食い下がられた。
しかたなく受け取って鴨居の上に置いた。何時か誰かにやろうと。そして、長い間忘れていたのである。設計課題も重なりハードな提出を終了して横になってふっと天井を見ると鴨居にタバコがあるのに気が付く。どんな味がするのか?吸ってみることにした。最初はスーッと喉を通ったがしばらくしてむせてしまった。今から思うとニコチン度の強いたばこであった。それから徐々に吸うようになった。吸う度にゲーゲーとなり、決して私には合わないことは分かっていたのであるが、中々今度はやめられない。図面を描くときには常に煙がないと落ち着かない。ドラフターの脇には灰皿が煙を立てていた。吸わないとイライラしてくる。そして吸ってもイライラしてしまう。
どうにかやめようと挑戦するが中々できない。やめようやめようと思えば思うほどできないのであった。
ある時にやめようと言う意識を変えることにした。「いつでも吸える!」ではないか?
と思った途端に休憩することが出来た。休憩が続いて結果としてやめることが出来た。
G大工さんのひとこと「どうしてやめることが出来たか?」の質問。「飲まなければいいだけ」と言う答えは何とも小気味よい響きであった。
かくも明解な説明を企業説明会で行えれば良かったのである。
* 誕生4:新校舎完成!
我が母校宮内中学校が新しくなった。昨年来工事中だった新校舎が完成である。グランドオープンに先駆けてプレオープンである。本日(1/9)お披露目であった。4つの小学校区ごとのタイムラグでの見学である。私たち家族も出かけてきた。
古い校舎が取り壊されるに当たり各年毎に同級会を開いたりしながら懐かしんだのが昨年であった。その校舎は私どもが中学に入学した年に建設されたばかりであった。古い木造校舎と併設していたことを想い出す。その3年時・昭和39年に新潟地震がやってきた。新校舎の至る所の壁にひびが入ったことを避難しながら目の当たりにしたのである。
全員で校舎の南側グランドに出て揺れの治まるのを待ったのも昨日の如し!平成24年開校の新校舎はその南側グランドの敷地に建設された。新校舎に移動した後に旧校舎の解体が始まると言う。
見学会には大変大勢の皆様がこぞって来ておられた。顔見知りの方々が多いのは当然であるが同級生も多く来ており話に花が咲いた。
とても豪勢に作られていたエントランスホールは大吹き抜け空間に階段や空中廊下が交錯しながら視界が一望できる仕組みである。中学校校舎と言うよりもコンベンションホールに近いものがあった。これも、話を聞けば災害時緊急避難場となるべく要求があっての空間であると言う。
それにしても外グランドとの繋がりの大庇は少々学舎としてはミニタリー調ではないかと言われる批判は甘受しなければならないかもしれない。
屋根構造は格子梁になっており、そのモチーフは宮内中学校の校章をデフォルメしたもので各教室の収納棚まで徹底していた。
加えてライトコートも屋外運動場との接続大庇もとてもダイナミックで訪問者をして刺激して止まないことだろう。
サー勉学する環境は整った。子供たちや孫たちに大いに若き日に学舎を楽しんでほしいし、確りと学んでほしいと切に祈念するものである。

中越地震での教訓を活かして、災害時の避難所機能を充実させた。災害時でも迅速に教育活動を再開するため、避難エリアと教育エリアを分けている。

エントランスホールに張り出した図書室 体育館の梁構造は校章をモチーフに! 校章モチーフは衝立役の収納にも!
* 誕生5:初釜
年が開けるとすべてが新しくなる。一年の誕生である。
初釜もその年にお茶練習の誕生である。滝沢先生のおもてなしは何時もとても感動である。
最初に通された4畳半小間の床の間は例年の様な蓬莱飾りではなかった。一瞬ハッとした。ふくさの上に置かれた香合に目が吸い付いた。香合は小さいがとても大きく見え、ひと際存在感を醸し出していた。志野焼きである。作者は人間国宝の荒川豊蔵さんと聞いた。
花入れは刀のさやの様な形をしていた。そのそり具合と言い表情は正に手作り感、とても語りかけるものがあった。4代目真清水徹さん作:青薬唐津掛け花(せいやくからつかけはな)である。
小間では濃茶を頂きしばしの語り合い。
席を8畳の広間に移動し最初にお軸を見る。床脇の竹製の花入れが横から力強く迫ってくる。淡々斎作だと聞いた。
また、点前位置に置かれた水差し(作者不明:小石原窯でできたもの)のデザインになお一層強烈に目を奪われるのであった。
広間では薄茶を頂きながら茶室のつくりから、先生が自分で焼かれたお茶碗談義へと話も尽きない。
日本文化が作り抱いた茶の世界がゆったりと後世まで伝えられることを祈念したいと思った一瞬でもあった。
* 今年も様々な出会いと素敵な発想が生まれますように!
* 誕生1:私たち夫婦にとって2番目の孫誕生!
新年早々8日にわが長男夫婦に赤ちゃんが誕生した。私ども夫婦にとっては家族に二人目の孫である。新春に新しいメンバーが加わった。女の子である。直ぐにでも飛んで行きたかったのであるが夫々が予定を抱えており新潟市まで往復で2時間はかかる。詰まった予定の10:00までだと無理に近いので一旦電話で祝杯を挙げさせてもらうこととした。
1月8日(日)は午後一から初釜:釜開きが予定されていた。不肖私めが初釜では初めての正客役を仰せつかっていたので孫の顔を見に行くのは、こちらの用事を足して夕方にゆっくりと出かけることとした。
夕方17:00頃の長岡から新潟方面に向かう関越高速道路の気温表示は1度であった。空気は張りつめ空は冴えていた。きりりとした空には朧月夜ながらも満月である。
昔の人の言い伝えには満月に赤ちゃんが生まれ易いと同乗している大おばあちゃんと大おじいちゃんの言葉である。丁度その満月の日に生まれたのだ。潮の満ち引きに関係しているのだろうか?
逸る心を抑えながら安全運転でクリニックに到着する。
名前はまだ決まっていないので仮にSmile(すまいるちゃん)と名付けておくとする。
予定日が1月6日であったが、二日遅れの8日6:50に誕生した。新しくお母さんとなったお嫁さんのお母さんからの第一報は朝の7時過ぎである。そして、現場クリニックに到着すると、クリニックは満床で出産後半日近くも予備室に母子ともに置かれ私たちが到着する1時間前に漸く4人部屋に入ることが出来たとの報告があった。
少子高齢化の時代、赤ちゃんで満床とは何ともほほえましい風景でもあった。
私どもの後を追うようにお祝いに駆けつけてくれた次女夫婦から、今朝7:00丁度に夢を見たと言うのである。我が家の座敷続きの間に置かれたテーブルの上に青いきれいな鳥が停まり、雛を産んだと言うのである。そのことを娘が旦那に話したそうである。そのすぐ後で出産の吉報が届いたと言うのであるから私の頭の中は「夢知らせは現在、必死になって探しているブラックマター・ブラックエネルギーであるヒッグス粒子の存在裏付けるのではないか」といい加減に符合させてしまっている自分が可笑しい!
昔から出産は小さく産んで大きく育てるのが理想とされているがSmile(すまいるちゃん)の体重は3185gと平均的な数字であった。
母子ともに健康であったことは何よりも嬉しいことであった。Smile(すまいるちゃん)も生まれるなり検査される身長体重計測の時にはとても元気に手足を動かしているので計測自体に一苦労したと言う。クリニックの先生からは骨格が確りとしておるとのことであった。
頭は生まれた時の特徴であるロケットの様にとがっている。
大おばあちゃんのコメントは確りとした顔つきをしている。昔は手を握って生まれてきたが現在では手を広げて生まれてくる。赤ちゃんの顔はこれから百変化する。家族みんなの顔に変幻しながら自分の顔に到達するのである。
父親似の二番目の孫の変幻が楽しみだ! 一番目の孫は奈々ちゃん:4歳である。いつもジーと笑い比べをしている!
大人になったら自分の顔に責任を持てと言う。それまでは赤ちゃんであり、子供である。と!
そして、名前が命名されてこの社会で一人の人格を付与せられるのである。長き人生の出発を心から祝うものである。
Smile(すまいるちゃん)の誕生は平成24年!私の誕生は昭和24年!親を差置いてジーは何を言うものぞ!と思われそうであるが、まずはジーと孫の共通数字である。Smileコードである。ひとりにんまり!
* 誕生2:元旦礼拝!
「はじめに言葉ありき」すべては言葉を持ってはじまる。
今年の元旦は1日であった。一年の誕生・出発である。この日には雪ん子ペンギン教会でも元旦礼拝が行われる。まさに一年の最初の日である。
古きを脱ぎ捨て新しき年を迎えたのである。新しい葡萄酒は新しい皮袋に!感謝と喜びと祈りの年であることを祈るのである。
* 誕生3:要約することが大変難しいということを漸く気が付いた。
当社のことが紹介された。(20120108 毎日新聞朝刊の新潟版:にいがた人模様欄に掲載)
年末に毎日新聞社が我が社を取材に来た。今回は個人紹介なので建築家としての私の紹介だと言うのである。
出会いはクリスマスイブ礼拝に記者の宮地佳那子さんが顔を出したことからであった。何時も長岡市にある裁判所に仕事で来ると目の前にある“ゆきんこペンギン教会”が気になっていたという。それで礼拝が終了した後に顔を出したところから始まった。
一人の人、一つの企業を紹介するのにはどのくらいの紙面がいるだろうか?短くも的確に情報をキャッチし凝縮させて書くことがプロ中のプロの仕事でもある。
毎年12月中旬に、一年を通して時代の世相を一文字漢字で表現しようという行事がある。全国からたくさんの応募がある。日本を代表する寺「清水寺」の森清範貫主に大きく揮毫していただく行事が昨年も行われた。2011年は「絆」であった。大震災・大津波を通して日本中の国民が一丸となって復興に向かおういう固い絆である。一人で生きているのではない。支え支えられる私たちの存在はまさに絆的存在でもある。
一年を一文字で表すことのむずかしさをやってのけるのであるから素晴らしい。本来こうありたいものである。
この度の毎日新聞社取材で私の言葉足らずで伝わりにくい部分もあったので少々修正と付け加えさせていただけるとありがたい。
冒頭に「何かをするときにはバカがいないと駄目、会社でもバカが育ってきて嬉しい」なる文は
最初のバカは:さめた目で第三人称として物事を見るのではなく第一人称として物事にぶつかって行く姿である。そして続くバカは私たちの職分としての建築バカのことである。建築にロマンを持ち続ける。建築デザインを考えている時に計算して力の出し惜しみをするのではなく、あるエネルギーを精一杯使いこなすことを言っているのである。
次に「自らを新潟大学大学院の非常識講師と称す」と書かれていたところは、桂文鎮さんが関西大学の非常勤講師をすることになった時にテレビニュースが流れた。その中でニュースキャスターが、「本日より非常識講師に着任されました桂文鎮さんが・・・」と言うコメントを流したことを言われていましたと言う報告とあやかりたいと思ったことの重ねである。
「いい加減に考えている方がアイディアが湧く」は人間の思考は固く考えると拡がらない。むしろ必要に応じてはルーズにしておく必要がある。机に向かって考えている時だけが良き案が出るとは限らない。むしろ何気ない思考の時に出てくるのである。良き案は三上(鞍上・枕上・厠上)から生まれるともいう。我が社では建築する時に家族の想いを紙に書いてもらう。なんでも書いていいから放題紙の活用である。言いたい放題。思いたい放題。書きたい放題は良きアイディアの宝庫である。
過去において断熱材・50mmと100mmの時の温度差について某テレビ局から取材されたことがある。その時もちょっとニュアンスが違って放映されてしまった。
短時間に少ない紙面で対応することこそ無理かもしれないが、食い違いは直しておく必要がある。
*今年も様々な出会いと素敵な発想が生まれますように!
元旦礼拝に浜松から里帰りした真野さんが手製のフルートで演奏してくれた。
アメージンググレースの響きはとても素敵であった。夏休みも楽しみにしています。
* 20111223:聯合艦隊司令長官:山本五十六が公開された。全国300か所以上で同時公開だと言う。私たち夫婦も待ちに待ったこの映画を初日23日の午後から観ることが出来た。地元長岡シネマ館では封切り最初の上映には多くの方が朝早くから並んだとも聞いた。
私たちの午前中は今年最後のお茶の習いごとであった。久しぶりに炉の薄茶点前をさせて頂いた。又おいしいお茶もいただき精神もピッシと高揚しているところでの映画鑑賞であった。
山本五十六長官は私たちの郷土長岡が生んだ英傑である。映画の中でも長官の部屋に掲げられ、たびたび出てくる「常在戦場」は長岡藩家老河井継之助の言葉であり心であった。
河井継之助は「常在戦場」を掲げて戊辰戦役を戦い抜いた。結果は敗戦であったが、その心は末裔に伝えられている。私にとってはどういうわけか「いざ鎌倉!」と似た響きがあり忠誠心をベースに未来を展望する力と危機管理能力が秘められている。
映画の中では同じく長岡藩の大参事小林虎三郎の「米百俵」の精神も取り出され長岡人精神を立体的に語って見せてくれていた。
私自身は河井継之助を司馬遼太郎の小説で知り、小林虎三郎の米百俵の精神は山本有三の戯曲によって知らされたのに対して山本五十六長官は小さい時から耳によって聞きなれた言葉であった。
親世代たちが敬愛していた山本五十六なる人物像が子世代の私たちに自然と移入されてきたのであろう。
アメリカ映画の「パールハーバー」(2001年制作)と比べることは日本の武器能力とアメリカの武器をはじめとした戦争能力とを比べることに等しい差があるが。
映画「山本五十六」は戦闘シーン等のスケール感では映画「パールハーバー」にかなわないものの戦争の真実を伝える内容では大きく勝っていた。映画「パールハーバー」がロマンスを取り入れた娯楽映画であり戦争を正当化して煽ることを主眼にしておりるのに対して、映画「人間・山本五十六」は絶対戦争をしてはいけない。戦争回避に身体を張ってを食い止めようとしたその想いのスケールでは遥かに勝るものがあった。
何とか戦争を回避したい・戦争推進派の陸軍とメディアに対して何度も何度も戦争反対の立場をとるがついに海軍内部でも抗しきれなくなる。戦争反対の山本五十六長官も一度決戦となれば腹をくくる。国を守るに迷はない。勝たねばならない。しかし、軍事力の大きな差から長期戦では勝てぬことは自明の理。
シナリオでは緒戦で一気呵成に奇襲を仕掛け大被害を与えて戦局を有利へと導く。その後直ぐに講和に持ち込むことにあった。
日露戦争に参戦していた山本五十六は日本の軍事力が底をつき始めてきたときに日本軍が旅順を落とし奉天の戦いで勝利しバルチック艦隊に大勝利したことで有利な立場に置きロシアとの講和条約締結に至らせることが出来たことを知っていた。
大山巌・小玉源太郎がとった日本の勝利シナリオである。戦闘が長引けば日本は必ず負けることが火を見るよりも明らかであった。
日本の軍事力はロシアもアメリカも日本の比ではない。
山本五十六長官は軍人の大きな責務・使命の一つに始めた戦争を如何に早く終結するかにあった。日露戦争を終結させたシナリオをこの太平洋戦争でも適用しようとしていた。
・戦闘は情報戦争でもある。
日本からの開戦通知が不手際で奇襲開始後30分後に漸く届いたのである。映画の中で山本は言う:日本の侍魂は闇夜に後ろからいきなり切りつけることを潔しとしない。再三にわたって部下に対して事前に宣戦布告をしているかを確認する。奇襲直前にも抜かりの無いように打診したが結果としては山本長官の意が届かなかった。この時点で長官自身の中には負け戦に写ったのであろうか?どんなことにも義がなければ戦えない。そう考えるのが日本の侍であり、日本魂である。
実際には真珠湾攻撃が行われる情報は開戦よりもかなり早いうちにアメリカ情報部ではキャッチしていたと聞いた。
情報は筒抜け。その証拠に敵戦艦空母が一隻も湾内には認められなかった。まんまと戦争の仕掛け国に仕立て上げられたのでもあった。アメリカのシナリオに乗って戦争に突入とか?
奇襲を受けたとなってはアメリカ人の愛国感情に火がつく。
眠れる虎を起してしまったと同じことになる。
この映画の中では日本の新聞等のメディアが戦争へと煽り立てる部分が沢山あり、戦況を現実状況をわが軍にとって有利なように歪曲して間違った情報で国民を煽り立てるのである。
新聞社の一人に山本は何度も繰り返して言って聞かせるのである。『目も、耳も、心も、大きく開いて世界を見なさい』。非常にシンプルだけに言葉には持つ力がある。
そうすれば最初から戦争はしなかっただろう。と!
山本五十六自身も前線基地視察を通して士気を高めようと飛行機で出かけるのであるが、ここでも長官の行動情報が筒抜けでもあった。結果、目的地寸前でソロモン諸島の空で撃墜されてしまった。
山本五十六の故郷、長岡も空襲を受け1476名の方々の尊い命を失った。日本全体では200万人とも300万人とも言われている次第である。
戦争は負ければ地獄、勝っても尊い人命や大きな被災を受けることになる。絶対に避けなければならないもののひとつである。この映画はそのことを伝えると言う一念が貫かれていた。
ここでも「隠れているもので明るみに出ないものはない!(バイブル)」のとおりである。
繰り返すが、70年目の真実とサブタイトルされたこの映画をみて戦争を始めたと言われていた山本五十六長官が実は身体を張って戦争反対者であったことを知らしめたのである。『目も、耳も、心も、大きく開いて世界を見なさい』と言った人は、ことを始めればどうなるかを最初から知っていたのである。そのことを多くの人に知ってもらいたい映画の主旨である。
* 人間:山本五十六語録に
「やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず。」
「男は天下を動かし、女はその男を動かす。」
「苦しいこともあるだろう。云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。これをじっと、堪えてゆくのが男の修行である。」
「人は神ではない。誤りをするというところに人間味がある。」
映画の中でも戦争に断固反対するが、同時に間違った人間を結果で攻めることはない。
忍耐?寛容?
愛国心を表するに戦争をもってやる人もあり、戦争を避けることを通して表する人もいる。そして後者はとても少数である。
2.5時間と言う超大作である。なのにまだまだ伝えきれない不完全燃焼を覚えてしまったのは私だけだろうか?続編傑作を一人期待したい。
* 20110930:上映に先立ち約3か月前に東映制作になる聯合艦隊司令長官:山本五十六――太平洋戦争70年目の真実!感謝の夕べにお招きいただいた。
長岡市と長岡商工会議所が中心になって応援しており森副県知事・森市長はじめ全地方メディア関係者含めて300名ほどの方がご招待受けた。地元の英雄を映画化すると言うので大変な盛り上がりであった。長岡グランドホテルの大会場は満員であった。
市長の挨拶の中に「真珠湾攻撃に指揮を執った山本五十六長官は長岡市出身!ハワイとの友好関係を結ぶにあたって当初は引くものがあった」と言う!
しかし、アメリカ側からの挨拶の中で、「山本五十六は素晴らしい尊敬できる軍人である。戦争を回避しようと一心不乱に取り組んでいた。しかし一度、戦争が始まれば最後まで軍人としての務めを全うする。今度はどうしたら勝利できるかを考える。後ろを見ない。これが軍人の姿。アメリカの軍人も皆そうだ。愛国心を持つ軍人は日米の別はない。だからアメリカではクーデターは起こらない国である」とも紹介された。心にしみる言葉であった。
当時作品の出来は60%で12月23日全国一斉 封切予定のご案内があった。
山本五十六役の役所広司とパイロット役者の五十嵐隼士そして監督の成島出氏がご挨拶された。
スクリーンではいつも大柄に見える役所さんもステージに上がるとそんなに大柄には見えなかったのが印象的であった。しかし、12月23日の役所さんはとてつもなく大きかった。
余談であるが、制作会社の東映から「男たちの大和では興業成績は52億円だったそうであったが、五十六さんちなんで56億円を目指す」とも!



常在戦場:山本五十六演ずるは役所広司・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そして本者の五十六さん!
この映画は3.11の大津波から二か月後のクランクインだったと聞く。スタッフたちの決意はその出来事と重ねて作り込んだとも言われていた。それだけに大作である。正月映画一押しである。まだ見ていない人は是非とも見て頂きたい映画の一本である。
最後のスクリーンは太平洋戦争の焦土と化した東京が映し出される。何故かこの度の津波被災地の風景と重なったのは偶然だったのだろうか?
立ち上がれ日本!再度立ち上がる日本をイメージさせる映像でもあった。
*今年も、拙い私のブログにお付き合いいただきありがとうございました。
・今年は災害の年でした。
大津波では行方不明者含めて2万人という尊い命が失われました。
原発事故では神話が崩れたといいました。神話が崩れたらどうなるのだろう?
人間が生きていくうえでなければならない「居場所」がなくなってしまってはどうしたらいいのだろうか?
未曾有の自然災害だと思ったら(+)人災部分もどんどん明るみに出てきました。
「絆」の大切さを学びながらも、まだまだ復旧と言っていた現地からの電話に心が痛みます。
ただただ、一日も早い復興と平安を祈念するものであります!
*来る年こそ良き年でありますように!

長岡本社では27日に!新潟営業所では28日に鴨汁を作って来年の元気を!
* 12月16日朝:雨から雪に変わった。
雪国に雪が降るのは当然のことであるが、建築工事現場は外仕事!そんな私たちにとっては一日も遅い雪は大変なご馳走である。
12月に9軒の上棟がある。そのうちの一軒がサポートセンター川崎である。東棟・西棟・北棟と続けて建て方をして上棟式を12月13日と工程組していた。天気予報では雨と曇りのまだら模様、一進一退であった。
しかし、雪が降らなければ大丈夫!いやいやむしろ雨よりも雪がいいと言う人もおいでであるから様々である。「雪も天気の内!」と言うから何故か安心?
上棟日は曇りであり時折見せるお日様は近所の多くの人々を餅まきに誘ってくれた。

翌14日は快晴に近い天気になった。この日に屋根板金工事とFRP防水の下塗りが終了した。これで大きな雨漏り処理は完了したことになる。3月引き渡しまでの短期間工程の中ではとてもタイムリーな天気周りになってくれた。空に向かっても感謝の一言である。
「東山に3回白いものが降りてくると里にも雪が来る!」昔から地元長岡の言い伝えである。そして今年もこの言い伝えは健在であった。3回目の山頂の雪帽子がキチンと里雪を連れてきた。
降り出したら止まらない。一気に20cmである。例外はあるものの一般的には年内根雪にならなければその冬の雪は大したことがないとも言われている。

雪が降る前にしなければならないことがたくさんある。樹木冬囲いである。窓周りの雪囲い板の設置である。
そして消雪パイプの掃除と点検と井戸水とポンプの調子の点検でもある。道路であれば関係者が集まって11月後半からチェックがなされる。
沢庵漬けの大根干し早めに終えなければならない。

今年の積雪を予測する酒井興喜夫博士によればはやり大雪の模様である。カマキリ博士とも呼ばれる酒井博士はカマキリの卵の産みつける地上からの高さで積雪を占うのである。とても科学的な裏付けには驚愕である。
雪は一瞬にして大地を純白にしてくれる。汚れたものを清めてくれる精神的効用もある。
ただ困るのは私の朝の散歩である。雪道では中々歩が進まない。そして何よりもエネルギーが要るのである。20cmではそれ程でもないが50cm以上になると少々堪える。腰痛持ちの私にはさらに堪える。2月になれば凍み渡と言う喜びもあるものの。
それでも山に降った冬風景は水墨画的で精神を穏やかにしてくれる。
若い時はウィンタースポーツで楽しみと相殺されるが、少々年が行くとアンバランスになる。
こんな風に書き出していると、かつて書いたことのある寄稿文があることに気が付いた。
OM機関誌の1995年5月バージョンに寄せた「克雪・和雪・利雪」の文を添付させてもらうこととする。
ゆ~きやコンコ、あられやコンコ。降っても降ってもまだ降りやまず?アー忘れてしまった。
* 「ギャラリー青山:高田建築事務所」にて開催された。
年に3回の開催である。4月・8月・12月の第一水曜日に開催されている。最近は12月7日であった。社内啓蒙会であり、会社の活性化を目論んでの開催でもある。
今回の当番は工務である。現場監督の皆さんが作る啓蒙活動のタイトルは「D1グランプリ」D1のDはDetailディテール(詳細納まり)のDである。一年間かけて現場で監督の皆さんが作り上げてきた納まりを競技しようと言うものである。
ディテールに神は宿ると言われるくらいだから、とても大切な仕事の一つである。
強く、機能を発揮しながらも美しくなければならない。正に強・用・美の追求である。
K監督はディテールを発表するに当たり、2つのテーマを持ってD1グランプリの望んだと言っていた。
そのテーマの一つは「長いものを作るに如何に部材を一本で作るか」そして、もう一つは「見える部材を出来るだけ少なく、最大限に減らすこと」の二つであった。
単にシンプルにおさめるだけが良いわけでもないが、それでもすっきり納まりはそれなりの説得力を持つことも否めない。
茶道の先生から教わった言葉に「重いものは軽く・軽いものは重く扱いなさい」と!水差のような重いものは軽やかに、そして、茶杓のような軽いものは重々しく扱うものだと!
どうしてなのかは定かではないがディテールを考える時いつもこの言葉がやってくる。ディテールの面白味の真骨頂かも知れない。
イメージしたものをどのように作り込んでいくか?デザインされた同じ図面を渡されても監督によって作り方が変わり表情を変えることも多々ある。
設計スタッフはプランニングやエレベーションを考えるには知恵を出しアイディアを沢山出すのは当たり前と言えば当たり前である。設計部でつくり上げられた個性ある図面を現場で作り上げていく監督達も毎回新しい技術を加えながら挑戦して行くのが楽しみの一つでもあるが。
そんな苦しみながらも楽しみながらつくりだしたディテールを皆の前で発表するのであるから自ずから力が入る。
発表作品は全17点であった。短時間で終わるだろうと思っていたが発表と質疑・評価意見のやり取りに結構な時間がかかってしまった。私の講話を半分に切り上げてグランプリレースにのめり込んでいった。
また、D1グランプリは一か月前の提案であった。そのための資料準備が出来なかったので今回は表彰を無にしてくれと言うスタッフの意見を尊重することにした。その分、来年のD1グランプリが楽しみである。
D1グランプリに引き続きフォットコンテストが行われた。
こちらの方は自慢のフォットを持ち寄って参加スタッフ全員で投票するのである。スタッフ自身の評価で点数をつけるのであるから楽しさ倍増である。
出品は全149作品に上った。余りにも多く参加作品があったので第一次チェックは事前に工務でセレクトすることにしたらしい。最終は28点(何で30点でないかは定かではない?)のエントリーから選んでおくのである。
本番では28作品に付けられたタイトルと写真を確りと記憶に残しながらの投票である。
出展作品の条件は「人が必ず写っている事」人が入っていなく風景だけでは失格である。現場でも事務所でも日常風景でも感動を呼ぶ写真を応募して欲しいと前案内であった。こちらも、とても楽しい会になった。
その後:割烹“新喜屋さん”にて社内忘年会で表彰式である。表彰された人は忘年会でのお酒の酔いに表彰の酔いを二重に楽しむことになる。こちらも大変盛り上がった。
以下エントリー1~28のタイトルが面白いので記してみた。
エントリーNo. タイトル
1 あついまなざし~僕のおうちがんばってつくってね!
2 アルビレックス高田
3 お母さんに見つかる前に
4 クロスの神様
5 これから何が始まる?
6 シャイなあいつ
7 すみ餅の扱い方
8 その時雨が止み天神囃子
9 ちょうな掛け
10 ベテラン
11 ぼーっとしたい場所
12 もう一杯いく?
13 やさしい目
14 ライト中段ホーーーームラン
15 わたしの宝箱
16 液晶で日焼け
17 建舞日和
18 住まいに流れる空間のメロディーですね♪
19 小さなTakadaふぁん(たまごにて)
20 小さな職人
21 大きな職人
22 神よ、我に力を~
23 神社の境内で何事だ?
24 早くも
25 働く男の背中
26 静で熱い最前線
27 幼いで押さないで、僕も大きくなったら、けんちくしになるぞ~
28 嵐の前

一度会風景:社内啓蒙会 工務部の発表:D1グランプリ フォットコンテスト表彰式シーン

忘年会では様々な余興が!腕相撲はきつい! 皆さん屈伸は完璧? 一気飲み:こちらのほうが良いわい!
* いよいよ冬将軍を迎える季節になった。将軍様をお迎えするのであるから準備は念入りに!準備OK?
「雪囲い(ゆきがこい)とは、日本の北海道、東北地方の日本海側、北陸地方のような 豪雪地帯で、冬の間、家屋などの建物を囲う … わらなどで囲み、雪の重みを他方向に そらすような工夫を行うこと、またその囲みのことも雪囲いと呼んだり」とウィキペデアには書かれていた。
「冬囲い」ともいう。文字のまま読めば「冬を囲う」のであるから厳しい冬を囲み込み温かさを維持しようとしているのだろうか?自分を巻いているように錯覚しているだけなのかもしれない。実は自分の身の回りをまくことで冬を囲うことである。(チンプンカンプン?)
* 社聴熟第二講が開催された。
今回のテーマは「Prdigal son:プロディガルサン:放蕩息子」である。
私が高校二年の時に使用されていた英語の教科書リーダースの中に取り上げられていた物語に出会ったことについてである。
私は教科書の中に何が書かれていたかなどあまり気にしないタイプであったのであるが、この放蕩息子だけはずーっと長い間気になった箇所である。後にその箇所がバイブルの中から取り上げられたことを分かった。
そもそも「放蕩息子とは?」ドラ息子である。自分の思うままに振舞うこと、やるべきことをやらないで飲食や遊びに現を抜かすこと!
話はこうだ!
ルカによる福音書からその箇所をそのまま転写することとする:その物語を読んで皆さんがどのように感じ、どのように考えたか?それを社長が聴くのである。それがテーマである。
* 15:11 また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。
15:12 ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。
15:13 それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。
15:14 何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。
15:15 そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。
15:16 彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。
15:17 そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。
15:18 立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。
15:19 もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。
15:20 そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。
15:21 むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。
15:22 しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。
15:23 また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。
15:24 このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。
15:25 ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、
15:26 ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。
15:27 僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。
15:28 兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、
15:29 兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。
15:30 それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。
15:31 すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。
15:32 しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。
* 参加者スタッフ夫々から輪読してもらい。そのあとに感じたことを話してもらう。様々な見方考え方があることを体験する。
登場人物の三者の立場(お父さん・兄・弟)に立って考えてもらう。そして意見を言ってもらう。
父は「死んでいたと思ったのに生き返った=大喜び=祝宴」
弟は「放蕩を懺悔してよくぞ我慢して戻ってこれたものだ?」意地があれば帰らない・帰れない。
兄は怒っているが、本心では“いなかったのが見つかったのだから喜ぶのはお父さんと同じなのではないか?”
因果応報の価値観の世界では理不尽な御父さんの対応:むしろ不平等!兄貴の気持ちが分かる?
兄の本心は弟と同じことをしたかった?しかし、自分のモラルが許さなかった?行動は別であったが本性は同じではないか?
自分も3人の子供の親である。我儘弟を素直に受け入れることはできない。本心はそこにあっても近づけない?
何故お父さんと話す前に兄貴と話してネゴシエイションしなかったのか?それはかなり難しくても?
お父さんの姿は岸壁の母?遠くにいる内に弟が返ってくるのを見つけた。毎日待っていたのである。
財産を分けた段階で二分したのであるから使い方は自由のはず。経験したことは自分の為になったのではないか?
その昔、お父さんはそれよりも何倍も同じような経験をしたから弟を許せた?そして、たくましくなってほしいと思っている?
弟は又同じことをするのではないだろうか?もしそうだとしたら何回まで許してくれるのだろうか?
兄貴は真面目・弟は不真面目!と一刀両断には出来ない。しかし弟の生き方も魅力がある?
気付く:本心に立ち返る:罪を悔い改める:許される?
・・・・そのほかにも沢山の意見が出た。
あえてその時代の背景や情景を説明しなかったので余計に意見は自分の心を映し出すこととなった。
* もともとはイエスさんの前後の言葉を知っていると分かり易いかもしれない。
「健康な人には医者は入らない。必要なのは病人である!」
「私が来たのは義人を招くためではなく、罪びとを招くためである」
当時、律法を厳格に守っていたパリサイ人と罪びととされて蔑まされていた取税人・遊女を取り上げての喩話であった。兄貴はパリサイ人(時に偽善者呼ばれる)。弟は罪びとの象徴として話された。神を父に喩えられたのである。
この部分は現在、佳境に入った新潟日報に連載されている五木寛之氏の親鸞と重ね合わせると分かり易いかもしれない。
悪人正機説である。 「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」 という一節 が歎異抄に出ている。
話を戻して、
社聴熟で発表された意見に自分と重ね合わせてもらって自分では考えていなかった他者の発言にどの位共感したか?質問は続く!そして答えは:ほとんどが共感したと手を上げる。
世の中には様々な尺度があるが、分かり易い尺度・わかりにくい尺度・異星人の様な尺度・尺度だとさえ分からない尺度の存在とさまざまである。
普段は建築行為を通して共通のグループ活動・共同作業をしているのである。一丸となって創作作業を進めている様であるが実は様々なことを思案しながら参加していることを確認するのである。
グループは全員同じことを考えている様であるが、実はそうではない。むしろ、全く違ったことを考えているのである。その違いを確認して更に昇華させることが出来ると作品作りがなお一段とスキルアップすることになる。
思考の違いは何故だろう?育った環境が違い、観てきた風景が違うからである。ビックリするくらいに感じ方は百花繚乱である。
ここでの訓練の目的はどうしたらチームワークを強力にすることが出来るかの入り口である。
私は聴く立場にいる。そして出てきた意見をさらに質問しコラボさせていくのである。
テーマが普段考えたことのないプロディガルサンでは価値観の違いは大きく離れてくる。相手にとって当たり前のことが自分には全然違っているのである。
勿論、この訓練テーマは毎日仕事の中に出てくる具体的な話題でもいいのであるが、情景が決まってしまって答えが見え隠れしてすぐにでも出てきそうである。
しかし、課題が日常とは違うことであるから一気にその人の考えている根っこの部分までさかのぼって出てくるのである。
目に見える花の違いは実は目に見えないこの根っこの部分の差であるからだ。
そして、その差をお互いを共有することが出来るようになってくれることを望むのである。相手の目線を知り、敬意を表することが出来るようになってくれればもっと良い。
チームワークは相手を尊敬できるところから出発することで実を結ぶのである。
種が違えば花の形は変わってくる。想いが違えば形が違ってくる。
様々な手と様々な想いが重なり合って、建築主様の個性を大切にしながら同一のキャンバスの上に作品を作ることが私たちの仕事でもある。
クライアントも意見百出の個性をお持ちである。そのことを確りと理解することが私たちの仕事の初めである。
さて次のテーマを考えて次回二月一日を待ち遠しとしたい。
* 3.11以来、放射能汚染に対する脅威が高まっている。その源である原発事故・原発反対の機運はますます高まれど弱まることはない。事故処理も年内掛けて冷温停止がやっとこさだと言う。
原発は事故さえ起さなければ、(安全神話に居座っている間であれば)これほど安価で未来に渡って長期的・安定的にエネルギーを維持するものは無いとさえ言われてきた。非資源国の日本にとってはとても魅力のある発電装置であったはずである。
しかし一度事故を起こすと大変大きな被害を及ぼし、またその処理費には長期間にわたって莫大な資金投入が必要とされる。一瞬にして損得勘定が破綻してしまう。
電力会社の第一次的負担は言わずもがなであるが、エネルギー対策の国家戦略の一つとなれば当然のことながら国民の税金が投入される。
原発一基の発電は100万キロワットだと言う。一基設置するのに一兆円と言う。国内だけではなく安全であれば多くの国からも引き合いがあり、商談も国家戦略の一つとして成り立ったのであるが、それこそ全ブレーキが事故発生で作動した。
一般家庭の太陽光圧電は3KWである。設置するのに3KWで200万円の時代があった。100万KWを発電するためには約33万倍である。すると6600億円で原発一基分の発電が可能になる。なんと、34%ダウンで出来るではないか?安全性を確保しながらクリーンな再生エネルギーが入手出来る上に34%の経費節減が出来るではないか。
太陽光発電装置の製造工程も改良されて精度もよくなった上にどんどん価格が下がれば原発の半分で相当分発電を賄うことが出来ることになる。願ってもないことである。
放射能汚染は目に見えないだけに恐怖感は増幅される一方である。現物被害・人体被害はもとより、心理的被害は何重にも拡大する。しかも、長期間に渡って国民に負債を強いることになるのである。
現在日本にある54基の原発の内、実際に稼働しているのは10基と聞いた。来年には定期検査に入るとその10基もすべてがストップすることになる。
実際に原発が稼働しなくなった分の供給可能な発電量は消費をかなり下回るお触れが発信されてきた。現実、この夏には電力量不足の事態から節電・計画停電騒ぎが起こった。日本国民は皆愛国者である。エアコンの温度設定を上げたり、電灯を間引いたりしながら乗り切った。ピークになる時間・日にちを避けるために時間差労働が推奨されたり、土日の休日を週日に置き換えたりしながらの応急対処に国民はとても協力的であった。
その結果、高齢者を中心に熱中症が例年の何倍にも発症してしまったり、家族生活のリズムに支障をきたしたりしたことも忘れるわけにはいかない。
確かにGDPの伸び率に比較して消費電力は大幅にアップしているジレンマも問いたださなければならなかった時期でもあった。消費アップが経済活動を押し上げている!と思い込んでいた私たちにとっては大きなショックでもあった
消費は美徳!の時代錯誤は誰でも気が付いていたのであるが、回っている間は止めることのできないことも事実であった。
エネルギー問題がこれほどまでに将来を暗く見せるとは思わなかったのは私だけではない?
丁度今日(11月27日)からサポートセンター川崎プロジェクト(SCKP)の建て方が始まった。寒さはあるが朝から晴天である。SCKPは地域交流スペースを持った地域密着型介護福祉施設である。25t大型クレーンが設置され順調にプレカット資材が組み立てられていく。現場を見に来られた施主様のSさまの感想は「速いね!・・凄いね!」であった。
監督のM君も同席していたので、何時になく35年前のことを話題にしていた。「私が長岡に帰ってきて最初の建て方現場で勉強させて頂いた時のことである。現場にはクレーンなどはなく、大工さん達の人力で建てていたのだよ!」建て方と言えば丸太梁にロープを掛け、大声で掛け声歌を歌いながら引っ張り上げるのである。正に人力であった。今の様に短期間では上棟式を迎えることが出来ない。その後年からクレーンを使った上棟がちらほらと出始めた。間違いなく30数年と言う大変短い期間の変化であった。
大型クレーンを使えば仕事は速い。その分沢山の軽油を消費する。建築現場のエネルギー変遷を垣間見たのである。
25Tラフタークレーンが設置された! 簡単に大断面材料を持ち上げる!

仕事開始の前のKY活動と一言集約! チームワーク「ゼロ災で行こう!よし」
話を戻そう!
今年の冬の寒さにどの位節約すればいいのか?来年の夏はどの位節電をすればいいのか?考えただけでも明るくはない。
しかし、新聞には東京電力発表報告が掲載されていた。来年は今年の電力使用量を大幅に上回った5万7000KWを供給できると言うのである。勿論、その為には今まで休止中の火力発電を稼働させたり、水力発電を増やしたりしながら供給体制を確立するとのことであったが。
「エッ」と思った。誰もが思ったはずである。この情報を聞いて良かったと思ったであろうと同時に、「エッ?」である。まるでマジックの様であった。マジックにホワイトもブラックもないのであろうが、何故かブラックマジック?の感を拭えない。
消費から節約と言う日本の美徳の追求に皆が力を合わせようとしている時に!嬉しくもありわびしくもある!
* チェルノブイリ原発事故による放射能汚染は1200KM離れたスエーデンの森にホットスポットがあるとテレビが伝えていた。
チェルノブイリ事故は今から25年前(1986年)のことである。日本では議論が続く事故発生後放射能被爆を回避するために避難指令領域を20KMにするか30KMにするか?そして最近では50KMにするかと議論が繰り拡げられていた。
しかし、チェルノブイリでは1200KM離れた地にまで放射能が飛散したと言うことである。日本のグループが調査に出かけた。現地に近づくに従って放射能線量を測るガイガーカウンターがなり出し始める。
一軒の家の老夫婦の家の中の線量を調べる。同時に外を調べる。室外は室内の数倍の数字を計測する。若夫婦たちはこの家から離れていった。帰って来ないと言う。確かに子供たちには決して良い環境ではないことは明々白々である。
放射能汚染は家族を引き離しそれまでの生活スタイルの変更を強請してしまう。福島でも覆ってしまった。長年にわたっての強制である。
* 11月15日は狩猟解禁日である。鴨が届く。鴨汁のシーズンである。
我が家では長い間親父が鴨の狩猟をしていた。ここ数年は年も寄ったので狩猟免許をお返し銃も返してしまった。
昔馴染みが鴨を送ってくれる。私が言うのもなんであるが我が家の鴨汁の味は相当のものである。中でも私の鴨汁の調理人としての腕は相当のものである???
しかし、この時期の話題!今年は鴨はどうする?鴨汁は作るかどうか?鳥インフルエンザの話や放射能汚染対策は?目に見えないだけに、夫々がお化けてしまう。意見は真っ二つ!前者は熱を通すから大丈夫!後者はガイガーカウンターを購入して計測することにした。答えは問題なしであった。これで上々と思いきや何故かしっくりしない。人間に大丈夫であればそれ以外は良いのかと言う声である。
3.11から数ヶ月が過ぎてからの話である。放射能汚染された稲わらを食べた牛の出荷が止められた。食して内部被爆することを回避したいからである。
牛にしてみればえらい迷惑である。餌を食べさせた後でカウンターしてみたら被爆していたでは可哀そうすぎる?それならば、人間達が食べる前にチェックするのと同じくらいにワシら牛たちに食べさせる餌を吟味してほしかった。モ~!である。
その心遣いが生命系を維持する連帯感と言うものではないかい?ウッシし!と牛君たちの声が聞こえてくる。
ちなみに私も丑年なので気持ちが十分伝わってきた。
* 20111101(火):第一回社聴熟が開催された。
引き続き第二回は20111201(木)である。毎月1日と決めておくことにした。土日は無で年始もなしとすると結構回数も限定される。長岡祭りの8月も無にしたいところであるから2012年は2・3・6・10・11の月になり年5回になる。
全部門から出てくれたが工務部門だけは仕事の関係で全員欠席であった。月一の工務会議の後で工務部だけに社聴熟講座を持つことにした。その第一回目も20111111(金)に開催された。
* タイトルが「社聴熟」である。漢字の間違いを指摘されそうであるが、間違いなく「社長塾」ならぬ「社聴熟」!である。
社長塾!の開催リクエストが幹部からやって来たのはつい最近の話である。事の発端はこうだ。スタッフの監督T君が、弊社で10数年前に建築のお手伝いをさせて頂いた高田教会の内部空間に入った時にびっくりしたことから始まったのである。T君は高田教会の建築工事に参加した人々をイメージして自分と重ね合わせたのであろう。難しい現場で監督も職人さんも、さぞ頭を悩めたことだろうと感嘆したのである。その話を聞いた時に課長W君が「新しい社員は高田の昔の建物を知らないのだ!」と今更ながらに確認したのである。その辺の話を社長にしてもらおうと言うところからの発案であった。
話すことは嫌いでない私であるが、社長塾と言うと何故か社長が一方的に話すことを強要されている様に思ったのでしばし躊躇した。“しばし”である。“長い間”ではない。
社長が社員・スタッフ・参加者のお話を聞く・聴く会ならばいいのでは!しばし内に答えが出た。それならOKと言うことで始まった。
聴くに早く語るに遅くあれ!とバイブルにあるが中々できない事でもある。
それでも、まず聴くことが基本である。そして意見交換(作業)しながら語ることをすることにしよう。勿論、最初のきっかけ作りの基調講話・報告は私の方で用意しなければならない。その基調講話をテーマに司会が参加者の意見を拾い上げていくスタイルである。
そんな新企画であるにも拘らず、“どうせまた社長の長話だろう!”と思われているに違いない。よって出席者も5~6名程度と思っていたが、なんと初回社聴熟には30名近くが出席してくれたのである。これには私もびっくりであった。
どこまで継続されるかわからないが、前述の様に一応月一の開催を基本とする。第一回目の社聴熟は司会が上手く質問してくれたので大変盛り上がった。話すものにとっても、良き質問は次回の話の準備になってくれるから有難いことである。
社員は自由参加である。私のテーマも自由である。しかし一本筋が通らないとすべてが、ばらけて雑談になってしまいそうである。
そこで現在、新潟大学の建築コースの大学院生21名の学生を対象に非常勤講師の拝命を受けて集中講座を開催させていただいているテーマ「建築と倫理」を基軸に置くこととした。
* 「建築と倫理」:高校時代の倫理社会があまり好きでなかった私にはとても荷が重かったが、いざ取り組んでみると社会に出ると最も大切な一つであることが分かった。
むしろ、すべてに於いて倫理的視点が問われていると言っても決して過言ではない。
何が正義で何がベターか?ベストか?仕事を通して沢山迷いが生まれ選択と集中ジャッジが要求されるのである。
今年、高田建築事務所も築縁様・木族の会の皆様・社員スタッフそしてそのご家族様に支えられて35周年を迎えることとなった。感謝である。企業寿命28年説がある中で仕事を35年させて頂いたのであるから重ねて感謝と有難いの一言である。
余談ではあるが、弊社にとっての企業平均寿命説28年目は2004年(平成16年)であった。平成16年10月23日は新潟県に大地震が起こった年である。中越大震災である。かなりの揺れで、予期もしない大揺れに私どものお手伝いさせて頂いた多くの建築にも被害が出たのではないかと一瞬にして企業寿命説を重ねてしまった自分を振り返っていた。結果は震度7を計測した震源地の川口町の和南津・田麦山でも大きな被害が出なかった。タカダの建物は強かったと称賛されもしたが、余震が続く中ではそんな評価が届かなかった。それから7年が過ぎた。35周年である。
そんなエポックとなる時期であるから余計に気持ちも乗ってくる次第である。社聴熟をとおして伝えていきたいことが沢山あるから絶好のチャンスでもある。
しかし、高田建築事務所は私がゼロから起業したと言うよりも、元々は親父の会社であるタカモク(旧高田材木店)と言う土台があったからこそ、今日まで来れたことを否めない。その分受けた恩恵も大きかったのである。タカモクの社歴は61年である。私と同い年である。(私が生まれた年に親父が材木店を立ち上げた)
換算すればタカモク26年目のステージから高田建築事務所ロケットが打ち上げられたのであり、まさに一段ロケットに乗っかった二段ロケットの発射であった。
* 受ける側からは“社長塾?いまさら何さと言われそうであるが?”
若いスタッフも多くなってきた。初心に帰って高田建築事務所の存在そのものを見つめ直す良き時期に来ているのではないだろうか?
もともと企業継続は環境適応業と言われている。どんどん環境に適合して進化しなければ生き残れないことも事実である。昔のことなど愚の骨頂と一笑されるかもしれないが、起業当時の爆発する様なエネルギー(勿論当時は無我夢中であるから内側にいた本人達は分かっていないのだが)から様々な高田建築事務所独特のデザインが生まれ・コンセプトが作られ物語が形成されてきたことも否めない事実である。
その当時のシーンも若いスタッフには是非とも伝えたい。現在のタカダの形になって表れる前のエネルギーを伝えることでタカダイズムやタカダシンキング・タカダフィロソフィーを共有したいのである。
そして、長年かけて培われてきた高田建築事務所のコンセプト・こだわりや物・ことを大切にしていきたいのである。大小は別にしてもそれが高田のブランドだとすれば、高田建築事務所のすまいづくりに期待しておいでになるクラアントの要求を決して裏切ってはならないからでもある。
ブランドと言うと何か高邁に響くのであるが、決してそうではなく、どんな企業にも活動しているからには個性と特徴がある。お客さまが長年かけて期待しているものがブランドだとすればタカダブランドにお答えできる体制を維持しなければならないからである。
社聴熟開講の目的を一言集約すれば:そのタカダブランドを共有させ育成させようと言うものである。
弊社の今年の重点課題は「育夢創造(はぐくむそうぞう)」である。社長のしなければならない仕事の一つに社員教育がある。スタッフ一人一人に技術向上・モラル向上は社会人として必要不可欠である。そんな折しも、会社幹部からも背中を強く押され社長塾開催への運びとなったのである。
しかも社長塾と書くと、どちらかと言えば一方通行の話の場になってしまったり、上から目線になりそうな危険も孕んでいた。
そこで、私の方でテーマ・課題を投げかけて一つの実例を挙げてその時に考えていたこと、とった行動の検証をしていこうと言うものである。出席関係者スタッフから活発な意見を交換して行こうと言うものである。社長が聴くから社聴+どんどん過去と未来をミキシングして熟させていく塾にしようと言うことである。
何れも初めての試みなので少々準備過多になった嫌いがある。スタッフの協力でスライドをたくさん用意してもらった。
何時も講演会等には備えあれば憂いなし的な感覚があるので、たくさん用意するのであるが、話し始めると準備したものからかなりかけ離れていってしまうことが多々である。
話し始めるとレジュメに従って進めることが出来るほど冷静ではなくなってしまっている自分がいる。脱線ついでに勢いまで落とすと何もなくなってしまうので、スピードは緩めない。初めての社聴熟開催出席者から感想があったが、何時もの様にエネルギッシュな話し方になってしまっている。
夏にこのような会を開くと暑苦しいと言われそうであるが、秋から冬にかけてなら良いかもしれない。
それでも参加者一人一人の顔が輝いていると思ったのは、私の欲目だけではなかったような気がした。
検証の為に第一回目社聴熟終了後の感想メールが届いた。それを掲載することで熟の評価としたい。
* ・・・・スタッフSさんからのメール!
お疲れ様です。先程感想が途中になってしまい、一番伝えたかったことがいえなかったのでメールさせていただきました。
私は人の話を聴くことが好きで、安藤忠雄さん、古谷さん・・・etcいろいろな方の話を聴きに出かけますが、身近な建築家である社長の話はまた他とは違った切り口のお話で、すごく面白かったです。
そして、この会社に入ってやはり正解だったと思いました。
私がこの会社に入りたいと思い、運よく拾って頂いてはや4年がたとうとしていますが、皆さんの感想にもありましたが、社員皆が入社時にタイムスリップできる、初心を思い起こす良いきっかけになったのではと感じました。またその機会がつりだせる人財と、どんなきっかけであれその旗に賛同して集まれる社員、人財がそろっていることは本当に素敵なことだと思いました。
昨日一人で会社帰りにふらっと焼き鳥屋さんに立ち寄りました。たまたま隣の年配男性が当社と以前取引のあった会社の社長さんであることがわかり、高田で勤めていることを話したら、「あの会社は面白い建物つくるよね。高そうだよね。特に社長さんのこだわりが強いよね。設計が細かいよね。」といわれました。
まさに高田ブランドだと感じました。
高田さんが辛くなったら是非うちの会社に来ないかといわれましたが、そんなこと考えられないほど、この会社とお客様に私はすっかり惚れていますし、今日の話を聴いてこの会社でもっと育まれたいと感じました。これからの社員やお客様にも、もっと惚れ込んでもらえる会社にできるよう、自分の宝をコンコンっとちょっとたたきつつがんばろうと思いました。
一言のつもりがすっかり長くなってしまいましたが、楽しいお話をありがとうございました。また次回も一番前の席に座ろうと思います。よろしくお願いいたします。
*姜尚中さんがトーキョー・ストレンジャー(集英社)の中で「ブランドとは自分が何者かという格付けに、お墨付けを与えてくれる”お守り”なのです!」と書いていた。ブランド力のわかりやすいコメント発信であった。